ナイトクローラー

ナイトクローラーって大ミミズって意味なのか~。
夜、這い回る人でもあるのでしょう。
どちらにしてもお天道様は苦手でしょう。
ルー・ブルーム(ジェイク・ギレンホール)は、吸血鬼の形相だった。これは狙っていると思う。人の生き血が飯のタネ。
彼以外の人たちも、お天道様に顔向けできなさそうな人が揃っており、「世も末」感たっぷりで、むかむかするのに面白いという、実に困った作品(時代の映し鏡)である。

事件、事故の報道は大概無用、衝撃映像特集も大嫌いというのは少数派なのか、需要があるから供給がある式にそういうニュースや番組が引きも切らない。ニーズに合わせて売れるニュースを提供するのは自然な流れなので、ニーナ(レネ・ルッソ)を責められたものではない。彼女が職(生業)のために自尊心まで売り渡すはめになったのは、そういうワイドショー的なニュースを求める私たちのせいでもある。

教育とは良心を育てることだと言ったのは、なだいなだだったけれど、法に触れなければOKというニーナも、法に触れてもバレなければOKというルーも、倫理観はどこにいったのか、どうやら充分な教育を受けてないみたいだ。拝金教がはびこってお天道様や神様の部が悪くなっているんじゃないだろうねぇ。

ルーは特異なキャラクターだ。勉強熱心で自己実現のためというか有能さをアピールするためにこの仕事をしているように見えた。能力を発揮できる仕事に就けて喜ばしいことだ。彼にとって報酬は有能さのバロメーターだから言い値は際限なくつり上がるぞ。それにしても彼の能力ってなんだろう?考えて倫理観の欠如ぶりではないかと思った。時流の波に乗って飛ぶ鳥を落とす勢いのルーだが、おごれるものは久しからずで、そのうち刑務所でまた別(?)の能力を発揮することになるだろう。
(2016/05/07 あたご劇場)

追憶の森

昨年のカンヌ国際映画祭で総スカンというか大ブーイングというか酷評を受けた作品で、ガス・ヴァン・サント監督と相性のよい私でも耐えられるかどうか心配していたが杞憂に終わった。
富士の樹海(青木ヶ原)が舞台で、冒頭では森が海のように映し出される。風に揺れる木々の音だろう、波のように聞こえ、雲海とはちがうなぁと思った。
くれい響さんに『永遠の僕たち』(加瀬亮が特攻隊員の幽霊役で出演)の姉妹編と言われたとおり、主人公が死者からの「生きてね」「そばにいるよ」というメッセージを受けとめる物語だ。

亡くなった妻ジョーン(ナオミ・ワッツ)と後追い自殺をしようとする夫アーサー(マシュー・マコノヒー)をつなぐ存在としてあらわれるのがるナカムラタクミ(渡辺謙)で、ナカムラタクミはアーサーにいろいろな信号を送る。中でも最大の信号がキイロとフユだったわけだが、キイロではなくミドリにすればよかったのに。日本人女性の名前としては、キイロよりミドリの方がなじみよい。英語にしたときにグリーン・ウィンターよりイエロー・ウィンターの方が据わりがいいからキイロになったのだろうか。

生前のジョーンとアーサーの描写がとてもよかった。夫婦の関係が何によってどんな風に壊れるか(愛しあっているのに)、険悪な感じがひりひり伝わってきてつらかった。また病魔が二人の関係を修復した形になって、術後の二人の睦まじさが実によき眺めだった。(美男美女でいいねぇ。)紅茶と洗濯物のエピソードもかなり好き。(この映画でマコノヒーを初めて好きと思った。)

残念ながらジョーンが見ていた『巴里のアメリカ人』を私は見てないが、ナカムラタクミが歌っていた「天国への階段」は『巴里のアメリカ人』の中の歌だろう。樹海の階段とラストシーンの水辺から家に続く階段が、どちらも生きるための階段だと思えてくる。
(2016/05/03 TOHOシネマズ高知2)

恋人たち

誰かが誰かを想う。その想いが叶わなくても、幻だったとしても、あるいは相手が死んでしまったとしても、想っていたときは幸せで美しい。不満、欺瞞、絶望をくぐり抜けて生きることの美しさを描いた作品と思う。

冒頭で篠塚(篠原篤)が、結婚したときの思い出を語る。おそらく弁護士の四ノ宮(池田良)に向かって話している。このときの目の表情が生き生きとして美しかった。
四ノ宮が思いを寄せる友だちの影を松葉杖でなぞっていく。大きめの窓から白い陽射しが入り柔らかい影をつくっている。このときの安らかな表情は嘘偽りのないものだった。
高橋(成嶋瞳子)が、一念発起、化粧して身支度を調える。湯気が出そうなくらい熱を帯びている。白馬の王子様と鶏を飼うのよ!紅潮して輝いていた。

篠塚が見て美しいと感じた恋人たちは、あまり美しいと思わなかったが、三人の恋する人たち(恋人たち)の表情は美しかった。

高橋のエピソードはコメディ部門として見ていた。日々、満たされず生きているのだけれど、幸か不幸かそれを言語化できていないので現状に甘んじていたのでしょう。鶏男(光石研)との夢破れても、子どもが生まれたら、もうマンガを描くこともなくなるだろうなぁ。
四ノ宮は自らを偽って生きていたから幸せからは一番遠いように思えた。同棲相手には、もっと正直に自分をさらけ出してもよかったのに。でも、彼にとってはそれが最も難しいことなのかもしれない。正直に泣けたことで一先ずよしとするか。

正直者の篠塚は共感しやすい。自己表現ができるのでいいなと思う。理不尽な役所の職員に対しても状況説明や主張が出来るのですごいやとも思う。篠塚の同僚(とその母)の思い遣りに涙、篠塚が「ありがとう」と言えたことにも涙。(赤いあめ玉の美しかったこと(T_T)。)元左翼の黒田さんも傾聴オンリーで、あなたともっと話したい(だから話せなくなるようなことはしないでほしい)という。現実には黒田さんはほとんどいない。だから、映画に必要なんだと思う。(橋口監督、思い遣りに「ありがとう」と言えなかったので篠塚に言わせて、話を聴いてほしかった相手に説教されたので黒田さんを作ったのではないだろうか?)
篠塚は、建造物の劣化の状況を点検する仕事をしている。これって何かの象徴だろうか。表面上は何でもなさそうな建造物を叩いて反響で劣化の状況を判断する。聴診器を持ったお医者さんみたいだ。川からの眺めを活かせる仕事でもある。ラストの川(もう海かな?)から東京をとらえたショットの美しさには本当に驚いた。海からマンハッタンをとらえた作品は数多あれど、東京の摩天楼も負けず劣らず美しい。生きてりゃ良いこともあるぜ。篠塚の心からの笑顔にほっとして前向きになれた。

エピソードが切り替わるとき、ペットボトルつながりとか麻薬つながりとか、何かでつながっていたような気がする。映画的に芸のある作品でもあったと思う。

(2016/04/16 あたご劇場)