愛について、ある土曜日の面会室

俳優がよいのか演出力があるのか、あっという間の2時間だった。それとフランス映画は色彩がきれいと改めて思った。
刑務所の面会室には、様々な人生が凝縮されているということなんだろうとけど、喜怒哀楽のうち、「怒」と「哀」しか描けてないような。・・・・え、もしかして、二組目は「楽」?なんか、ステファンってなさけない人で・・・(笑)。彼も女性運がよければ、うまく操縦してもらってイイ父ちゃんになれたんじゃないかと思うんだけど、女性運がよろしくないうえにアホじゃん(^_^;。身代わりで刑務所に入るって、やっぱり笑うところだったのかなぁ?1年で出所できる保証はないと思うけどなぁ。ピエールってそんなに信用できるの?ばれたら別の罪に問われるでしょうに。

ロールは若気の至りってヤツでしょう。先が思い遣られるなぁ。だけど、思いのままに生きられるってイイね。アントワンは暇人なのか、とてもいい人なのか、下心があるのか。とてもイイ暇人で下心ほどのものはないけれど、可愛い子ちゃんには弱いかも(笑)。

ゾラのパートは重かった。ただし、息子を殺した相手の姉であるセリーヌに対して、「あなたは悪くない」というところはホッとした。

一組目:ロール(ポーリン・エチエンヌ)/アレクサンドル(ヴァンサン・ロティエ)/アントワン(ジュリアン・リュカ)
二組目:ステファン(レダ・カテブ)/エルザ(ディナーラ・ドルカーロワ)/ピエール(マルク・バルベ)
三組目:ゾラ(ファリダ・ラウアジ)/セリーヌ(デルフィーヌ・シュイヨー)

QU’UN SEUL TIENNE ET LES AUTRES SUIVRONT
監督:レア・フェネール
(シネマ・サンライズ 2013/10/17 高知県立美術館ホール)

愛、アムール

エンドロールは無音だったけれど、私の頭の中では佐良直美が「愛、あなたと二人~」「二人のため~、世界はあるの~」と歌っていた。鳩も入れない二人きりの世界。娘でさえ本当の意味で入れたのは、二人が亡くなった後のことだ。

物語の世界における究極の愛の形は、常に心中として描かれてきたように思う。この映画も正しく「物語」であり、究極の愛の形を描いた心中ものだ。週3回の訪問介護や2週間に1回の往診、娘の訪問なども強力に描かれ現実味はあるけれど、社会性を極力排しており、タイトルどおり愛の物語に徹している。
もちろん、別の考え方もありだ。夫が寝たきりの妻に水分を取らせようとして思いどおりにならず、思わず妻の顔を叩いてしまい忸怩たる思いに沈む場面がある。(その前に妻の意思を尊重しないという理由で介護ヘルパーをクビにした場面を配しているのは残酷なほどにうまい。)その暴力性の延長に無理心中があるという考え方もできる。愛する対象が変わり果ててしまっても耐えられるかどうか。要するに介護疲れ。しかし、私はそういうのは現実の世界で充分なので、この映画は悲しくも美しい愛の物語でよいと思っている。物語でもなければ、殺した妻の服を着せ替え、花で飾るなんて余裕はいくらフランス人でもないのではないか???う~ん、どうでしょー。

始まって間もなくして物語の先が読めるし、弟子のピアニストが訪れるシーン(きっと重要なシーン)では眠っていたし、あまり面白いとも感じなかったけれど、ジャン=ルイ・トランティニャンの演技には脱帽だ。これほど自然で、表情筋をほとんど使わずして様々な思いを表現できるとは。エマニュエル・リヴァも凄かった。カーテンコールがあったら指笛だ。

[追記]
そうそう、大事なことを書き漏らしていた。ハネケ監督の作品を観るのは、これで3本目だと思うけれど、まさか「愛することは美しい」とこんなにストレートにわかりやすく描く人だとは思ってなかったのでいささか驚いた。遺体が放つ悪臭から始まり、介護の不安が見せる悪夢など辛いことも描かれているから、きれい事に収まらず本当に美しいと感じられるのかもしれない。「愛することは美しいのだー」と観た後、しばらく叫んでいたことであった。

妻アンヌ(エマニュエル・リヴァ)/夫ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)/娘エヴァ(イザベル・ユペール)

AMOUR
監督:ミヒャエル・ハネケ
(こうちコミュニティシネマ 2013/10/15 高知県立美術館ホール)

きっと、うまくいく

面白い!「ハッピーじゃなけりゃ、エンドじゃない」、それがインド映画の法則でっす。
そうかぁ、インドでは貧富の差が大きくて、子どもを安定した職業に就かせるために親は必死で大学に送り、学生はプレッシャーと競争にさらされ自殺者が出て問題になっているのか~。というようなことを背景に、娯楽街道まっしぐら。ハッピーエンディングまでシモネタ、出産エピソードを交え~の、三馬鹿の篤き友情と親子の鉄板泣かせの葛藤劇に加えて教育ローン、もとい教育論などを打ち上げ競争に物申し、雄大な山奥へとロードムービーしながら花嫁奪取などもやらかして恋愛映画的にも見せ場があり~ので、いやはや、てんこ盛り、ニコニコ、ごっつぁんです。
だけどね~、一番驚いたのは、親友か家族かの選択を迫られたラージューのとった行動だ。いやもう、死んだと思って息を飲んだもんね。でも、考えたら彼は無事で10年後の今を生きているのだった(笑)。

カメラマンになりたいファルハーン(R・マドハヴァン)/自信がなくて神頼みのラージュー(シャルマン・ジョシ)/機械大好き天才ランチョー(アーミル・カーン)/スかしっ屁チャトル(オミ・ヴァイディア)/恋の風が彼女にも吹いたピア(カリーナ・カプール)/教師としても親としても伸びしろが大きかった学長(ボーマン・イラニ)

3 IDIOTS
監督:ラージクマール・ヒラニ
(2013/10/12 あたご劇場)

そして父になる

親子って血のつながりじゃないと改めて感じさせてくれる作品だった。
子どもの取り違えがわかったとき、100%生みの親の元に戻すことになると作品中で言われていたけれど本当かな?いっしょに観た母は、赤ん坊の頃にわかったのならともかく、この映画の年齢になっていたらそのまま育てるそうだ。3歳くらいならどうかと聴くと可愛い盛りなので(引き渡す気はない)とのことだった。そうすると血のつながりのある子どもと別れることになるがと突っ込むと、それはそれで構わないということだった。私も同感なので、100%はないだろうーーーと思った次第。そういうわけで、この映画の本当の結末は再び子どもを交換して、子どもたちにとっても「めでたしめでたし」と勝手に思っている。

それにしても、良多(福山雅治)って鈍かった(^_^;。子どもとの愛情交換がうまくできていなかったからかな。それは彼が両親とうまく関係性を築けて来られなかったせいかもしれない。父(夏八木勲)との間はギクシャクしているし、子どもの時分は継母(風吹ジュン)になじめなかったようだ。仕事はできても「○○は斯くあらねばならない」という観念が強すぎて、子どもまでそれに当てはめようとするのも痛い。これまで何でも思いどおりにできてきたから人間がこなれてないのだと思う。子育ては思いどおりにならない最たるものだろうから、良多も子どもにこなしてもらえって感じだ(笑)。親になるには愛情が必要なんだと思う。(自分の分身として愛するのはダメだ。子どもを分身と思っていたから良多は血縁にこだわったのかもしれない。)彼は自分が子どもに愛されていたとわかった時、初めて愛情を感じ親になれたんだと思う(愛情返し)。

感動してちょっとうるうるっときたのは、河原で母親同士(尾野真千子と真木よう子)が思いを共有するシーンだ。コメディ・リリーフ的存在の斎木(リリー・フランキー)も面白かった。沖縄の空「琉晴(りゅうせい)」という名前もいいなぁ。

監督:是枝裕和
(2013/10/06 TOHOシネマズ高知7)