美女と野獣

レア・セドゥとヴァンサン・カッセル、いいねぇ(^_^)。
しかーし、もっとSでMであってほしかった。
コントラストの強い映像もイマイチ美しいとは言い難かったし。
よかったのは、なぜ、野獣になったのかを描いた部分と、ラストのめでたしめでたしの部分だ。
特にラストは、(子どもたちに語って聴かせているところは)てっきりお城の中と思っていたので、そうではなく庶民の暮らしをしているのがよかったし、主役以外も皆息災で、これが本当のしあわせだよねーと思った。

監督:クリストフ・ガンズ
(2014/11/24 TOHOシネマズ高知4)

女性文芸映画特集inあたご劇場

昔の映画は短いと思っていたら、長かったー。まさか4本全部見るとは思ってなかった(だからお昼ご飯しか持参してなかった)が、結局12時から9時半まで座りっぱなし記念日となった。

一番面白いと思ったのは『夜の河』で、綺麗なカラーだったのに驚いた(緑の絹の光沢なんかよく出てた~)。映像ピカイチ。主人公は染物屋の娘きわ(山本冨士子)。美人~。見とれる~。どの角度から撮ってもきれい。大学教授の竹村(上原謙)と一夜をともにする赤い逆光ショット(ほとんど影)も美しい。しかも、この日見た4人の主人公の中で最もリアリティがあった。反物を卸すにもなかなかの商売上手。はんなり、やり手の京女。東京出張で下心ありありの呉服屋の旦那と同じ宿に泊まることになっても妹を連れて行き、防戦に抜かりなし。何ごとにも動じることがないと思いきや、好意を持っている竹村に対しては、媚びなく可愛くいじらしい。竹村の妻が亡くなって、亡くなるのを待っていたと思われるのが嫌というプライドと、病気の妻に出来る限りのことをしたと言えば聞こえはいいが一滴の姑息さがにじむ竹村に気づいてしまったことから別れを決意する。清冽だ。それなのに「夜の河」とはこれ如何に。映画の始まりでは無関心だった労働運動のデモ行進に映画の終わりでは関心を示す。その心境の変化はこれ如何に。充分に成熟しており一筋縄ではいかない女性だとは思う。

きわに憧れる若き画家が岡本五郎という名前で岡本太郎らしい絵を描いていたのが可笑しかった。この五郎君がインテリ言葉を駆使して何だかんだ言うのがハイレベルすぎてついていけなかったが、当時の観客の目からすると大学を出た若者や芸術家のイメージは五郎君みたいな感じだったのだろうか。本筋とは関係ないように思える五郎君の登場と退場はなぜ故に?
竹村がショウジョウバエを赤く染める研究をしているのも面白かった。(竹村も染物屋だ。)きわは赤いショウジョウバエの柄を染め上げ、着物を仕立てる。なぜ故にショウジョウバエ?
色々わからないところもあったけれど、主人公のキャラクター、映像、時代背景がよく描かれていてよかったと思う。

『雪国』は、駒子(岸恵子)がめっちゃ可愛い。島村(池部良)は、めっちゃ嫌い。妻子がありながら、駒子のところへ来るなよなー。来るなら奪って行け。まっこと腹の立つ~~(笑)。駒子は誰も捨てきることが出来ず、哀れだった。

『五番町夕霧楼』の夕子(佐久間良子)、色っぽい~~。「商売であえぐな」と思ったけれど、いやいやいや~、「このサービスショットは必要」とも思った。男性との絡みなし、顔の表情だけの濡れ場、お見事。話は(キャラクターも)作り物っぽいが、『炎上』の他にも金閣寺放火をモチーフとした映画があったとは知らなかったので面白かった。また、夕霧楼の女将以下、エントリー女性の皆が優しいのがとてもよかった。夕子とか夕顔とか夕の字がつくと儚いねぇ。

『五辨の椿』は、おしの(岩下志麻)の復讐箪。音楽が『五番町夕霧楼』と似てる~~(?)。話も主人公も『五番町夕霧楼』以上に作り物っぽい。時代劇だから無理もなし。原作は山本周五郎とのことだけど、こんな陰惨な話も書いてたのね。

夜の河(1956年/104分/監督:吉村公三郎)
雪国(1957年/133分/監督:豊田四郎)
五番町夕霧楼(1963年/137分/監督:田坂具隆)
五辨の椿(1964年/163分/監督:野村芳太郎)

罪の手ざわり

う~ん、まんじゅう怖いという落語があったが、私はお金が怖い。中国と日本の合作映画、『罪の手ざわり』を構成する四つの話はすべてお金がらみだ。共同所有だった炭坑を奪われ利益を一人占めにされた者、妻子を養うため出稼ぎに行って自暴自棄になった者、金持ちにバカにされ買春を強要された者、職も恋もなくしたうえに仕送りせよと親に迫られた者。いずれの話も富める者と貧しい者が登場し、貧しい者が人を殺めたり自死してしまう。貧しい者の追い詰められ加減(あるいは自棄の加減)が、見ていて苦しくなるくらいだった。作り手は追い詰められた側に立ち、傷つけられた自尊心の爆発を華々しく描く。また、儚く生きる若者の死を唐突に描くことで、見る者の心にくさびを打ち込む。金が物を言う社会は、金に物を言わせる者が作った。ラストシーンの京劇で発せられる「罪を認めるか」という問いかけは、それこそがグローバル化されるべきだろう。

しかし、この作品、大事なのはお金のことではない。大事なのは、正しく「映画」(しかもスケールの大きい「映画」)だったことだ。中国の北部から南部まで四つのエピソードがつながっていく(うかうかしていると、つながりを見逃す)。景色も湿度も違うし、言葉の響きも違う。映像の切り取り方、つなげ方が見事だ。各エピソードに異なる動物が出てくるが、それは何を象徴しているのか読み解く力も必要だ。大変な映画力を要求されるので、目を皿のように、耳をじょうごのようにして臨むべきところ、修行が足りず所々で居眠りしてしまった。

前に見た『長江哀歌』は、映像パワーは凄かったものの、ヴェネチア国際映画祭の金獅子も張り子に落ちたかと思えるような内容だったけれど、やっとジャ・ジャンクー監督作品のよさがわかった。
(シネマ・スクウェア 2014年9月号)

エイトレンジャー2

ムビチケまで買って性懲りもなく行ってきた。なんせ、ファンなもので。
本当にアホらしいけど面白かった。笑えた。やっぱり、ファンなもので(^_^;。

ダーククルセイド総統(東山紀之)がレッド(渋谷すばる)を利用するストーリーラインと、記者である西郷純(前田敦子)がエイトレンジャーのマネージャーとして潜入取材するストーリーラインが、八萬市で行方不明者が続出、実はポイ捨てのような微罪で隠密に逮捕され、強制労働させられていたというメインストーリーに絡む。また、八萬市の雇われヒーロー、エイトレンジャーがヒーローらしからぬ自称ヒーローで、自分たちが助けたいんだから助ける(レッドは仲間だから助ける)と開き直るのも、ヒーローものに名を借りた友情ものと言ってよろしく健全だ。

ピンクのゴミ収集車がパックンと人を食べるのが思い出しても可笑しい(^Q^)。
ファンじゃない人には、あまりおすすめできないなぁ(笑)。
(2014/08/07 TOHOシネマズ高知1)