いつも曇天、よどんだ空気、ベクトルはマイナス方向、そういう雰囲気が何だか不穏で恐かった。主人公が生きる屍状態である(生き生きと生きていない)ことが、そのだるい重さが伝わってくる。それが、12歳のときに事故で亡くなった両親と再会し、生き生きと生きられなかった彼の事情を話し、彼をまるごとわかってもらい、かつ、変わらず愛してくれるということが、彼の力になっていく。更に、心身ともに結ばれるという相手が初めてできたのだから、これから彼は本当に生き始めるのではないか。・・・・とは思えなかった。というのは、山田太一の原作は読んでいないが、大林宣彦監督の『異人たちとの夏』を昔観ており、彼の愛する相手が死者であることを知っていたからだ。
『異人たちとの夏』では両親は主人公の幸せを願い消えていくのだった。そして、恋人となった彼女は正体を現し、彼を黄泉の国へ連れて行こうとするのだった。彼は彼女を拒否し、生きることを選ぶ。ここから本当に生き始めるのだ。『異人たち』でもそうとばかり思っていたら、驚いたことに主人公は死者である相手を拒否せず、死者とともに生きるという(つまり黄泉の国へ行ったのか?)結末なのだった。
なんじゃ、こりゃーーーー!!!!????
このラストは、生き生きと生きている私には衝撃であった。つまりこれは日本では心中?心中こそ無敵である。究極の愛の形だ。この場合、相手が先に亡くなっているので後追いだろうか。
いや、このラストは、あくまでも象徴的なもので、愛した人が何ものであっても愛することに変わりはないということなのだろう。両親だって亡くなっているのだけれど、彼が愛し続けることに変わりはない。だから、彼は黄泉の国へ行ったわけではなく、死者である恋人を愛し続けるというだけのことなのだ(多分)。
原題は“ALL OF US STRANGERS”。「我ら皆、異人」という意味だろうか。確かに、一人一人異なっており、蓼食う虫と言われようが変人と言われようがお互いさまだ。主人公の父も生前、主人公が同性愛者であることをうすうす感じて隔たりがあったのだが和解できてよかった。お互い違っていても認め合おうとことなんだろう。
(2024/04/20 TOHOシネマズ高知5)