私の今年の漢字

毛筆で書いた画像
「良」

今年の漢字は予想どおり。「熊」でした。
私の今年の漢字は「良」です。
1月の終わり頃から左胸の手のひらサイズの痛みが脇から背中へ広がりましたが、3月の初め頃から痛みが薄らいできて良かった~。
2月初めには足の爪がめくれて、ちぎってしまおうかと迷ったものの元のとおり指に載せて絆創膏を貼っていたら数ヶ月後にはくっついて良かった~。
5月には腹を立てて床ドン!して右踵を骨折。家事などきょうだいに助けてもらい、7月には松葉杖も返却できました。良かった~。
9月には蛆が湧き、夜中に羽化した蛾が2,30匹飛び回り、どこから!?と思ったら米からで、米袋の中だけに収まらず、物置(半畳くらい)の大掃除をしました。3人役で半日仕事でしたが掃除でスッキリ。良かった~。

このほかにも色々あったので、県外の展覧会へ行くのは自粛。それでもビアズリー展へは購入した単眼鏡を持って行けたし。原画は思ったより少なかったけれど、印刷と原画が並べてあるのを観ると見分けがつかなかったから無問題(白黒絵の強みかな)。オスカー・ワイルドがイメージしていたサロメの例に、なんとモローの水彩画が展示されていて、単眼鏡を持って行って良かった!後期ビアズリーの点描画も単眼鏡で観ると脅威を感じました。ビアズリーは毒と攻撃「性」と繊細さゆえ好きではないのですが、7歳から結核を患い25歳で亡くなるという、人生で尖った時期しか生きられなかったのだものね、無理もないです。後期作品は毒気が抜けたとはいえ執念とも思える描き込みようで、描くことなしには生きられなかったのでしょう。でも、やっぱり惹きつけられるのは「サロメ」などの好きではない作品でした。この日はコレクション展でシャガールの版画集を三作品まとめて観ることができました。「ダフニスとクロエ」「サーカス」、あと、なんだっけ(^_^;、自伝的なやつ。ちゃんと観ると、いいね!シャガール。

秋から父の訪問介護(お風呂)と運動機能維持のリハビリで週3回、専門の人に来てもらっています。自分も書道教室、俳句教室、ヨガで1週間がふさがってしまい、映画などの時間を要するイベントになかなか行けなくなりました。タイミングが合って観てきた『TOKYOタクシー』は感動して毛筆での感想は書いているんだけど本文を書く気力が失せてしまいました。

それにしても私の単純な頭では、「中国と戦争します」と言ったも同然の首相が高支持率なのは熊より怖い年の瀬です。しか~し、個人的にはいろいろ抱負があり「来年が楽しみじゃのぅ」。
皆さまもよいお年をお迎えください。って、早い?

「安野先生のふしぎな学校」とコレクション・アラカルトⅡ

「安野先生のふしぎな学校」展の看板画像

安野光雅せんせいの絵は、皆から好かれるだろうなぁ。紙に水彩で描かれたやさしい風景や小さな人々や動物のみならず、縁取りのツタなどの絵まで楽しかった。2時間近く面白く観たけれど、絵本の原画(小さいのに情報量が多い)がほとんどで、展示室B(第1展示)を出る頃には疲れてしまって、展示室C(第2展示)へ入る前に安野せんせいのテレビを腰掛けて見ながら眠くなってしまった。ちょっと回復したかなと思って展示室Cへ入ったけれど、やっぱり絵本の原画が主でポスターなんかもあったけれど、怪我した足も痛くなってびっこを引きながら、便せんと封筒を買って帰った。やっぱり、絵本で観るのが正解と思った。一冊の絵本で小一時間かかるから。

コレクション・アラカルトⅡ

シャガール部屋(第1展示室)が展示室Aになってからシャガールだけでなく、他のコレクションを展示してくれるようになって、「シャガール、イマイチ」と思っている私はひじょーに嬉しい(^o^)。今回も面白かった!

野見山暁治(1920-2023)。福岡県出身で今西中通(高知県出身)に師事した人だそう。すごい長生き!新収蔵品が9作品。紙に水彩、鉛筆、パステル、インクなどに描かれていた。板に水彩っていうのもあった(ことに帰宅して気づいた(^_^;)。

最初に展示されてあった作品を観て憤慨した。いくら眺めても何を描いているかわからないのでタイトル観たら「題不詳」。えーー!俳句でも読み手に通じなかったら夏井先生に才能なし判定されるのにぃ。「題不詳」「制作年不詳」の作品が続く。それら、植物や生き物の感じのする絵を観ながら気づく。そうだった俳句と違って抽象画っていうものがあったのだった(もしかして抽象俳句もあるかもしれないが)。そう思って振り返るといずれの作品も動きがあるのだった。抽象のように見えるけれど、本当に動きのある生き物を描いたのかもしれない。そう思いながら次の絵がババーン!「階段で遊ぶ波」

「階段で遊ぶ波」はカンバスに油彩。それまではスケッチブックに描いたようなクロッキー的な作品だったが、これは2メートル超えのタイトルもある本気の作品だ。新収蔵じゃないせいかどっかで観たことあるような感じもする。そして、動きがある!「題不詳」の作品の中には、「階段で遊ぶ波」と明らかに関連するものもあった。すべて野見山暁治財団からの寄贈だ。「野見山暁治=動きのある絵」でインプットされたが、長生きだから画風の変遷もあるだろうなぁ。

ところで今西中通は、生年1908、没年1947。あと2、3年で没後80年展か、生誕120年展かな?

暑中お見舞い2025

松葉杖を頭や手に載せて曲芸をしているカッパの絵の画像

5月に右の踵を骨折しましたが、順調に回復しております。7月に入って書道教室にも出席できて、怪我の顛末を話したらバカ受けしました(^Q^)。残念なのは、庭がドクダミの森となったことです。今年こそは雑草の庭とおさらばする決意で冬の間から春先まで草を引き通したというのに、今年も草に負けてしまいました。

朝から暑いので水遣りが精一杯。ブルーガーデンに憧れて作った青コーナーだけでもドクダミをカットしたいですが、今のところ気力なし。ご近所の迷惑になる枝などは何とか剪定しましたが、暑いとやる気ナッシングです。週に一度は混ぜ返していた土作りも、怪我でこもっていた一月あまりの間に草の山になり、もう次の冬から仕切り直そうと思います。ただし、鉢植えで楽しんできた牡丹が咲かなくなったので、10月の地植えに向けて心積もりしていた土作りは何とかしたいです。

俳句は一人で作っていてもつまらないので、いっぺんは句会に行ってみたいのですが検索しても近くではヒットしませんなぁ。

御不浄や覗く守宮の赤い目よ

上の句は実話です。もう何年も前から家の中にも出没するようになりまして、トイレに入ろうと戸を開けると慌てた守宮が隅っこの出っ張りの陰に。「そこに居ってよ~」と念じながら通り過ぎ、出っ張りの向こうにいるはずの守宮に気をつけていたら、そ~っとこちらを伺うように顔を出したのです~~。その覗き方が人さながらで可笑しい(^o^)。と同時に気持ち悪い~。というのは、普段は磨りガラスの内側から外側に張り付いている守宮を見ているだけなので、手足の形状が可愛いと思えるくらいなのですが、まともに顔を見たのは初めてで、「ヘビの顔やんかーーーー!」と。この個体はアルビノで、目が赤かったのです。このように、自分のダイアリー又はジャーナル的に作っておく感じかな。

昨年は9月に入っても朝夕が暑く閉口しました。今年はどうぞ例年どおり、処暑を過ぎれば朝晩が過ごしやすくなりますように。
皆さまもご自愛くださいませ。

石川寅治展/石元泰博展

生誕150年 石川寅治展 明治・大正・昭和を生きた画家(前期)

石川寅治展の広報ハガキの画像

高知市出身の画家(1875-1964)。88歳(亡くなる前年)まで年に2、3度写生旅行に行っていたという。1902年友人と渡米。水彩画二人展(このときの手書きポスターも展示されていた)で絵を売って、その資金でヨーロッパの美術館などを見学し1904年帰国。台湾、満州、朝鮮半島など当時の植民地へも写生に行き、日中、太平洋戦争時には海軍嘱託画家として中国や南方に派遣されたそうな。旅する画家だ。絵画教育にも尽力していたようで師範学校用の手本図画を編んでもいる。

入場して「出港」(1960油彩)が目に飛び込んでくる。第一印象は「うまいね!」。順路どおりに進むと若い頃から何を何で描いてもうまい。多分、構図が安定していて、色も形も実物そのままを描ける描写力の高さがあるからだろう。いわゆる正統派(オーソドックス)な絵だ。

今では見られない明治の風景などは懐かしい感じがする。自然はゆたかで民家は貧しい。皆、着物が普段着だ。そんな中「伯爵板垣退助像(60歳)」は、髭こそ白いが当時の60歳にしては大変若々しいと思った。服装や髭に比べてあんまり偉そうな感じがしないのは、何か憂いのある表情だからだろうか。

見終わって印象に残っているのは裸婦の絵だ。特に版画の「裸婦十種」は赤が効いていてデザイン性が高くモダンな感じ。版画を含めて、どの裸婦もふくよかでボリュームがあって、西洋画の裸婦に引けを取らない。署名の多くは「Ishikawa」に、朱書きの「寅」の字を四角で囲って落款印のようにしてある。明治維新後の西欧化の波に乗っていても日本人であることを常に意識していたのかもしれないと思った。
また、晩年は「うまい」から「面白い」に転じた絵もあって「寄せる波」の白い塊(波)に赤い断崖など、梅原龍三郎風味が入っていた。

石元泰博 コレクション展「落葉と空き缶」(前期)

石元泰博展の広報ハガキの画像

このシリーズは好きなシリーズだ。詩人のアーサー・ビナードさんは、ぺちゃんこの空き缶をコレクションしているそうで、このシリーズのことをご存じであろうか?写真で落葉と空き缶をコレクションしている石元泰博に詩心を感じる。観ていて私は死んでミイラ化した落葉と空き缶だと感じていた。残骸、死後の痕跡だと。ところが、石元さんによると「ぬれそぼった葉は踏まれ踏まれてアスファルトに食い込み、やっと葉脈だけがその存在を示していたりするその姿が、不思議にも「命ここにあり」と私に囁いているような気がしたのである。」とのことで、驚いた。八十を超えるとこのような感慨を私も持つようになるのだろうか。もしかして死後(失われた命)であっても「命がここにある」という感じ方だろうか。たしかに、葉脈だけとなった葉がアスファルトに食い込んでいるのは迫力があった。

コレクション・アラカルト

昨年から(だっけ?)シャガール部屋は、常設の油絵3点に絞って、残りのスペースに他のコレクションを展示する部屋になっている(ばんざーい)。贋作が確定したあの「少女と白鳥」も 昨年 2023年(県美30周年記念展だったと思う)ここで観ていた。「いいなあ」と思っていた。それはさておき、今期のアラカルトの主な作家は菊畑茂久馬、土方久功(♥)なのだが、平川恒太の「Trinitite 渡洋爆撃」があって「おお!」と思った。平川恒太 Cemetery 祈りのケイショウで観たヤツだ。そして、元の戦争画は石川寅治の絵なのだ。
(2025/05/05 高知県立美術館)