トータル・リコール

自分自身を含めて誰を信じてよいのやら。
記憶って本当に当てにならない。
だからと言って記録が正しく真実かというと、そうではないこともあって、主人公はビックリ仰天するわけだ。
アクション映画にするより、サイコサスペンスにしてもらった方がよかったなぁ。
最後、疲れて眠ってしまった。

コリン・ファレル/ケイト・ベッキンセイル/ジェシカ・ビール/ビル・ナイ

TOTAL RECALL
監督:レン・ワイズマン
(2012/08/14 TOHOシネマズ高知6)

緋色の研究

A Study in Scarlet
「緋色の研究」というタイトルは誤訳だというのをどこかで読んだ記憶がある。それでだろう。「緋色の習作」と訳したものもあったと思う。どうして誤訳なのか気にかかっていたんだけど。

きみがいなかったらぼくは出かけなかったかもしれないし、こんな生まれてはじめての面白い研究を、あやうく逸するところだった。そう、緋色の研究というやつをね。たまには、少々絵画的な表現を使ったってかまわんだろ?(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第3巻P84、中野康司訳)

このあとベアリング=グールドの注が入っている。

(略)この時代絵画にはしばしば「何々色の研究」という題がついていた。たとえばホイッスラーには「緑と金色の夜想曲」と題する作品があり、また彼の母親の肖像画はしばしば「黒と灰色の研究」と呼ばれた。

なるほど、絵画だと「研究」ではなく「習作」というもんね。
だけど、ホームズは上記の引用に続けて、

(略)人生という無色の糸かせのなかに、殺人という緋色の糸が一本まじっていて、われわれの仕事は、そいつを解きほぐし、ひき抜いて、端から端まですっかり白日のもとにさらすことなんだ。

と言っているので、「緋色の研究」でいいじゃないかという気がしてくる。ただし、「緋色の習作」と訳したのなら、それなりに続きを訳すだろうから、結局原書を当たらないとわからない。そこで、ふふふ、いつか読む日もあるだろうと思って買っておいた原書を引っぱり出して・・・・・と思ったが、いつか読む日は決してあるまいと処分したことを思い出した(爆)。まあ、あったとしても読めないので処分して正解である。(話のタネになってよかった。)

で、久々に読んだ「緋色の研究」は、これがめっぽう面白い。ホームズ27歳のとき、ワトソンと出会い、同居を始めて間もない頃の事件だ。ワトソンの一人称で書かれた第1部は、珍種人間に出会ったおどろきに満ちている(笑)。第1部の最後で犯人ジェファーソン・ホープが劇的に捕縛され、第2部は、事件の発端となった十数年前のアメリカでの物語となる。これがまたドキドキハラハラの連続で、ドイル卿は読者の心をわしづかみにするのが本当にうまい!

BBCの「シャーロック」第1話「ピンク色の研究」で犯人はタクシーの運転手だったが、こちらは辻馬車の馭者。毒薬とダミーを用意して、相手にどちらか選ばせて同時に飲むというのもBBCは踏襲している。まことのシャーロッキアンは、「シャーロック」を観てそういう相似性や微妙な違いを楽しめるのだろうが、私は本を読み返してBBCとの違いを楽しんでいる。
「シャーロック」シリーズ3は「空き家の冒険」から始まるだろうから、それまでに読み返して、まことのシャーロッキアン風にも楽しむぞ~(笑)。

ジェームズ・ホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント 第1番 画家の母の肖像」
「緑と金色の夜想曲」の画像もあった。
Arrangement in Grey and Black No.1
Nocturne: Blue and Gold —Old Battersea Bridge

グロリア・スコット号

ヴィクター・トレヴァーのブル・テリアがホームズの足首に噛みついて離れなくなったことがきっかけで知り合い、トレヴァー青年がよくお見舞いにきてくれたため二人は親友となったとのことだ。

ホームズ曰く、

彼は活動的で血気さかんな男で、エネルギーと元気に満ちあふれ、ほとんどの点でぼくと正反対だったが、二人ともある共通の関心をもっていることがわかった。彼もまたぼくと同様友人のいない男だとわかって、これが二人を結びつける絆となったわけさ。(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第2巻P99)

う~ん、活動的で元気な青年に友だちがいないってことがあるだろうか。もしかして粗暴だから友だちがいないのかしら。でも、そんな人がよくお見舞いに来てくれるものだろうか。荒っぽいけど細やかな気遣いができる人が、いないわけではないけれど。
もしかして、ホームズは友だちが出来たのが嬉しくて、相手も友だちがいないと思いたかったのかも。その思い込みが、流石のホームズの目を曇らせたと(笑)。

ホームズ物語に犬が登場したときの書きぶりを研究したものあり。犬は噛みついたり吠えたり吠えなかったり。あまり好意的に書かれてないので、コナン・ドイルは犬嫌いかもと結論づけられていたように記憶している。

「グロリア・スコット号」はホームズ20歳のときの事件。トレヴァー青年の父親が、ホームズの推理力に驚き、職業にするように勧めた。

桐島、部活やめるってよ

映画部いいな~、やっぱり映画部だなぁ(笑)。
ぎゅうぎゅう詰めの部室(^o^)。全員男子(む~ン)。

金曜日の出来事は、ジグソーパズルみたい。学校って仲の良い者同士がつるむことが多いから、その仲間同士の単位で一つのピースになっていて、ピースごとにカメラを向けた感じだ。映画部、バレー部、バトミントン部、吹奏楽部、帰宅部などに小分けにされた登場人物が、時空間を共にするときがある。それがピースのつなぎ目というわけだ。
学校という閉じられた空間が、更に閉じられた仲間同士の時空間に切り取られバラバラと提示(映写)される。朝礼から下校までの金曜日が終わったとき、(脳内で)パズルが完成して気持ちよかった。それと同時に、これからどうなるの?という強い好奇心も感じた。

土曜、日曜、月曜、そして火曜へと時間が経過するにつれて、個々の登場人物の掘り下げがある。仲間であっても一人一人違う。それぞれの人物が、なかなかに説得力があるというか、身に覚えがあるというか、身に覚えが全くなくてもわかるというか、校内青春物語なのである。バレー部の小泉君の「限界なんだよー!」という魂の叫びや、才能はあっても無目的、何をすればいいのかわからない宏樹の棒立ちぶりなど、特に印象に残った。

そして、雪崩を打って屋上へ駆け上がるクライマックス。吹奏楽部の演奏が盛り上げる(笑)。全体的にクリアーでしっとりと落ち着きのある青味がかった映像なのだが、この屋上のシーンは(前田君がドキュメンタリーを脳内変換したゾンビ映画も)夕映えの赤だ。なんだか切なく美しい。

とりとめのない青春。卒業すれば、実社会青春物語が始まるのだけれど。

映画部:前田(神木隆之介)/武文(前野朋哉)
バトミントン部:かすみ(橋本愛)/実果(清水くるみ)
バレー部:小泉(大賀)
吹奏楽部:部長(大後寿々花)
野球部:宏樹(東出昌大)/キャプテン(高橋周平)
帰宅部:梨紗(山本美月)/沙奈(松岡茉優)

主題歌:高橋優「陽はまた昇る」
監督:吉田大八
(2012/08/11 TOHOシネマズ高知3)