本心

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問題山積

母(田中裕子)の本心を知りたくて、生前の情報をインプットしたAI(アーティフィシャルインテリジェンス:人工知能)とVR(バーチャルリアリティ:仮想現実)を一体化した仮想母の制作を注文した息子(池松壮亮)の話。たいへん面白かった。母子ものとしても感動した。

●ずばりAI問題。
●自死の制度化。
●言葉のすり替え。
●もはや階級となった感のある貧富の格差。

他にも労働問題など気になる問題が映画のそこかしこに散らばっていて、現世の鏡のようだった。そのうえ、大雨に濁流やお金持ちの家とそうでもない者の家など映画として見所(美術?)が手堅く、さすが石井裕也監督と思った。

仮想母に本心を聴けたとしても「本当のような本心」の域を出ないのに、そんなので物語になるのかなぁと否定的な気持ちで見に行った。そしたら、冒頭で「AIに心はない」と言われて「ですよね」と思った(笑)。
見終わってみると仮想母は、宗教か占いか、あるいは小説みたいな気がする。小説などはフィクションであっても本当らしいものが描ける。仮想母も本人でなくても本当らしいし、本心に近いことを言っているかもしれない。「本当らしい本心」で十分なのだと思う。でも、その本心に近いものが、息子に悪影響を及ぼすようなものなら、やっぱりAIだから「本当の本心」じゃないと肝に銘じて信じない方がよい。宗教や占いは人を生かすためのものでなくてはならないと私は思っているが、仮想母の受け止め方もそれと同様に良い母なら信じ、悪い母なら信じなくていいだろう。

本作とは関係ないが、AIで問題なのは学習過程がわからないことではないだろうか。それは人間のコントロールが利かないということなんじゃ(^_^;、とゾッとしたことだった(まあ、人間だって学習過程は未だ解明されてないと思うが)。肉体がないから恐るるに足らずと思ったこともあったが、イアゴーやレクター博士の例もあり、言葉だけで人はたやすくAIに操られるだろう。『ターミネーター』ではスカイネット(AI)と人類の戦いということになっていたが、AIを介して人間同士が戦うことになるかもしれない。そうなると、現在とあまり変わらない状況なので、ゾッとすることもないような気がしてきた。

自死の制度化については本作でも語られていたとおりだ。経済的な状況や心身の健康面への支援があれば自死を選択することはかなり減るんじゃないかと思う。支援もないまま制度化(優遇措置)するとかえって自死を選択する人が増えるおそれがある(仮に支援があったとしても制度化は問題だと思うけど)。本作の母が自死を選んだ理由はハッキリとは描かれていないが、認知機能の衰えの自覚があって、今後、息子に負担を掛けたくない、自死を選べば優遇措置で息子の住むところは保証されると考えてのことだったのだろうか???疲れたような生きる気力に乏しい母の姿が気に掛かる。

そもそも制度化された自死のことを「自由死」と言っていることが問題だ。選択肢がほとんどなくて追い詰められた自死も当人が選んだという錯覚を起こさせる。(余談だが近年、気になっている言葉のすり替えは「世話」を「迷惑」ということだ。保険か何かのCMで高齢者が「子どもの『迷惑』にならないように」と言っていたのを始め、テレビでよく聞く。そこは「子どもの『世話』にならないように」でしょう。老いたり生まれたばかりだったり病気や怪我などなど人様の世話になったり・したりは人間社会では避けられないことで、「お互いさま」とか「情けは人のためならず」とか言っていたのに。この言葉のすり替えは、無用な自己責任論が浸透したせいだろうか?)

貧富の差は歴然。富める者が必ずしも幸せではなさそうなのは良しとして(?)、貧しい者の間でも(でこそと言うべきか)序列つけが激しい。本作で描かれた世界は、偉大なる兄弟の姿は見えないけれど「1984」みたいなデストピアではなかろうか。そんな世界で仮想母と息子が最後に交わした会話は、夢のように美しく感動的だ。これが本当だ、真実だと思っていいのではないだろうか。

【追記】
主人公の高校時代の同窓生にそっくりな女性で、母と親しかった三好さん(三吉彩花)について。
ラストカットで主人公の手に触れそうな手が現れる。三好さんの手だと思う。触れる、触れられることに恐怖を感じる三好さんが主人公の手に触れようとしていると思った。仮想現実ではできないことだ。主人公は仮想母と別れ、三好さんと支え合いながら生きていくのではないか。宗教や占い、小説のようなものを経て生きていくのだと思う。
(2024/12/22 キネマM)

アングリースクワッド

『アングリースクワッド』の感想を毛筆で書いた画像

桁が違う

気軽に楽しめて面白かった(^_^)。
上田慎一郎監督は『カメラを止めるな!』でゾンビ物として楽しませてくれただけでなく、父と娘の愛情物として感動させてくれた人で、本作でもコンゲームの楽しさだけでなくファミリードラマとしても感動させようとする作りになっている。感動とまではいかなかったが方向性としては好むところだ。ただし、事なかれ主義である税務署員の熊沢(内野聖陽)が、「怒りのチーム」を組むというか参加するというか、そうなる原動力になるはずの、脱税王で税務署まで牛耳っている橘(小澤征悦)にいたぶられるのせいで亡くなった同僚の名前を尋ねる場面で、全く共感できなかった。この場面で私も熊沢といっしょに「腹立つわーーーー!」と思えなかったのは、役者か演出に問題があるのか、若しくは私の感覚の鈍磨か。浅野内匠頭が吉良上野介にいたぶられる場面では「ムカつくわー!」と思えると思うのだが・・・・、自信はない。

それよりなにより真矢ミキが、めっちゃカッコいい!!!!前に何かの映画で踊ってくれたときもカッコよくて萌えたが、本作でも天才詐欺師氷室(岡田将生)に資金提供する893なマダム(?)ばかりか、詐欺一味として弁護士まで演じており、怖マダムと堅気弁護士の両方がカッコいいのだ。真矢ミキ主演でミュージカル版『グロリア』か七変化ものを観たい!弁天小僧菊之助もいいなあ。

映画とは無関係だが、東日本大震災のとき“個人”で“百億円”の寄付をした企業家がいて、累進税の税率を甘くすると(?)ここまでになるのかと驚いたことだったが、橘が10億円の脱税で日本国内に資金があるんだと思うと小物やと思ってしまった。小物でも脱税する者は税金泥棒。映画の結末にはスッキリだ(^_^)。
(2024/12/14 あたご劇場)

侍タイムスリッパー

『侍タイムスリッパー』の感想を毛筆で書いた画像 残したいもの

面白いし感動した。文句があるとしたら、ちょっと上映時間が長いくらい。
昔ほどには作られることがなくなった時代劇を残したいという思いが伝わってきた。真剣勝負にしびれることがあってはならないと思うがしびれた!(芝居ですから~~。)また、幕末の名もなき侍たちが、私利私欲ではなく後の世を思い戦っていたという、その思いに感動した。暗殺はいっぱい、内戦もあり、嫌な時代だと思っていたけれど、その中の一人の気持ちに気づかされるのもフィクションの良さだ。

映画とは無関係だが、先だって被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の田中煕巳(てるみ)さんが、ノーベル平和賞受賞の記者会見で「若者にどんな未来を残したいですか」と問われて、「自分で考える未来」と答えていた。しびれた~。(名言ですから~~。)
(2024/11/02 TOHOシネマズ高知4)

デ・キリコ展

やっぱり、実物を観に行ってよかった。絵画の中の物だけでなく空間が立体的に見えて面白かった。

デ・キリコ展で観た絵の画像
「運命の春」

左の画像「運命の春」は、天井を見ると角のところは部屋の隅だと思えるが、床の方を見ると壁が切れている。画像ではわかりにくいけれど、実物を見ると壁が切れているだけではなく奥(の部屋か何か)へと続いているように見える。他にも「球体とビスケットのある形而上的室内」など奥行きとか浮遊感のある絵や、反対に狭く窮屈な感じのする絵もあった。

上の画像は、左から「形而上的なミューズたち」(図録表紙)、「弟の肖像」、「神秘的な水浴」。
図録は読むのを楽しみにしていたが、作品ごとの解説の文章が硬く内容も難しく、なんべん読み直しても全く頭に入ってこず、買ったのを後悔しているところ。(追記:後の方の長文の二つの記事の方はもっとわかりやすそうだ。)

「弟の肖像」は妹賞。私も好きだ。「死の島」などのアルノルト・ベックリンの影響を受けているという。同じくベックリンの影響下の「山上への行列」も二人のお気に入り。自画像を観て妹は「自分が好きな人」と言っていた。そういえば昔、老年期の全裸の自画像を見て私も同じことを思ったような気がする。自画像は粘りのあるタッチとくすんだ色合いが目立つなぁ(笑)。

「神秘的な水浴」は姉賞。一番笑わせてもらった。サインの下には「1939」と記されているけれど、プレートでもカタログでも「1965頃」となっている(謎)。

憂愁の形而上絵画を期待していたが、その上をいく笑える絵がいっぱいで(古典的な絵でさえ可笑しい)大満足だった。彫刻や舞台衣装なども展示されていて、あれもこれも少しずつではあるものの、90歳で亡くなるまで生涯現役の芸術家の仕事を一通り案内してもらえた感じがした。
(2024/10/25 神戸市立博物館)