アンチ・マンU

欧州チャンピオンズリーグ(CL)決勝戦で、マンチェスター・ユナイテッドFCは1ー3でFCバルセロナに負けた。
ジェームズはどうもアンチ・マンUらしく、「マンUサポーターは、皆おそろしく静かになっちゃいましたとさ。」とか「うちらマンUは、言ったとおりに勝つもんね」と(言ってたくせにみたいなニュアンスで)ツィートしてた。
当然、マンUサポーターやそうでない人たちから「来年のCLを考えてたから静かなのよ」「リヴァプールは、CL出場は無理だろ」とか。気の利いた人は「ジェームズ・サットンは小躍りしちゃいましたとさ」とツィートして、ジェームズから「しぃぃー」と返されていた(笑)。
CL出場は無理なんて言われると言い返さずにはいられないのか「5回優勝。」とジェームズ。すると相手も負けじと「過去の栄光に生きている」。ジェームズの返事、「(負け試合の)今に生きてくださいな。」だって。
さしものジェームズも「(マンU、プレミアリーグで)19回優勝。」と知り合いに言われたら「あ痛~」と言うしかなかったけれど、密かに(?)ブライアンという人のツィートをリツィート。ブライアン曰く「1977 * 1978 * 1981 * 1984 * 2005 *5回優勝。 (19回優勝のバナーなんかケツに貼ってろい!)」。
お話変わって、「僕は主役を演じている」という書き出しに、「えええ!?お仕事?」とザワついたのは束の間。「僕自身の『ザ・二日酔い』というヤツの」と続いたものだから、「ああ、いつものヤツね」と心穏やかに。
「へんてこな日本人とヘザー・グラハムのコメディ以下の。自己嫌悪付きで。」だそうな(?)。

ブラック・スワン

面白かった。やっぱりホラーだった。それに山岸凉子だった!!!
ニナ(ナタリー・ポートマン)を主役に選んだ芸術監督兼振付師トマス・ルロイ(ヴァンサン・カッセル)は、ハラハラものだったろうけど見る目があったというべきか。もちろん、称えるべきは壊れそうになりながらも役の心をつかんだニナだろう。また、ナタリー・ポートマンのアカデミー賞主演女優賞受賞に文句なし。彼女の映画になっていたと思う。音楽もよかった。
それにしても母エリカ(バーバラ・ハーシー)の呪縛がなかったらニナの役作りの苦労はもっと軽くなっていたはずだ。主役抜擢のお祝いケーキの件から、ああ、早くこの母親から離れるのだと念じ続けていた。芸術家として黒鳥になるための血の滲むような努力と、母に括りつけられた巣から飛び立つ労苦が重なっているわけだが、問題の根は母親にあるのだから、それをクリアすれば万事OKなのだ。(同性との付き合いまで干渉するのだから異性となれば干渉どころじゃないかも。それに妊娠したためキャリアをあきらめざる得なかったなんて、さんざん聞かされたせいで、ニナは妊娠恐怖症になったんじゃないだろか?)
リリー(ミラ・クニス)の強い瞳は魅力的。可愛さがあるのがいい。
ベスが登場するたびにウィノナ・ライダーに似ていると思い、ラストクレジットで真っ先に確認したかったが、重鎮みたいにおしまいに出てきた。う~ん、最早そういう位置なのか~。
鳥肌のぶつぶつから毛が生えて羽になってバサッとメタモルフォーゼを遂げる。この鳥肌は大画面のものだろう。『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』の血管に次ぐ(というか同じくらい)映画の技術的進歩を実感した。
BLACK SWAN 監督:ダーレン・アロノフスキー
(2011/05/28 TOHOシネマズ高知1)

アジャストメント

う~ん、よくわからなかった(しょぼ~ん)。
政治家が主人公でどんだけスケールの大きい話になるのかと思ったら(しょぼ~い)。
運命に抗うって私の柄ではないのだ。流れに身を任せる方が楽ちんだもの。
しかも命がけで運命に抗うって(^_^;。
それが恋愛って(ひゅるる~)。
いやいや、浪漫派の命がけの恋愛っていうのは好きなんだけど、普段、命をかけてもいい対象として考えているのは溺れている子どもを助けるとかで、それもイヤだけどしょうがないというくらい命をかけるのに消極的なのだ。(だから、命がけで誰かを助けるなんてことも結局出来ないと思う。)
そんなわけで、図書館みたいな調整局とか、いろんな建物がきれいで目には楽しませてもらったけれど、わからなかったというのが正直なところ。
デヴィッド・ノリス(マット・デイモン)
エリース・セラス(エミリー・ブラント)
ハリー(アンソニー・マッキー)
リチャードソン(ジョン・スラッテリー)
チャーリー(マイケル・ケリー)
トンプソン(テレンス・スタンプ)
THE ADJUSTMENT BUREAU 監督:ジョージ・ノルフィ
(2011/05/28 TOHOシネマズ高知5)

小三治

感動した。
芸をきわめるうえでも、人間を磨くうえでも大切な金言がたくさんあったと思う。でも、どんなこと言ってたか・・・・忘れた;;;。
小三治はCDで二つくらい噺を聴いたことがあるだけの人でよく知らなかったが、このドキュメンタリーでわかったことがたくさんあった。噺のゆったりとした間に感心。ある程度自信がないと、あんなに間は取れない。(この映画の間も素晴らしい。)芸にも感心。聴かせるねぇ!魅せるねぇ!鰍沢などチャレンジする姿にも感心。いやはや感心しきりであった。
歌唱トレーニングで普段弟子に言っていることをコーチから言われているとぼやくのが可笑しかった。なんて言われてたっけ(^_^;、忘れたけど、何でも道を究めようとするときに大切なことは大体同じなんだな。
兄弟弟子とステージ上で対談風に話したとき、小三治はその兄弟弟子の存在に救われていることを笑いを取りながら婉曲的に話していた。裏を返せば、どれだけ厳しくしんどい思いをしているかの表れでもあったわけだが、兄弟弟子はそれをわかっていて、「アイロニーだね。悲哀があるね。」と言っていた。これには思わず落涙。ちゃらんぽらんに見える兄弟弟子だったが、わかっていてくれたんだー。
えーと、なんだっけ。小三治が50歳を過ぎてわかったと言っていたことは。そんなこと、とおから私はわかっていたよということだったんだけど、これは私の驕りだと思った。おそらく頭でわかることと、本当に身をもってわかることは違うのだと思う。だから噺家は50からが勝負だね。(噺家に限らず50過ぎてからの人相は怖いな~。)
噺家は厳しく怖いと思うわけ。
映画の中で志の輔が、尊敬できる噺家は皆落語と格闘していると言っていたけれど、それは本当だと思う。だからね~、そういう噺家は目つきが鋭いんだなぁ。それで、この鋭さが取れてくると名人なんだなぁ。
なにも人となりが芸に出るのは落語だけじゃないけれど、目つきが鋭いのは噺家に多いから厳しい芸だと思う。
行き当たりばったりに書いていると長くなった(^_^;。
大方忘れた小三治の台詞だけど、一つ覚えているのは弟子の真打ち昇進時の口上で「先が楽しみだ」と言ったこと。楽しみというのは、どんな素晴らしい噺家になっていくのかということだけでなく、こんなことしてたら、こんなになっちゃったというのも、また楽しみというものだ、とまあ、そんなことを言っていた。成功しても失敗しても弟子は弟子。成功しても失敗しても善しという師匠、あっぱれ。見守ってくれる師匠がいるというのは、たとえ文字どおり見守るだけであったとしても、ありがたいことだと思う。
監督:康宇政
(2011/05/27 喫茶メフィストフェレス)