石川寅治展/石元泰博展

生誕150年 石川寅治展 明治・大正・昭和を生きた画家(前期)

石川寅治展の広報ハガキの画像

高知市出身の画家(1875-1964)。88歳(亡くなる前年)まで年に2、3度写生旅行に行っていたという。1902年友人と渡米。水彩画二人展(このときの手書きポスターも展示されていた)で絵を売って、その資金でヨーロッパの美術館などを見学し1904年帰国。台湾、満州、朝鮮半島など当時の植民地へも写生に行き、日中、太平洋戦争時には海軍嘱託画家として中国や南方に派遣されたそうな。旅する画家だ。絵画教育にも尽力していたようで師範学校用の手本図画を編んでもいる。

入場して「出港」(1960油彩)が目に飛び込んでくる。第一印象は「うまいね!」。順路どおりに進むと若い頃から何を何で描いてもうまい。多分、構図が安定していて、色も形も実物そのままを描ける描写力の高さがあるからだろう。いわゆる正統派(オーソドックス)な絵だ。

今では見られない明治の風景などは懐かしい感じがする。自然はゆたかで民家は貧しい。皆、着物が普段着だ。そんな中「伯爵板垣退助像(60歳)」は、髭こそ白いが当時の60歳にしては大変若々しいと思った。服装や髭に比べてあんまり偉そうな感じがしないのは、何か憂いのある表情だからだろうか。

見終わって印象に残っているのは裸婦の絵だ。特に版画の「裸婦十種」は赤が効いていてデザイン性が高くモダンな感じ。版画を含めて、どの裸婦もふくよかでボリュームがあって、西洋画の裸婦に引けを取らない。署名の多くは「Ishikawa」に、朱書きの「寅」の字を四角で囲って落款印のようにしてある。明治維新後の西欧化の波に乗っていても日本人であることを常に意識していたのかもしれないと思った。
また、晩年は「うまい」から「面白い」に転じた絵もあって「寄せる波」の白い塊(波)に赤い断崖など、梅原龍三郎風味が入っていた。

石元泰博 コレクション展「落葉と空き缶」(前期)

石元泰博展の広報ハガキの画像

このシリーズは好きなシリーズだ。詩人のアーサー・ビナードさんは、ぺちゃんこの空き缶をコレクションしているそうで、このシリーズのことをご存じであろうか?写真で落葉と空き缶をコレクションしている石元泰博に詩心を感じる。観ていて私は死んでミイラ化した落葉と空き缶だと感じていた。残骸、死後の痕跡だと。ところが、石元さんによると「ぬれそぼった葉は踏まれ踏まれてアスファルトに食い込み、やっと葉脈だけがその存在を示していたりするその姿が、不思議にも「命ここにあり」と私に囁いているような気がしたのである。」とのことで、驚いた。八十を超えるとこのような感慨を私も持つようになるのだろうか。もしかして死後(失われた命)であっても「命がここにある」という感じ方だろうか。たしかに、葉脈だけとなった葉がアスファルトに食い込んでいるのは迫力があった。

コレクション・アラカルト

昨年から(だっけ?)シャガール部屋は、常設の油絵3点に絞って、残りのスペースに他のコレクションを展示する部屋になっている(ばんざーい)。贋作が確定したあの「少女と白鳥」も 昨年 2023年(県美30周年記念展だったと思う)ここで観ていた。「いいなあ」と思っていた。それはさておき、今期のアラカルトの主な作家は菊畑茂久馬、土方久功(♥)なのだが、平川恒太の「Trinitite 渡洋爆撃」があって「おお!」と思った。平川恒太 Cemetery 祈りのケイショウで観たヤツだ。そして、元の戦争画は石川寅治の絵なのだ。
(2025/05/05 高知県立美術館)

創立70周年記念 高知県書芸院展

期日:令和7年4月8日(火)~4月13日(日)
   10時~17時(最終日16時)
場所:高知市文化プラザ かるぽーと
   7階第1展示室
主催:高知県書芸院

入場無料です。

昨年出品して、観たところ一番下手だったのですが、友だちがいっしょに観てくれて楽しかったので今年も出品しました(^_^;。県展の無鑑査の方の作品、漢字、かな、漢字仮名まじり、大きな作品ちいさな作品(篆刻はないかなぁ?)、バラエティに富んでいるうえ作品数もほどほどです。ぜひ、ご観覧くださいまし。

黄庭堅「松風閣」詩巻(二玄社)の一部 老松魁梧数百年 斧斤所赦今参天

出品したのは臨書作品です。北宋の黄庭堅という人の松風閣詩巻の一部(うえの画像)「老松魁梧数百年 斧斤所赦今参天」(老松の立派なこと数百年、斧斤を逃れ今天に交わる)を書きました。この詩がめちゃくちゃ良いのです。最初は松林の楼閣に「松風閣」と名付けて悦に入ったり、風の音を聴いて「おおお、菩薩泉で耳を洗うようではないか」とうっとりしたり、懸命に働く部下が携えてくる酒をいっしょに味わう果報を喜んだり、空きっ腹を抱えて眼下で煮炊きをする煙を眺めたりしているのですが、おしまいの方では敬愛する師匠の東坡道人(蘇軾)は鬼籍に入り、自分は左遷されて友だちに会えるのはいつのことか、夢見るのは自由の身になって友と小舟で周遊することだと書いていて、哀切の読後感なのです(かなり端折ったうえの意訳;)。いつか全臨したいなぁ。悠然とした感じをだしたかったのですが、形のまねをするのに精一杯でゆったりたっぷりには遠く及ばずカチカチの字になっています(ははは)。


古典の臨書は絵画などの模写と同じで技術を習得するにはもってこいです。書けなかった線が試行錯誤のうえに書けるようになるのは嬉しいです。その他にも楽しいのは、「この字をこんな(に変(だけど絶妙のバランス))に書くか!」という驚きと、「ここで筆のバネを生かしてジャンプして着地した勢いで滑らせながら穂先を開くと、筆をつり上げたときに自然と穂先がこちら側に出るわけか。」というような推理です。これは行書を習い始めてからの楽しみかな。

4月から書道歴5年目に突入。ここ3年くらい飽きずに臨書しているのが「雁塔聖教序」です。これは全臨は気力が続かないと思っています。でも、好きなので、もし、臨書作品にするならどこを書くか選ぶのも楽しい(^o^)。で、浪花節なら一番盛り上がりそうな、ありがたくて涙なしには読めないところを選んで試作してみました。

臨書作品の画像

玄奘三蔵の功績をたたえて、時の太宗皇帝と皇太子(後の高宗皇帝)が撰文し、褚遂良が揮毫しました。刻した人は萬文韶。中国に現存する石碑です。「朝の雪に地は見えず、夕の砂嵐に星はなく、迷いながらの山川万里、幾重の寒暑、霜雨も進み、誠重ければ労軽く、深く求めて願いは叶わん」というような意味です。起案したのは役人かもしれませんが(?)、昔の皇帝は教養人ですね。雁塔聖教序は格調が高すぎてわからないところが多々あるのですが、ここはわかりやすいです。
試作品の反省点をここに書いていたけど削除。一言で言えば、成功した文字が一文字もないです(ToT)×(ToT)。でも、ましな失敗作です(ToT)。これが長生きをしなければならないモチベーションですら。

御嶽伊紗 カゲ ヲ ウツス|浜田浄 めぐる 1975-

御嶽伊紗 カゲヲウツス

面白かった!全部で11作品。そのうち映像作品が5点。
シアタールームの「曖昧な網膜」を作品名も知らずに最初に観た。白鳥らしきモノが浮かんでいる湖、月、太陽、雲がそれぞれに動いている。二巡目には一巡目では気づかなかった波なども見えてきた。他にもグレーの点も見えてきたが、もしかしたら映ってないモノが見えているのかもしれないという気がしてきだした。「色即是空だなぁ」と思った。

展示場に入って。「ユリ/今日 ヲ ウツス」は、採ってきたユリをスケッチしたモノと同方向から撮った写真をパソコンに取り込んで、二つを重ね合わせたものをプリントアウトした作品。これも色即是空じゃん!ユリのスケッチとカメラとの二通りの見方をして生じるズレは、ユリを不確かなモノにしてしまう。

小さい鏡に反射した光が机に映った白い円を月に見立てた「月の机」も、ピンクのアクリル板に反射した光が机に映った「イロ ヲ ウツス カゲ ヲ ウツス」も、実体があるようでない、ないようである「空即是色」だ。ピンホールカメラで露光時間を長くして捉えた緑の風景「曖昧な網膜/カゲ ヲ ウツス」(インクジェットプリント)も静止画でありながら動きを写そうとしているわけで、アルともナイとも言えるモノ、色即是空を表現していると思った。

そう思えば、化石となった植物の画像をパソコンに取り込んで輪郭をトレースして色鉛筆で着色した「化石/昨日 ヲ ウツス カゲ ヲ ウツス」(もとの化石もいっしょに展示されて一つの作品)も、ユリの実を鋳造した「石に化すユリ」も、失われた(あるいは失われ行く)モノを形として残すって優しいなぁと思って観ていたが、「あるモノ」「ないモノ」へのこだわりだったのかと思い直したりした。

それにしても、パソコン絡みの作品が多いので、その普及前はどんな作品を作っていたのだろう?という興味から(同窓の先輩で同じく片木太郎先生に習ったようだということもあり)クロストークも覗いてみた。ご本人の話によると、始めにグラフィックデザインを学んだので「モノ」を触ってないことから、色んな材料(木、紙、鉄など)で立体作品を作っていたとのこと。それからモノがあるとはどういうことか(=見る見えるとはどういうことか)という関心から依代を作ったりしたそうだ。そうなると実体がないのに見える映像(影)へと作品が移っていくのは必然だ(と私は思う)。

色即是空を感じた展覧会だったので、日本以外の文化をバックボーンにしている人はどう感じるのか。そんなことも思った。

浜田浄 めぐる 1975-

こちらも大変面白かった!1937年、黒潮町生まれ。生涯現役組だ。ほとんどが抽象絵画の展示だった。
離れて見るとカンバスに切り込みがあるかのように見えるが近づくと描いている。大原美術館で似たような絵画があったと思うけれど、こちらは大変繊細で静かで何か不思議な感じ。
鉛筆で四角く塗っただけの作品も全く見飽きない。どうして見飽きないのか不思議なくらい。図録などの印刷にすると、四角く塗った際(きわ)や微かな影のように淡い色合いの部分などは再現するのは難しいだろうから、実物でないと良さが伝わらないと思う。
異なる色を重ねて削ったり引っかいたりした作品も深みがあって、いつまででも観ておれる。
近年の作品は面白いけどやや大味かな。最後の方は観ていて疲れてしまった。
奇想天外な作品ではないけれど、技術が飛び抜けているのだろうか。作品との相性がいいのだろうか。見れば見るほど良いと思える作品がほとんどだった。

(2025/02/15 高知県立美術館)

河田小龍展

書道教室4年生なので書いたものも見れるに違いないと思い河田小龍展へ行ってきた。絵がうまい人は字もうまいからねぇ。200歳記念ということで美術館、坂本龍馬記念館、歴史民俗資料館が連携して開催していた。

龍馬記念館は「龍馬に世界を教えた男」土佐随一の教養人としてと題して、小龍さんが学問を教わった人の肖像画やジョン万次郎から聴取したことを絵入りでまとめた「漂巽紀略」が展示されていたり、小龍さんの塾生だった人たちがどんな活躍をしたかパネル(?)になっていた。(売店で龍馬の手紙を販売していたら買って臨書してみたいと思っていたが、販売されている手紙の文字が小さすぎた。数ページでよいので、ぜひ、実物大で販売してほしい。)

歴民館は「土佐の人々とのつながり」市井を生きる人々の願いを受けてと題して、掛け軸、絵馬、衝立、屏風、天袋の襖、着物(柄を描いている)、芝居絵の幟旗(というより幕のように横長で8メートル以上あり横幟というそうな)などが展示されており、他にも小龍さんの家族写真や料金表も興味津々で見た。芝居絵は絵金より上品かな(?)。

美術館は「激動期への眼差し」好奇心旺盛なハイカラ画人としてと題して、絵画はもとより記録絵(幕末に漂着した清の商船の調査記録や琵琶湖疎水の鳥瞰図、南禅寺境内の水路閣など)、スケッチブック(手のひらサイズの画帳)などなど。美人画で青がすごくきれいな絵があって、この色はめったに見たことがないので高価だろうと思った。小龍さんの師匠島本蘭渓も描かれている壬生水石の絵は楽しかった。水石は山内容堂の落款印を刻した人で、土佐も狭いなぁと思った。

いずれの展示も文章は漢字で書かれている。公文書や画賛など公式(?)文書は明治時代まで漢字だったのだ。歴民館では、ついでに戦国時代の手紙(レプリカと思う)を見たが、やっぱり漢字。小龍さんの時代は、記録ものには朱筆でレ点や返り点や読み仮名が書き入れられていた。

小龍さんは何でも描けてさらりとうまい。めちゃうまだ。良くも悪くも全くこってり感がない。多分、何事も客観的に見て自己主張も控えめな人なんじゃないだろうか。落款も落ち着いた良い字で大変好みの字だった。

【お気に入りエピソード】
●京都での修行中、狩野永岳に師事していたが、絵がうますぎて師匠に気に入られ、他の弟子(師の甥)が嫉妬して毒殺を計画していたとか。それを知って永岳のもとを離れ、南画の中林竹洞に入門したそうな。

●晩年近い年になって妻と耶馬渓(大分県)へ避暑を兼ねた旅に出てスケッチしまくり、広島へ帰ってからも数年の間、旅を反芻するかのようにスケッチを元に絵を描いている。

●妻、照さんとのツーショット写真がある。

●亡くなる直前まで描いていて、娘の結婚祝いに朱竹図を描いて贈った。生涯現役。
(高知県立美術館 2024/12/07)
(高知県立坂本龍馬記念館 2024/12/07)
(高知県立歴史民俗資料館 2024/12/14)