へんてこだー(笑)。市川崑監督の『竹取物語』もまっさお(笑)。
団地ってなんでもありってことなんだろうなぁ。それはナゼかとたずねたら、色んな人がいるから。
色んな人がいること、つらいことがあっても何とかなるから大丈夫ってこと、ヘソの緒は大事ってことを受けとめた(笑)。
ラストシーンで亡くなったはずの息子が団地に帰ってくる。夫婦(藤山直美と岸部一徳)は、息子が亡くなってから団地に引っ越してきたはずだから、観客は「???」となる。作り手は、観客の好きに解釈してほしいのだろう。私はパラレルワールドだと思った。『ラビットホール』もまっさおだ(笑)。
(2016/09/10 あたご劇場)
ラブ&ピース
『地獄でなぜ悪い』の長谷川博己、よかった!『進撃の巨人』(前編しか見てない。)の彼もよかった!そして、『ラブ&ピース』もよかった!おかげで「己」の読み方を覚える気になった。「巳=み」で「己=き」。ヘビに見えるのがヘビではないので、「ウリにツメあり、ツメにツメなし」式に覚えた。日記の「記」のつくりと覚えてもよし。
アホらしかったけれど楽しかった。
(2015年高知オフシアターベストテン上映会 2016/07/02 高知県立美術館ホール)
オンシジウムの株分け
本日は、いただいたオンシジウムを株分け。
昨夜、色んなサイトで蘭の植え替え方法を予習して、今朝、素焼きの鉢と水苔を買ってきた。よく見ると鉢はイタリア産で水苔はチリ産だった。
鉢から簡単に株を取り出せるかと思ったら、そうではなかった。予習で見たサイトでナイフを使っていたのは、そういうわけか。古い水苔を取り除き、株を分けるのも手こずった。根を傷つけないようやさしく扱うなんて無理。でも、土じゃないので虫がいないのはイイと思いながら黙々と作業して、終に一鉢が三鉢になった。植え替え・株分けの適期は4月なので、失敗の確率は高そうだ。
小さな園芸館-オンシジウム(特徴)
小さな園芸館-オンシジウム(管理)
洋ラン専門店くろやなぎ農園-洋ランの植え替え方をお教えします
Dendrobium Blog-デンドロビュームの植え替え(水苔で植える)
メモ
- 4月に友だちからもらったハツユキカズラとディモルフォセカは、ハツユキカズラその1は元気。その2は思わしくない。ディモルフォセカは下の葉っぱがよく枯れるが、なんとか生きている。
- 5月に挿し木したローズマリーは、2本成功。鉢植えと地植えにした。
- アロマティカスの挿し木9鉢、100%成功。
- 金木犀の挿し木は、真夏に行ったせいか全滅。
- 9月上旬のシクラメンの植え替えは、おそらく失敗。現在、球根に白いものが発生し、植え替えから一月経つのに葉っぱが出てこない。
- 9月の中頃に鉢に種まきしたチャイブも失敗。たくさん芽が出て5cmくらいには伸びていたが、水遣りの水圧が強烈すぎたせいか、バッタリ倒れて起き上がってこない。芽が出たときは、種の中にこれが入っていたのかと不思議で、生命の神秘を感じた。余った種を庭に適当にまいたので、どれかが育ってくれたらなぁ。
- 先週はクリスマスローズに駆逐され、消えかけているギボウシを救出。小さくなっていたが、株分けできた。地植え2株、鉢植え1株。
田辺さん
私の職場では「映画のおじさん」でとおっていた。仕事中だから気を遣ってくれて、なるだけ短時間で、ささやくようにして映画の案内をしてくれた。それでも核心めいた話になると自然と大声になった。
田辺さんから信じられないような話を聴くこともあった。例えば、小夏の映画会で『海と毒薬』を上映したときアメリカ人が来ていて、映画の中で日本人が米兵を生体解剖していたことについて、「そんなことをしていたのか!」とものすごく怒られたと言うのだ。それで、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝罪して、「二度とこんなことがないようにしますから許してください。」と謝り続けたそうだ。もし、その方がこの一文を読んでおられたら、事実と違うと思われるかもしれない。ただ私は田辺さんにとっては、このとおりだったのだと思う。感じたことを感じたとおりに話す、自分の心に正直な人、それが田辺さんだった。
田辺さんを主人公に映画を作ったら、きっと上質の喜劇になると思う。下手な喜劇は笑っておしまいだが、本当の喜劇は人に生きる力を与えてくれる。窪川での原発騒動、離婚に裁判。頭を抱える大変な出来事なのに、田辺さんだとお腹を抱える出来事になってしまう。長年の自主上映活動での友人知人の他にも様々な交流があり、各所で田辺オーラを発し、旋風を巻き起こしていたことと思う。経済的には苦しいと思われ、持病もあったのに、これほど豊かな人生があるだろうか。今は涙も出るが、思い出すたび元気をもらえる人だと思う。
(シネマ・スクウェア 2016年9月号)
追記
シネマ・スクウェアには、ヤマちゃんとシネマ・サンライズのガビーさんの追悼文が載っていた。
掲載文とは異なるかもしれないが、お二人ともwebにもアップされているので、ぜひ、ご覧ください。
ヤマちゃん九月十日に急逝した田辺浩三さんのこと。
ガビーさん追悼 田辺君へ
追悼文を書くときは、様々なことが思い出されて泣けてしょうがなかった。書いたら字数オーバーで泣く泣く削った(笑)。
私から芸術家と言われて田辺さんは大層喜んでいた。他の人から「あんまり、おだてられんでー」と言われたこともあった。だけど、本当にそう思ったんだからしょうがない(笑)。還暦のときの上映会では、赤い頭巾にちゃんちゃんこで、自主上映は自己表現だと思っているのでこんな格好でやりますと言っていた。そのレベルなら私は「アーティスト」くらいに思う。「芸術家」は私にとってちょっとニュアンスが異なるのだ。芸術家には一種の狂気がある。上映したい作品(というのは田辺さんにとっては主に他者に観てもらいたい作品(園子温作品は田辺さんが観たい作品))があってもフィルム代がないから、なかなか叶わない。それでも何とか上映しようとする情熱と行動力が凄まじかった。描くしかない、描かないと死んでしまうゴッホと同じだと私は感じたのだ。だから、小夏の映画会最後の上映会で「あらたな形でまたやろうと思っている」と話していたとお葬式のときに聴いて内心「やっぱり」と思った。本当に最後の上映会になるとは思ってなかった。
田辺さんは他人の言うことを聴かないというのが定説となっている。これは私が感じていたこととは違う。私は田辺さんは対話ができる人と思っていた。オフシアター・ベストテン選考会でも他の人の意見を聴いたうえで、異なる意見を述べていた。私の印象では他人の言うことを聴いているが頓着しない感じだ。うえの『海と毒薬』のエピソードは頓着しないわけにはいかないケースだが、「聴かない」人であれば「二度とこんなことがないようにしますから」とはなかなか言えないと思う。暴力や争いが嫌いで苦手だからこそ、聴けて話せるようになったのではないだろうか。そんな田辺さんを密かに尊敬していた。
あとはちょっとしたことだが、追悼文に書きかけていたのは、インドと追悼上映と誰が田辺さんを演じるかということ。
数年前に念願のインドに行ってきたと言ってお土産を二つもいただいた。インド!?本当のインド!?と驚いた。旅先で私のことを思い出してくれたのね。旅のお土産は嬉しいものだ。田辺さんにはいろんなものを頂くばかりで終わってしまった。
もし、追悼上映会があるなら作品は何がいいかな。反核原発がらみで『生きものの記録』とか、田辺さんが好きな映画なら『フォロー・ミー』。他にも好きな映画はたくさんあったろうけど、もっと聴いておけばよかったなぁ。
田辺さんを主人公に映画を作るとして、誰が演じるか。これは楽しい難問だ。
亡くなった後も楽しませてくれる。やっぱり希有な人だ。