WAVES ウエイヴズ

あれこれ考えさせられる良いタイトルだ。感情は押し寄せる波、試練は乗り越えられる波。人生山あり谷あり、浮き沈みの波。わたしは愛憎の波を強く感じさせられた。

主な登場人物は、タイラー(ケルヴィン・ハリソン・Jr)、エイミー(テイラー・ラッセル)の兄妹とその父(スターリング・K・ブラウン)、母(レネー・エリス・ゴールズベリー)のウイリアムズ一家と、タイラーのガールフレンド、アレクシス(アレクサ・デミー)とエイミーのボーイフレンド、ルーク(ルーカス・ヘッジズ)の6人だけ。
ついこの間まで蜜月状態の二人が罵り合ったり(タイラーとアレクシス)、血縁の父より気のおけない存在だった継母を頭に血が上って罵倒したり(タイラー)、息子への期待が大きく支配的な夫をよくフォローしていた妻が事件を機に夫を拒絶したり。愛が憎に翻る。
エイミーは、タイラーがどん底のとき、何も聴かず優しく抱きしめていた。しかし、事件後、父に「兄が憎い」と感情を爆発させる。父が弱みを見せてくれたから彼女も本当の気持ちを吐き出すことができたのだと思う。ここでも兄への愛が憎しみに変わっているが、その後、彼女は憎しみから愛へと戻ることができた。そして、崩壊するかに見えたウィリアムズ一家は、エイミーの願いで再生できそうな感じだ。愛のパワー。

エイミーが愛する気持ちを取りもどせたのはボーイフレンドのお陰だ。
ルークは、アル中でDVの父と別れたまま長年憎んでいたが、ガンで余命いくばくもない父と再会し、優しく看取った。その様子を傍で見ていて、エイミーも兄に対する優しい気持ちが蘇ったのだ。愛の伝播。(憎い父とは会いたくないと言うルークに、会うべきだと再会を促したエイミーの思慮深さを持ってすれば、兄に対する気持ちの整理もいずれは出来たかもしれないが。)

人は、愛→憎→愛、そしてまた憎と感情の高ぶりを繰り返すのかもしれない。でも、牧師さんが2回も出てきて唱えるように愛こそすべてだ。愛に戻れるように、愛で安定するようにという作品だと受けとめた。

それにしても、肩を壊して痛み止めを飲み続けるタイラーにはハラハラさせられた。オーバードーズ(婉曲的自殺)になりはしないかと。そしたら、まあ!

印象深いところ。
タイラー、絶好調のぐるぐる回るシーン。
水底のエイミー、ブルーのシーン。
父のギラギラした目。
アレクシスが逝く人、エイミーが来る人として捉えられたファーストカットとラストカットの自転車こぎ。
(2020/07/15 TOHOシネマズ高知2)

リンドグレーン

「長くつ下のピッピ」シリーズしか読んだことがないけれど、作者のリンドグレーンがどんな人だったのか興味を持って観に行った。
そしたら、自分の気持ちに“ものすごく”正直な人だった。当世でも自分の気持ちに常に正直でいることは難しいと思うが、当時(日本だと大正時代)、キリスト教社会の村に暮らすアストリッド(アルバ・アウグスト)なら尚更だ。踊りたいときに踊り、叫びたいときに叫び、髪を切りたいときに切る彼女を見ていると、自分の気持ちに正直でいることが自由なのだとわかる。親の小言や人目があって、したいことが出来ないのは不自由だ。小言や人目に道理があればともかく、瞬時に不合理を指摘できるアストリッドの感性と知性に感服だ。
対照的なのはアストリッドの母で、宗教的なこと女性であること子どもが心配であることにがんじがらめで怖かった(^_^;。でも、不自由なのは母だけでなく父も程度の差こそあれ同様で、アストリッドに「あなたの娘の子どもは孫でしょう!?」と言われても、法的な父親のいない子どもを「孫」と認めることが出来なかった。
ただ、両親はアストリッドをアストリッドとして認めていて、困った子のような描き方はされていない。親は愛情深く、きょうだい仲良く、言いたいことを言える健全なよい家庭に見えた。

印象深いのは、アストリッドが外国で出産するため旅立つときの父親の言葉と、育て方がわからない(おまけに懐いてくれない)息子を引き取るときの里親マリーの言葉だ。不安でいっぱいの彼女に二人とも「おまえ(あなた)なら出来る」と励ます。そうだよ、できるよ、その知性、感性、行動力で、と見ている方も思うのだが、本人はなお不安そうなのだ。独立心は一日にしてならず。やるべきことがあって、それが出来て初めて身につくものかもしれないと思わされた。

こうして自由で独立心旺盛なピッピは、リンドグレーンその人だったことがわかった。晩年のリンドグレーンにあてた子どもたちのメッセージに対する解のような形で各エピソードが綴られていく映画の構成も、作品は彼女の人生を部分的に投影したものであるという主旨に基づいているようだ。

制作国のスウェーデン、デンマークでは、アストリッドと言えばリンドグレーンなんだろうなぁ。原題(UNGA ASTRID)は、ヤング・アストリッドという意味のようだ。断然、名字のリンドグレーンよりアストリッドを邦題にした方がよかったと思うけれど、そうすると「長くつ下のピッピ」の人とはわからないし、悩ましい。
(ゴトゴトシネマ 2020/07/13 メフィストフェレス2階シアター)

西洋近代美術にみる神話の世界

ラウル・デュフィ作「アンフィトリテ(海の女神)」
あまり期待してなかったけど、版画とかよかった~。町田市立国際版画美術館所蔵のジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージのエッチング「ローマの古代遺跡」などで目が覚めた!ピラネージ、すごい。どうして絵はがきがないのだろう?一般的には、すごくないのかな?ほかにもジョン・フラクスマンは山岸凉子先生の線みたいに美しい~。ピカソはさすが。オノレ・ドーミエの版画は、あんまり好きじゃなかったけど、モヤモヤした感じが「らしいなぁ」と思った。マックス・クリンガーは、また観る機会があるだろうと思ってパス(^_^;、シャガールの油絵は好みじゃないけど、版画「ダフニスとクロエ」はいいよね~。

あと、ラウル・デュフィって初めて観たけど、イイネ!「アンフィトリテ(海の女神)」も観ているといろんなものが浮かんできて(蝶がいるのも)楽しかった。「オルフェウスの行進」も好き好き♥。「アンフィトリテ」は絵はがきがあったんだけど、実物を観た後では買う気にならなかった(^_^;。

チラシにもあった「月桂冠を編む」のフレデリック・レイトンって「イカロスとダイダロス」の人だよね。物憂げな優しく綺麗な絵だなぁ。ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(ウォーターハウスって画家だったのか;;;)の「フローラ」は水仙とアネモネが咲いていていた。どちらも美少年?

神話の世界って言うから、観る前は「タイトルを見ないで描かれた神々の名前を当てる!」と思っていたのに、あんまりわからなかった~。展覧会の主旨もあんまりわからなかった~。章立ての文は読んだんだけどな~。(2020/07/07 高知県立美術館)

フォードvsフェラーリ

若い頃は努力が嫌いで、なにか目標を持って血と汗と涙(そのどれかでも)を流すということはなかった。頑張ったのはテスト前の一夜漬けがせいぜい。生まれつき易きに流れ、好きな言葉は「理想は高く、目標は低く」。今までやってこれたのは、幸運以外の何ものでもない。そんなワタクシが、世界で一人しか味わえない達成感に浸ることができるって、映画って本当に素晴らしい。

アメリカで自動車修理業を営みながら、自作の改造車でスピードレースに出場し続けている(アメリカ人からするとちょっとクセのある英国人)ケン・マイルズ(クリスチャン・ベイル)が、ル・マンの24時間耐久レースにおいて、ぶっちぎりでトップに立ち優勝確実というときの歓喜と達成感と、その後の寂寥感がたまらない。このシーンが鑑賞後5ヶ月経っても忘れられず、思い出すと何とも言えない気持ちになる。マイルズの気持ちがわかったわけではないが、共鳴してしまう名シーン(名演技)だった。

また、ル・マンで優勝経験がありレースの孤独を知る者、キャロル・シェルビー(マット・デイモン)は縁の下の力持ちで、企業イメージを保つため変人英国人を排除したいフォード社と凄腕レーサーマイルズの間に挟まって奮闘したり、ルールブックの読み込み合戦やフェラーリチームを出し抜いたりの活躍ぶり。ルールブックや出し抜きは、大金のかかったレースが綺麗事だけでは勝ち抜けない厳しさを描いており、アイルトン・セナのドキュメンタリーを思い出したりもした。

フェラーリ社長の一言にカチンときたフォード社長が発憤するコントは笑えたし、マイルズとシェルビーの名コンビも最高に楽しかった。レースシーンは、もちろん手に汗握った。ただ、この映画の真価は、成し得た者の歓喜と痛みを感じさせてくれることだと思う。それは、とても個人的で大切なもので、優勝の栄誉などはおまけみたいなものなんだろうと思えた。
(2020/02/11 TOHOシネマズ高知5 ジェームズ・マンゴールド監督)