御嶽伊紗 カゲヲウツス
面白かった!全部で11作品。そのうち映像作品が5点。
シアタールームの「曖昧な網膜」を作品名も知らずに最初に観た。白鳥らしきモノが浮かんでいる湖、月、太陽、雲がそれぞれに動いている。二巡目には一巡目では気づかなかった波なども見えてきた。他にもグレーの点も見えてきたが、もしかしたら映ってないモノが見えているのかもしれないという気がしてきだした。「色即是空だなぁ」と思った。
展示場に入って。「ユリ/今日 ヲ ウツス」は、採ってきたユリをスケッチしたモノと同方向から撮った写真をパソコンに取り込んで、二つを重ね合わせたものをプリントアウトした作品。これも色即是空じゃん!ユリのスケッチとカメラとの二通りの見方をして生じるズレは、ユリを不確かなモノにしてしまう。
小さい鏡に反射した光が机に映った白い円を月に見立てた「月の机」も、ピンクのアクリル板に反射した光が机に映った「イロ ヲ ウツス カゲ ヲ ウツス」も、実体があるようでない、ないようである「空即是色」だ。ピンホールカメラで露光時間を長くして捉えた緑の風景「曖昧な網膜/カゲ ヲ ウツス」(インクジェットプリント)も静止画でありながら動きを写そうとしているわけで、アルともナイとも言えるモノ、色即是空を表現していると思った。
そう思えば、化石となった植物の画像をパソコンに取り込んで輪郭をトレースして色鉛筆で着色した「化石/昨日 ヲ ウツス カゲ ヲ ウツス」(もとの化石もいっしょに展示されて一つの作品)も、ユリの実を鋳造した「石に化すユリ」も、失われた(あるいは失われ行く)モノを形として残すって優しいなぁと思って観ていたが、「あるモノ」「ないモノ」へのこだわりだったのかと思い直したりした。
それにしても、パソコン絡みの作品が多いので、その普及前はどんな作品を作っていたのだろう?という興味から(同窓の先輩で同じく片木太郎先生に習ったようだということもあり)クロストークも覗いてみた。ご本人の話によると、始めにグラフィックデザインを学んだので「モノ」を触ってないことから、色んな材料(木、紙、鉄など)で立体作品を作っていたとのこと。それからモノがあるとはどういうことか(=見る見えるとはどういうことか)という関心から依代を作ったりしたそうだ。そうなると実体がないのに見える映像(影)へと作品が移っていくのは必然だ(と私は思う)。
色即是空を感じた展覧会だったので、日本以外の文化をバックボーンにしている人はどう感じるのか。そんなことも思った。
浜田浄 めぐる 1975-
こちらも大変面白かった!1937年、黒潮町生まれ。生涯現役組だ。ほとんどが抽象絵画の展示だった。
離れて見るとカンバスに切り込みがあるかのように見えるが近づくと描いている。大原美術館で似たような絵画があったと思うけれど、こちらは大変繊細で静かで何か不思議な感じ。
鉛筆で四角く塗っただけの作品も全く見飽きない。どうして見飽きないのか不思議なくらい。図録などの印刷にすると、四角く塗った際(きわ)や微かな影のように淡い色合いの部分などは再現するのは難しいだろうから、実物でないと良さが伝わらないと思う。
異なる色を重ねて削ったり引っかいたりした作品も深みがあって、いつまででも観ておれる。
近年の作品は面白いけどやや大味かな。最後の方は観ていて疲れてしまった。
奇想天外な作品ではないけれど、技術が飛び抜けているのだろうか。作品との相性がいいのだろうか。見れば見るほど良いと思える作品がほとんどだった。
(2025/02/15 高知県立美術館)