大フーガ

『敬愛なるベートーヴェン』で初めて大フーガを耳にして、もう一回ちゃんと聴きたいと思っていたのを思い出し、弦楽四重奏第13番を購入した。アルバン・ベルクとスメタナのカルテットで、いずれも1982年の録音だ。

どちらの盤も第5楽章(カヴァティーナ)の後に大フーガを演奏している。毎晩寝床でイヤホンから聴いているが、カヴァティーナで気持ちよく眠りかけたところを、大フーガでたたき起こされる。まだ「ちゃんと」は聴いてないが、この13番はとても気に入った。特に大フーガが素晴らしい。巨大マグロを解体する職人の包丁さばき、・・・・・みたいな。

解説では晩年の作品は、精神性が深まり幻想的な色合いを濃くしているとのことだ。確かに、私がベートーヴェンに持っていた堅牢で美麗な石城のイメージとは少し違う。頑丈で立派な古城の、窓という窓が開け放たれていて、そこから入った風が構造物に沿って複雑に舞っていく。
ああ、生で聴きたいものだ。

桂ざこば独演会

楽しかったです~。
お客さんは500人くらいのほぼ満員。
笑う気満々でどっかんどっかん受けていました。
ひろばさんは名前を覚えてもらうために、名前の候補が四つあって・・・と話し始めるのが奏功してバッチリ覚えました。お若いのに力みがなくて、なかなか聴きよかったです。将来有望と思うなー。
ひろばさんが話しているときに携帯電話で話し始めたお客さんがいて、その後の都んぼさんが、すかさずケータイの電源は切ってねと話し始め、ケータイ・エピソードで笑わせるのが流石。オーバーアクションが面白い。
我が町では午後五時に「恋は水色」だっけ?タイトルはよく知らないのですが、時報の音楽が流れるのです。けっこうな音量で。
それが、ざこばさんの二つ目の話の途中で五時になったので、会場にもそれが聞こえてきて、なかなか鳴り止まないので、ついにざこばさん「なんか鳴ってますな」と(笑)。
で、ちょうどろくろ首の娘のところに婿養子に行く決心をしたところだったので、「祝いの曲か哀しみの曲か知らんけど」と続けて話につなげるとは、余裕でしたわ~。
一つ目の話「子は鎹」の方が、ちと涙も誘われるようないい話でしたけどね。
以下は演目。多分途中までで終わったのもあると思います。
桂ひろば「大安売」負け続けのお相撲さんの話
桂都んぼ「七度狐」旅人が化かされる話
桂ざこば「子は鎹」別れた夫婦が二年後復縁する話
 中入り
桂千朝「替わり目」女房が出て行ったと思った酒飲みが一転女房に感謝する話
桂ざこば「ろくろ首」ろくろ首の娘のところへ婿養子に行って逃げ帰る話

NINAGAWA十二夜

朝5時起き、日帰りで大阪松竹座へ行ってきました。
菊之助目当てですけど、亀治郎、ブラボー(^o^)。
お高くとまった坊太夫(菊五郎)に一泡吹かせる腰元麻阿役なのですが、今までに見たこともないキャラクターで、酒を飲むは指をねぶるは、けっして上品とは言い難い飲み食いの仕方、洞院(左團次)とねんごろな様子は艶やかに、坊太夫を仕留める様子は毒婦のように、その一挙手一投足が可笑しくて可笑しくて、「芸人」亀治郎を見た思い(笑)。本日のワタクシの笑いの99%は、亀ちゃんのお陰です。
菊之助は真面目に二役(実質三役)を演じておりまして、獅子丸(実は主膳之助の双子の妹、琵琶姫)が決闘の際、腰が引けているのが、なかなかにコメディ演技でした。こうしてちょっとずつコメディが出来るようになるのだなぁ。菊五郎父さんみたいに遊んでいると(いや、よく知りませんのでイメージですが)、喜劇もお茶の子なのかもしれませんが、菊之助は酔っぱらったしのぶ姉ちゃんをお迎えに行っていた(いや、よく知りませんが聴くところによると)真面目な弟キャラですから精進が必要なんです。目標の玉三郎さんは、真面目で(いや、よく知りませんのでイメージですが)、かつ、ちゃんと喜劇も出来るので、菊之助も大丈夫だと思います。
今回は、片思いに身を焦がす乙女心を封じて(というか小出しにして)、大篠左大臣(錦之助)の片思いの相手、織笛姫(時藏)のもとへ、左大臣の思いを伝えに行く、言わば自分の恋する相手と恋敵の仲を取り持つ役です。自分の片思いの切なさや、左大臣や織笛姫の気持ちもわかるという切なさがよく表現できていました。←これはもうお手の物。
獅子丸の姿で、大篠左大臣に対して琵琶姫の思いを小出しにするところは、もっとコメディ化できるところですね。
とにかく、踊りは美しいし、あの涼やかな声を聴くと、脳に酸素が行き渡るというか、実に心地よきかなでした。
シェイクスピアと歌舞伎の合体ということでの感想は、ちと辛口。
歌舞伎としては、主膳之助と琵琶姫の早変わりに、わかっていても「早っ」と驚かされたり、お馴染みの台詞(?)「ビビビビビ」とか「しぇー」とか「さあ、さあ、さあ」とか、うまく嵌っていると感心させられても、花道はそれほど重要でもなく残念。
シェイクスピア劇としては、言葉遊びが韻を踏んだり洒落たり台本ではよくできている感じはしたものの、うまくこちらに伝わってきませんでした。何が原因かわかりませんが、俳優の台詞回しなどの技術的なものがまだこなれてないような・・・・(←素人意見ですから気にしないでください)。
それは道化の捨助(菊五郎)でさえ、イマイチだったんです。言葉遊びの部分だけでなく、道化には重要な台詞がたくさんあるのですが、あまり心に響いてきませんでした。
舞台装置はよかったです。特に開幕の鏡!再再演ですから、鏡のことは耳にしていましたが、それでもやっぱり「おお!」と思いました。んで、大勢の人が客席から鏡に向かって手を振っていたのが可笑しかったです。この反応はロンドンでもあったのでしょうか(笑)。
まあ、亀ちゃんですね。思い出しても可笑しい・・・(笑)。

劇団四季JCSジャポネスク・バージョン

ううう、面妖なものを観てしまいました(笑)。
ジーザス・クライスト・スーパースターのジャポネスク・バージョンと言うことで、ロックの楽器に笛、太鼓、鼓に太棹三味線と和の楽器がプラスされ、「ジィ~ザース~(かっぽん、かっぽん)」と来た日には、お腹のそこからふつふつと笑いが込み上げてきましたよ(^o^;)。
歌舞伎のように全員が隈取りメイク。黒子ならぬ白子が、大八車のような舞台装置をせっせと組み合わせることにより、壁が出来たり道が出来たり神殿になったり。
思ったよりダンスなどの動きが少なく、これも和のテイストかしら、もっと狭いところ向きかもねと思ったり。
スピーカーを通すと声が割れてしまい、せっかく上手く訳した日本語の歌詞がところどころ聴き取りづらかったです。
それに皆さん美声で声質が似ているというか、歌い方が似ているというか、音域のものすごく広い一人の人が歌っている感じがしないではないというか、舞台のどこでどの人が歌っているのかわからないところがあったりして。これもスピーカーを通すデメリットでしょうか。素人にはよくわからないままの言いたい放題ですが。
しかし、最大の難点は、役付きの方々の演技がイマイチだったことです。
さすがに皆さん歌が上手くて、ユダのこぶしの利いたというか、喉を痛めるんじゃないかとも思える慟哭系の歌に鳥肌が立ったりもしたのですが、どんなに思いを込めて歌っても、皆さんそれぞれがワンマンショーなんです。登場人物同士の思いが絡み合っておりません。
特にイエスの人は頑張ってほしいと思います。最後の晩餐からゲッセマニの葛藤を経て覚悟を決める心の揺らぎが表現できてなくて残念。
こんな調子で歌詞を聴き取れないところがあり、演技がイマイチとなれば、キリスト教になじみのない観客には理解が難しいのでは・・・と心配しておりましたら、帰り際「信者に裏切られたという話か、よくわからなかった」と話している人の声が耳に入りました。え~ん、もっと面白い話なんだよ~(T~T)。
ちなみに私は、やっぱりユダが可哀相でした(ToT)。
開演ギリギリに駆けつけたので、席を探して右往左往してしましました。2階は高校生が多くて、総見かしらと思ったくらいでしたが、ここかなと思って近づくたびに、その高校生の皆さんが、さっと足を縮めて通りやすくしてくれるのです。その反応の良さに驚いていたのですが、終わって話しているのを聞くとハングル。どうやら韓国の高校生でしたー。楽しんでくれたかなぁ?