舞踊公演>2月大阪松竹座

2月13日に観た玉三郎、菊之助、海老蔵の舞踊公演の感想です。
●連獅子
歌舞伎と言えば連獅子というくらい、二匹の獅子が紅白のたてがみをぐるぐる振り回す様(毛振りと言うらしい)は一般化したイメージだが、ちゃんと観たのはこれが初めてだ。
次のような三部構成となった舞踊で、とても面白く3の部分では感動した。
1 狂言師の右近と左近が手獅子を持って踊る
2 法華僧と浄土僧のコミカルな遣り取り
3 親獅子と子獅子の舞
3の部分は、親獅子が子獅子を谷に落とし、子獅子が這い上がるという物語で、疲れた子獅子が谷底で休憩中、そうとは知らない親獅子がどうしたものかと心配する場面がある。この場面は俳優によって様々な演じ方があるのではないかと思う。
海老蔵の親獅子は、大変な心配のしようであった。子供の力量の見定めができていないせいか、性急であり、もう死んでしまったかとすぐに思ったようで、嘆きようが深い。この親獅子は若く、おそらく初めての子供なのだろう。若い親獅子の真に迫った嘆きように思わずもらい泣きしてしまった。
もし、團十郎が親獅子なら、子獅子(海老蔵)を多少の心配はしながらも「そのうち猛烈な勢いで駆け上がってくるぞ。」と余裕で待っているのではないかと想像すると面白い。ぜひ、團十郎、海老蔵親子で観てみたい。
連獅子のフィナーレは、待ってましたの毛振りだ。
海老蔵は始めから猛烈な勢いで振り回していた。最後までこの勢いが続くのかというと、続く。おそらく始めから終わりまでスピードを落とさず回し続けるというのが海老蔵が自分に課した任務だ。がむしゃらで美しいとは言い難いけれど、海老蔵らしく熱いオーラを発していた。
子獅子の右近くんは大変賢い。初めはゆっくり振り回し、おしまいになるほどスピードを上げていく。だから、最後になるにしたがい、どんどん盛り上がっていく。振り方もたてがみが円を描くようで美しい。
毛振りの場面ではどちらが親かわからないなどと言われていたらしいが、海老蔵はちゃんと親に見えたし、右近くんは子に見えた。若い親獅子が観れてよかったと思う。
京鹿子娘二人道成寺と長唄については、また今度。

桂文珍の独演会

夕べ、両親と一緒に笑ってきましたー(^o^)。
弟子の楽珍さんと三味線漫談(都々逸)の内海英華さんが前座や間に入ってくれて、文珍さんの登場は計3回。
楽珍さんは「手水回し」、文珍さんは演目名はよくわかりませんが、「酒飲みの酒売り」「お茶屋に息子を迎えに行くやつ」「電脳心中」の三つです。
「電脳心中」は文珍さんが作った落語でCDでも聴いたことがありました。家に帰れば肩身の狭い中年サラリーマンが、パソコンのバーチャルゲームで理想の女性に文楽でおなじみのお初と名付け、自分は徳兵衛として遊ぶという噺です。CDで聴いていると文珍さんは、歌舞伎や文楽のまねがとても上手で、生で聴きたいと思っていたのでちょうどよかった。文珍さんのうなる義太夫、よかったです。「電脳心中」は文珍さんの持ち味を生かした文珍さんらしい噺ですね。
ところで昨日は、私にしてはハードスケジュールでした。
1月に銀行の届出印を紛失したため、取引のあるところ4カ所へ改印の手続きをしにいったのですが、まあ、金融機関によって手続きや本人確認など色々違いがあって面白かったです。
ちなみに紛失した印鑑は四半世紀以上も愛用してきたもので、これまた同様に愛用してきたハンコ入れと共になくし、本当に残念でたまりません。誰か拾ってくれてないかなーと警察に届けまで出しましたが、梨のつぶてで一月半経過・・・・。
新しいハンコもハンコ入れも、そのうちなじんでくるのかなぁ。前の方がよかったなぁ。
で、改印手続きを終えて、映画を観ていったん帰宅してから、文珍さんを聴きに行ったという一日。笑いで締めくくれて、疲れも吹き飛んだ一日でした。

第九コンサート

本日、イオンホールで催されたコンサート、友達が合唱で参加しているので見に行ったんだけど、よかったー(うるうる)。感動しました~!
前半はオーケストラの演奏5曲、そして、第九の第4楽章という流れで約1時間の予定らしかったですが、実際はブラボーの掛け声と盛大な拍手とアンコールがあって1時間半弱のコンサートとなりました。
指揮は横島勝人、オケは立命館大学交響楽団(51名)、合唱は高知第九合唱団(82名)。ベートーベンの初演のときもこれくらいの編成だったそうです。
いや~、なんですね、大学生って可愛い~~。こんなに可愛いと、高校生、中学生との見分けがつきません(汗)。
こんだけ若いとオーケストラって活きがいいですね。ちょっと息が合わないところがあったり、弱音やゆっくりのテンポのところがこころもとなかったりしましたが、全体的に大変上手だと思いました。ちゃんと綺麗な音がでていました。思いっきり「吹きます、弾きます、叩きます」って感じで気持ちよかったです。選曲も元気のいい曲がピッタリ。
女性が多くてコンサートマスターも女性。打楽器も女性が多かったな~。「雷鳴と電光」の大太鼓とシンバルは女性ですよ~。シンバルを叩き続ける腕力は相当なものでしょう。腕立て伏せ、やってるね。
第九第4楽章は、楽器のパートからパートへ移行していくところを一つの流れとして自然に演奏するのは難しいのかなぁ。と思いながら聴き始めたのでしたが、いつしか引き込まれ、おしまいには感動の涙でした~。
というのも合唱団の皆さん、きれいな声が出ていました。ほとんどの方が暗譜、暗唱です。なんか、意気込みを感じました。強弱も緩急もあって、おしまいには盛り上がる盛り上がる~。ソロの方々もよかったですし。
特に男声パートが力強かったです。テノールで声質がよくとおる方がいらっしゃいますねー。とってもいい声。合唱の場合、もう少し柔らかめに発声すると更によくなりそう。
聴きに行く前は、第九の合唱は聴くより歌う方が断然気持ちイイだろうなぁと思っていましたが、これだけ素晴らしい演奏(合唱)をされると、こちらの方もかなりの高揚感がありまして、本当によかったです。ありがとうございました。
高知音楽フェスティバル2007
県民が歌う歓喜の歌「第九2007」
12月23日15:00からの公演を鑑賞
1 クリスマスフェスティバル(L・アンダーソン)
2 「こうもり」序曲(J・シュトラウス)
3 ポルカ「雷鳴と電光」(J・シュトラウス)
4 ハンガリー舞曲第5番(ブラームス)
5 行進曲「威風堂々」(エルガー)
6 交響曲第9番第4楽章(ベートーベン)
7 アンコール「きよしこの夜」/2コーラス目は観客も合唱。私の隣のおじさんが、すごくきれいな声で上手くてビックリ(感動)。それにしてもクリスチャンは少数派だと思いますが、みんな歌詞、知ってますね~。「きよしこの夜」の他にも賛美歌にはきれいな曲がありますねぇ。
*パンフレットに「歓喜の歌」土佐弁訳があって、笑えた(^Q^)。でも、ちょっと感動した。(原詩:シラー、訳詩:坂本環、監修:第九事務局)おしまいのところだけ。
東から昇ったお日さんが 西へ沈む/あてかて あての道を行かぁね/おまんらぁも そうしい/みんなぁで凱旋パレードや/ほんで みんなぁ手ぇつなぎや/いじめもやめや/みんなオンリーワンやき 兄弟やき/おまん なんか感じんが?/桂浜に浮かぶ月の向こうに/室戸岬に昇る朝日の向こうに/四万十の源から湧き出る天の川の向こうに/おまんも 信じるがかよ?/まっこと 星の上には神さまがおるが!/かならずおるが!/神様は みんなぁを見ちゅうがよ!!

御園座10月夜の部

本日はキエフ・バレエ「くるみ割り人形」を観る予定(るんるん)。
DVDでいくつか見た限りでは「くるみ割り人形」の話はお子様向けのような気がして、別の演目だったらよかったのにと思ったりもするけど、音楽はいいし、見どころはたくさんあるし、「キエフ・バレエはどんな美術だろう」とか「ほんまにマトヴィエンコが来てくれるの?」とか「生オケよ~」と思うと、やっぱりワクワクしてくるなー。
観たら感想、書くぞーと意気込んで思い出すのが、10月の御園座の夜の部の感想を書いてなかったこと。
夜の部(10月20日)
 鳴神
 達陀(だったん)
 義経千本桜 川連法眼館の場
◎「鳴神」はすごくよかった。菊之助の雲絶間の姫は、賢い大人の女性だ。色気もあって色事については鳴神をリードしまくり。一方、團十郎の鳴神は色事については無垢で可愛らしい感じがして、菊之助の絶間の姫とは好一対だった。(絶間の姫の乳房を触るところでは、本当に初めて触った感じ。「柔らかくて先にぽっちりがある。これは何じゃ。」って、「本当は知ってるくせにぃ」と突っ込みを入れたくなる鳴神ではなかった。)
また、絶間の姫が鳴神をたぶらかしても、それは使命のためであって申し訳ないと独白するところでは、上人を敬う気持ちが感じられ、鳴神上人の方も敬われるだけの格を備えていて、これぞ正統派「鳴神」と思った。
◎東大寺のお水取りの儀式を舞踊にしたという「達陀」の幕開けは、夜明け前の暗い薄青の照明のなか、松明を担いで花道を入ってきた僧が、二月堂の階段を登っていく。本当に夜明け前の感じがして、なかなかよい演出だ。全体的に香の匂いが漂ってくるような独自の雰囲気がよかったと思う。
須弥壇のまわりを経を唱えながら回る僧たちが、終盤でいっせいに踊る様は土着的というか、舞踏っぽいというか、異様な迫力に満ちていた。
中盤で菊五郎演じる僧が、かつての恋人で今は亡き青依の女人(菊之助)に誘惑される場面は、誘惑されればあの世に連れて行かれそうで怖かったが、悪意のない青依の女人が哀しく、こういうのはもう菊ちゃん、お手の物やなぁ。
菊五郎の踊りは指先まで神経が行き届いていて柔らかく美しく、静かに発光していた。
◎「義経千本桜 川連法眼館の場」は、海老蔵の独壇場だと思った。これぞ歌舞伎という早変わりに次ぐ早変わり。下手で消えたかと思えば瞬時の後に上手に現れ、欄干のうえをツンツンとうさぎ跳び(狐だから狐跳び?)、宙に舞い消え去る幕切れまでよくぞ動いた、頑張った。
ただし、狐言葉を話すのに精一杯で、役はまだ海老蔵のものとはなっていない感じがした。親狐を殺され苦労したことや、親恋しさに鼓(の皮となった親)を追いかけたことなど、泣かせる話のはずが泣けなかったのは残念。
色と華は充分にあるので、自分の芸を客観的に見つめ更に磨きを掛けていってほしい。