チタン

パルムドール受賞作という他は予備知識なしで観た。面妖。面白い。稚気があれば好きになれたかもしれないが、そうではないし、面白い以上の感慨はわかず。そのくせ、信号のない交差点でぼーっと停車したまま考えていることに気づき、あわてて発車したり。新手のコメディか、それともホラーかと思いながら見続けて、終わったときにはきわどい線を攻めている作品だと感じた。きわどいとは何のことか考えてみるに、後に残らぬ面白さと後を引く面白さの境目にこの作品があるということのように思う。

アレクシア(アガト・ルセル)に助けを求められたヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)が生まれてきた子どもを取り上げ、ラストシーンは聖家族のようだった。私にはラストシーンの続きが見える。アレクシアは、うっすらと髭が生えていたので、その後完全に男になってヴァンサンの本当の息子になるのだろう。ファザコン娘に父ができて、息子を失った父には息子ばかりか孫まで出来た。めでたしめでたし(?)。
愛なくして魅力的だったアレクシアが愛(?)することによって凡庸になり、息子への盲愛とアンチエイジングのため奇っ怪な人物に見えたヴァンサンがアレクシアを救ったことによって凡庸になった。凡庸な聖家族こそ平和の源。アレクシアにぶっ殺された人々よ、安らかに眠れ(?)。ギャスパー・ノエ監督の『カノン』を思い出してしまった。
(2022/08/01 あたご劇場)

エルヴィス

バズ・ラーマン監督らしいキンキラキンで面白かった。作り手のエルヴィス観だろうけれど伝記映画としても面白かったし(黒人居住区で育ったとか、マネージャーに搾取されていたとか初めて知った)、音楽映画としても大変よかった。社会的な背景も自然と描かれていて、ラーマン監督の最高傑作ではなかろうか(?)。
いっしょに観た妹も楽しんだ様子で「休憩するところがなかったね」と言っていた。なるほど、休みどころがないのはラーマン作品の特徴だ。
キング牧師やロバート・ケネディの暗殺事件のところでは、日本で先頃に起こった恨みによる射殺事件のことが頭をよぎり映画の世界から現実に引き戻された。

トム・ハンクスが演じた詐欺大佐を抜きにしてもショービジネスの世界でスーパースタアとして生き残っていくのは並大抵のことではないのだなあと、しみじみ感じさせられた。自然とマイケル・ジャクソンが思い浮かんだり、マドンナはえらいと改めて思ったり。本作のエルヴィス(オースティン・バトラー)はやさしいし、海千山千の世界を渡るには無垢な感じがした。どうしても戦略が必要な世界というか、欲が絡んだ世界であることに自覚的でないと才能だけでは潰されかねない。

本物のエルヴィスが最後に登場した。晩年のせいか目に力がなく身体もむくんだようになっていたが、大変魅力的で、かつ、その歌唱に圧倒されて涙が出そうになった。本当に歌のパワーってすごい。
(2022/07/18 TOHOシネマズ高知2)

トップガン マーヴェリック

こういう映画を観た帰りには、アクセルを踏み込んでマッハ10を出そうとするので私には危険な作品だ。
運転しながら若い頃の友人とウン十年ぶりに集って飲み会をしたときのことを思い出した。一人が「変わらないねぇ」と言うと、他の者も口々に同じことを言った。「三つ子の魂百まで」は、トム・クルーズ演じるピート“マーヴェリック”も同じだった。見てくれは多少老けたけれど、無鉄砲とも思える行動を起こす火の玉魂は36年前の『トップガン』さながらだ。『トップガン』より併映の『プリティ・イン・ピンク』が好きで、ヴァル・キルマーのファンとなったのも『ウィロー』からだから前作はすっかり忘れていたが、“マーヴェリック”の火の玉魂を思い出せるようにしてくれたり、“グース”のことを忘れていても大丈夫なのはありがたかった。

「三つ子の魂百まで」とは言え、年を取ると自らの意思でなくとも立場が変わり、若いときみたいにとんがってばかりはいられない。親ともなれば子を育てるためには信頼して任せる度量が必要になる。心配が先に立つと信頼するにも勇気が必要だ。親にならずとも部下や後輩ができたり、いろいろな人間関係の中で“マーヴェリック”のような葛藤を抱くこともあるだろう。いや、それほどの葛藤はないか。なにせ彼らは命懸けだからして。

それにしても私の脳みそは戦闘機の爆音に耐えられないらしく、その度に耳を塞いでいたにもかかわらず、見終わる頃にはへとへとで頭痛がしてきた。随所に笑えるところがなかったら、最後までよう見なかったかもしれない。やっぱり娯楽映画は笑えないと(^Q^)。
値千金の爽やか笑顔も変わらず、ムキムキの筋肉を維持したり脊椎垂直走りを必ず挿入する熱血健在のトム・クルーズは、きっと百まで頑張り屋さんだと思う。来年、何作目かの「ミッション・インポッシブル」が公開されるとのことで、予告編がめっちゃカッコよかった。うひゃ~、見る見る~!そして、たまには小品にも出演してほっとさせてもらいたい。出演料が高くて難しいかもしれないけれど。
(2022/06/24 TOHOシネマズ高知7)

大河への道

とても楽しかった。江戸時代と現代の各パートを楽しめる1本で二度おいしい映画だ。俳優は各人が江戸と現代の二役なので、役者合わせなど細かいところを含めると幾重にも楽しい。また、楽しい中にも善を目指す方向性があり、これぞ全き娯楽作と思う。

地元の脚本家加藤(橋爪功)が語る大河ドラマの脚本案の部分は、伊能忠敬の死後、遺志を汲んで日本地図を完成させようとする地図隊員の後世の人のためにも正確な地図をという志や、その労をねぎらうモノのわかった殿様が描かれ、歴史に大きな名を残さなかった言わば市井の人の働きが顕彰されている。
地元の偉人伊能忠敬を大河ドラマの主役に推すべく、まずは脚本を依頼した市役所の職員池本(中井貴一)の部分は、結局、加藤の脚本案では伊能忠敬が主役ではないので、自ら脚本を書こうと加藤に弟子入りし一から学ぼうとするところで終わる。五十の手習いと言ってもよく、伊能忠敬が隠居の年で地図づくりを始めたこととも相通じる。やろうと思ったときが始めどき。清々しい幕切れだった。

帰り道で思い出したのだが、この作品は時代劇を担えるスタッフや俳優が段々少なくなっていることに危機感を覚えた貴一くんの企画だった。えらいなぁ、貴一くん。もちろん現代劇も時代劇も演じ分けお見事。さらにお見事だったのは、松山ケンイチ。現代劇のツッコミと時代劇のボケ。こんなにコメディができる人だったとは嬉しい驚き。私の中で株が上がった。北川景子の美しさと時代劇の粋な台詞回しと身のこなしもまあまあよくて、ずっと見ていたかった。
(2022/06/22 TOHOシネマズ高知5)