セッション

なんか漫画みたいに面白かった(^Q^)。こういうのを狂気の沙汰と言う(爆)。ジャズもチャーリー・パーカーも知らないので、イーストウッド監督の『バード』で予習しておけばよかった。幕切れの切れ味は、音楽の切れ味みたいにカッコよかった。
原題の「WHIPLASH」がいいなぁ。でも、そのまま邦題にすると「???」だから、「サド先生と僕」とかどうかなぁ。(「僕」は「ぼく」であって「しもべ」ではない。)

天才というのは努力する才能に恵まれた人だなぁと思いながら見た。あるいは、成功する人は一線を越えちゃってると。
サド先生の術中に嵌って、気弱なアンドリューが変身したのがビックリだった。大先生に認められたことで、すっかりその気になって、アメフト従兄弟をこき下ろすシーンなんか笑える。このバンドには俺が必要と豪語するに至ってから血だらけで演奏するシーンは、紙一重的に鬼気迫る。(その後のつかみ合いは、やっぱり笑える。)パパと映画を見に行って、レーズンをよけてポップコーンをつまむアンドリューがけっこう好きだったので、元に戻っていいんじゃないと思った。いい夢、見させてもらったねって感じで。

しかし、ああいうしごきに発憤できる人は今の時代少数派のような気がする。一人の天才を育てるために何人が犠牲になったことか。もっと人を見て育ててほしい。サド先生には鞭ではなくて釘を刺しておきたい。
(2016/01/30 あたご劇場)

パディントン

楽しかった~(^o^)。
古き良き娯楽映画の王道、伏線を拾いまくり、登場人物はもれなく活躍。結末がわかっていても手に汗握り、音楽は小粋でミセス・ブラウンはおしゃれ(美術もいい!)。骨董屋の主人(ジム・ブロードベント)が核心を言う。身体がやってきても、心がなじむのに時間がかかったって。ペルーから「家」を探しに来たパディントン。「家」とは「ホーム」。「at home」のホームだ。短期間で家を見つけられて(ブラウン一家と出会えて)幸運だった。いろんなところで笑ったけれど、最高だったのがバッキンガム宮殿の衛兵さんだ。交替した衛兵さんが冷たいのも深いと思う。
(2016/01/24 TOHOシネマズ高知1 吹き替え版)

ウォールフラワー

デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」が主題歌となった映画だとは知らずに見て思わず落涙だった。
病気で休学していたチャーリー(ローガン・ラーマン)が復学して、サム(エマ・ワトソン)とパトリック(松潤エズラ・ミラー)のきょうだいと友だちになり、三人でドライブするシーンに使われていた。いい曲だと言って、車の荷台に立ち両手を広げて夜風を切っていくサムがキラキラとまぶしい。チャーリーは魅せられる。

「壁の花」はあまりいい意味ではないはずだけど、この映画では、心に傷を持ち周りにうまく溶け込めず壁の花でしかいられないチャーリーを、壁の花であるからこそ観察者になれるのだし、作家にだって向いているのだと肯定的に描いている。そのうえで、壁から離れ一歩踏み出す彼をやさしく見守っている。
青春映画の「もがき」は、パトリックのもがきのように大抵は派手だけれど、チャーリーのもがきは弱々しい。呼吸する空気の量が極端に少なそうだ。だから、アンダーソン先生も絶妙の距離感でチャーリーに接している。チャーリーの家族もなかなかに絶妙だ。

「進撃の巨人」は世界中で読まれているそうで、そこに描かれた壁が何を象徴しているか(香港では民主化を阻む壁として読んでいる人がいるそうだ)、人それぞれのイメージがあると思う。村上春樹は何かを受賞したときのスピーチでsystem(組織、制度、体制)と人を壁と卵に例えたこともあった。『ウォールフラワー』の壁は、映画の最後で語られたように「変えられない過去」を象徴しているのだろう。
「ヒーローズ」で歌われたのは言うまでもなくベルリンの壁だったが、壁が壊された今も歌われている。世の中の人が、行く手を阻まれたとき、何かに捕らわれたとき、乗り越えるべき壁、振り切るべき壁があまりにも大きいとき、それでも1日だけどヒーローになれるという希望の歌として、これからも歌われるだろう。そう気づかせてくれた、この映画の作り手に感謝。

THE PERKS OF BEING A WALLFLOWER
(2016/01/20 動画配信)

ブリッジ・オブ・スパイ

国家は非情なり。ジム・ドノヴァン(トム・ハンクス)は、よく闘った。
スピルバーグは名匠の域に達しているなぁ。

追記

  1. 敵対する国であっても、市民同士は友だちになれる。ジム・ドノヴァンの闘う相手はアメリカ合衆国でありソ連であり東ドイツだった。
  2. マスコミに踊らされて(あるいは了見が狭いせいで)、ドノヴァンを見る目がコロコロ変わる電車のみんな。ああなるのは何とか避けたい。
  3. 電車に乗ったドノヴァンが、フェンスを乗り越える若者を目にして、ベルリンの壁で撃たれた人たちを鋭く思い出す。このラストシーンによって、冷戦時代の話が今につながる。壁を乗り越える人たちは、今なら難民。壁に取り囲まれたパレスチナの人たち。日本国内にも様々な壁がある。車窓から高みの見物でいいのかという問いを突きつけられるようなラストだった。
  4. シリアス一辺倒にならず、ユーモアをおりまぜた演出に脱帽。最敬礼。

(2016/01/10 TOHOシネマズ高知4)