由宇子の天秤

タイトルからすると、作り手は由宇子(瀧内公美)の天秤(ジャッジメント:判断)が正しかったかどうか、あなたならどうしたかと観客に投げかけているように思う。私は自他共に認める単純な人間であり、小心者でもあるからお天道様に顔向けできない真似はしたくない。良心が痛むようなことをすると自分が苦しい。しかし、神は死んだといわれて久しいし、大人になると綺麗事だけではすまないことも多いし、嘘をついたり本当のことをしばらく隠したりする由宇子の判断をやむを得ないと思って観る人も多いと思う。何よりドラマには葛藤が不可欠だから、由宇子の一つ一つの判断がサスペンスを生むのが面白い。私自身は、由宇子が自作のドキュメンタリーの放送日までメイ(河合優実)の子宮外妊娠を伏せたことはアウトだ。子宮外妊娠をよく知らないからかもしれないけれど、2週間経ったら赤ちゃんはけっこう大きくなるんじゃないの?大出血ってことになったらと思うと恐くて仕事を優先なんてできない。それができる由宇子はなかなかの博打打ちだ、さすが主人公と感心して見ていた。

由宇子はメイの父哲也(梅田誠弘)に彼女を妊娠させたのは由宇子の父(光石研)であることを告げた。なぜ告げたのか。それは、哲也が娘が売春していたという噂を信じていたのを正すためだと思う。由宇子はメイを疑い傷つけてしまった。そのせいで絶望したメイは死のうとしたのかもしれない。それはドキュメンタリー制作で取材していた女子高校生とも重なる。メイを傷つけたことに対しては良心の呵責もあったろうと思う。メイのために自分が事実と判断したことを告げたのだと思う。もしかしたらタイトルは、この判断のことを指しているのかもしれない。

報道の暴力、性暴力、いじめという言葉の暴力、加害者の家族というだけで責める世間の暴力。様々な暴力が織り込まれていて見事な脚本だ。力のある作品だが好きかどうかは別の問題。私にはあまり気持ちのよい作品ではなかった。

(2022/04/13 あたご劇場 監督・脚本:春本雄二郎)

ベルファスト

ケネス・ブラナー監督とは同世代で、今まで観た監督作品から勝手に親しみを感じているけれど、ベルファスト出身とは知らなかった。フィクションも織り交ぜているとは思うが、どうしても1969年当時の自伝と思ってしまう。作品から感じられるのはやはりベルファスト愛だ。両親が好き、祖父母も好き、幼友達やご近所さんも遊んだ場所も好き(おじいちゃん、サイコー(^o^)!)。そんな大好きな人を残して故郷を去った理由と、その体験から望むこと、言いたいことをノリノリ音楽にのせて描いている。子どもの生命力と大人の包容力と舞台演出家の茶目っ気がが詰まった愛しくなるような私好みの作品なのに体調悪しで前半ウトウトが痛恨の極み。
その頃の日本は大学生がデモなんかをしていたかもしれないが、私はニャロメを描いていたか。仮面の忍者赤影の真似やシェーは卒業していた気がする。三億円事件の話をしたり、カラスノエンドウの笛を鳴らしながら下校していた頃、ケンちゃんは大好きな人たちとお別れして言葉も違う街へお引っ越しだったんだ。

北アイルランド関係作品メモ
『ライアンの娘』『麦の穂をゆらす風』『マイケル・コリンズ』『クライング・ゲーム』
(2022/04/04 TOHOシネマズ高知5)

トーベ

友だちにムーミンシリーズはアニメと異なり面白いと遠い昔に薦められたが読んだことはなく、挿絵を見て繊細でいい絵だと思うだけだった。この映画で「ムーミントロール」のお話が少しはわかるかもしれないと期待していたが、トーベ(アルマ・ポウステイ)の話であってムーミンの話ではなかった(やっぱり)。
トーベの父ビクトル(ロベルト・エンケル)は著名な彫刻家、恋人アトス(シャンティ・ローニー)は社会主義の議員、もう一人の恋人ヴィヴィカ(クリスタ・コソネン)はブルジョアの舞台演出家。恋愛については恋人が二人いるだけあってキスシンーンガ多くやや引き気味(^_^;。むしろ確執のあった父との関係がパターンではあるが、もらい泣きだった。

ムーミンのようなイラストは芸術ではないというのが父ビクトルで、その影響を受けてトーベも絵画作家は芸術家、ムーミンのような絵とお話を売るのは芸術家ではないという認識だったようだ。なんとなくわかるような気もする。イラストレーターはアーティストだと思うけれど芸術家と呼ぶのは何かちょっと違う感じがするから。ただ、トーベが「作品は私自身よ」と言っていたようにムーミンの絵もお話も彼女自身だと思う。ムーミンは発表するつもりではなかったものだから尚更のことと思う。ヴィヴィカが「煙草を吸う女性」の絵を大好きだと言ったときと、ムーミンを上演して大成功を収めたときのトーベの喜びはいかばかりか。父に認められなかった自分がヴィヴィカに認められ大衆にも受け入れられたのだ。そして、父の遺品を整理していてムーミンの新聞連載などをスクラップしていたことを知ったとき、そう、そこが泣き所。間違いない。

世の中には心が不自由な人がいる、というかどんな人も時と場合によって自由になったり不自由になったりなんだろう。トーベは比較的自由な人だ。自分の感情に正直で環境(人間関係)も自由でいさせてくれるラッキーなものだった。芸術も恋愛も思いどおりにはならないが、区切りをつけて新たな一歩を踏み出すことが自由ってもんよという映画(トーベ)だったように思う。
(2022/04/01 あたご劇場)

ナイトメア・アリー

お金を掛けたデルトロ節。『デビルズ・バックボーン』の昔からホルマリン漬けが好きだなあ。(クライマックスはうへぇと思いながらも全体的に)面白く見た。上映時間の長さを感じさせられたわけではないけれど、この話なら2時間弱にしてほしかった。また、不満があるわけではないけれど、スタンをブラッドリー・クーパーより翳りのある俳優が演じたら「哀しみ」がプラスされたかも。だけど、それはピート(デヴィッド・ストラザーン)と被ってしまうから、やはりこのままでいいのだろう。ピートとジーナ(トニ・コレット)のカップル、いいなぁ(^_^)。
人の心を操る楽しさ(全能感と金儲け)と恐ろしさを描いていて、どんな因果があろうともそれは悪いことだとハッキリきっぱりの健全な娯楽作。やっぱり、ギレルモ・デル・トロ監督作品は良い。
エズラ(リチャード・ジェンキンス)、恐かった。こういう業を背負った人には近づかないに限る。リチャード・ジェンキンスは素晴らしい役者だ。今更ながら気がついた。
(2022/03/28 TOHOシネマズ高知3)