ゆきてかへらぬ/ウィキッド ふたりの魔女

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『ゆきてかへらぬ』『ウィキッド ふたりの魔女』『パディントン 消えた黄金郷の秘密』の予告編

4月は1本も観ていないが、3月には『ゆきてかへらぬ』と『ウィキッド ふたりの魔女』のハシゴができた(祝)。

『ゆきてかへらぬ』は、長谷川泰子(広瀬すず)、中原中也(木戸大聖)、小林秀雄(岡田将生)それぞれは良いのにアンサンブルが今ひとつだった。だから、一人一人は見飽きることもないのだが、それぞれが一人芝居をしているようで物語としては全く味のない作品だと感じた。驚いたのは、私が広瀬すずの苦手な部分が前面に出ているにもかかわらず、それが生かされていたことだ。長谷川泰子として魅力的になっていたと思う。三角関係の果ての無常感を感じられる作品になっていたらなぁ(残念)。根岸吉太郎監督の作品は昔から相性が良くて(といっても数えるほどしか観ていないが)、今作もロケーションもヌケもよく美しさを堪能した。『遠雷』、観たい。

『ウィキッド ふたりの魔女』は、エルファバ(シンシア・エリヴォ)が可哀想で可哀想で(ToT)。グリンダ(アリアナ・グランデ)、いいね!彼女が髪の毛をワサワサと振るたびに可笑しくて笑っていた。一歩まちがえると嫌みなヤツになりかねないが、邪気のなさにノックアウトされた(笑)。話もめちゃくちゃ面白い。人も動物も仲間として暮らしていたのに、なぜか動物たちが排斥され始め(まるで現世)、後に悪い魔女として退治されるエルファバは動物たちを守ろうとしている。善い方の魔女となるはずのグリンダには、エルファバのような念動力はないうえ軽薄きわまりない(^m^)。エルファバは退治されて本当に死んでしまうのか?後編(Part2で終わると信じている)が楽しみだ。といいつつ、『オズの魔法使い』を踏襲したような色彩設計には私は美しさを感じることができず、好きな作品とは言い難い。

『パディントン 消えた黄金郷の秘密』の予告編

1作目ではニコール・キッドマン、2作目ではヒュー・グラント、3作目ではアントニオ・バンデラスがゲスト悪役(?)っていうのも楽しみだけど、この予告編を見るとバスター・キートンではないか!それが、めっちゃ楽しみ(^o^)。もしかして、これまでも名作アクションシーンへのオマージュがあったのかもしれないが、この予告編くらいあからさまにやってくれると私でもわかる!号は茶風(チャップリンの「ちゃっぷ」と言っている)にしたが、喜劇王はキートンでしょう。チャップリンは、本当に喜劇王以上で相撲だと横綱だ。キートンは小結。チャップリンの崇高なことを思うと横綱って言うのも何だが;;;。

トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦

『トワイライト・ウォリアーズ』の感想を毛筆で書いた画像

あ痛タタタ痛快
そして、郷愁

もうアクションものはいいかなと思っていたところ、予告編を見て「うんにゃ、これはコメディや!」と思い笑うつもりで行った。

笑った!これはバブル期に若者だった高齢者向け、義理と人情の女も泣ける男気カンフーだった。
どこまでがセットでどこからがCGかさっぱりわからない。とにかく素晴らしいセットで、引きの絵もスケール感があった。
若い人はどう思うのだろう?まだ義理と人情が通じる世の中であろうか?
アジアは一つ。軍備より映画制作。おー!
(2025/03/05 キネマM)

どうすればよかったか?

『どうすればよかったか?』の感想を毛筆で書いた画像

どんな家族も物語になりうる

『ゴッドファーザーPart2』『かぞくのくに』を始めとして家族の映画にはハズレがないと思っていて、タイトルにもかなり惹かれて観に行った。

お姉さんに合う薬があってよかった~。

どうすればよかったか?監督自身に関しては、家を出て正解!と思った。両親については、合う薬があったという結果からは、早くお医者さんに診てもらった方がよかったかもしれないとは思うものの、当時(といっても何十年もの間)は迷いはあったかもしれないが最善と思ってのことだったろうし、そうするしかなかったんだろうなぁと思った。両親が娘(監督の姉)をなぜ、医者に診せようとしなかったのかの理由についてはよくわからないが、監督が父に直接たずねていたようなことなのかなと思う。
医者に診せようとしないことについて、監督が別々に両親にたずねたところ、母は「お父さんがねぇ」と言い、父は「お母さんがねぇ」と言い、互いに相手の意思を尊重したみたいに言っているところは、実のところ二人とも診せたくないと思っているのだと思った。(実際には、パパ、ママと呼んでいたと思う。)

それにしても親というものは、ありがたいものだと思う。毒親は存在するけれど、この両親は違う。弟が逃げたしたくなるような姉の病状にもかかわらず逃げない。(精神科の医師でつくる協会(?)の会長が脱・入院隔離を主旨とするインタビューに答えて、入院させないと困るのは家族と地域でしょみたいなことを言っていて腹が立ったことを思い出す。)出入り口を鎖と錠前で塞いでいるのは(いいこととは思えないが)、認知症の家族が行方不明になるのを心配するのと似た気持ちだろうか?
弟も距離を取りながらも姉のことを気に掛けているし、母が認知症になり、父も老いていき、姉が亡くなりという過程を部分的にとはいえ長期的に見せてもらって、この結びつきは家族だなぁとしんみりと感動した。
くすり(^m^)と可笑しかったのは、母の認知症が進んで一番早起きの姉が朝ご飯を準備することになったと食卓の朝ご飯が映されて、次に時計が映ると丑三つ時だったことだ。監督、ユーモアあるじゃんと嬉しくなった。

「赤毛のアン」を始めとするシリーズに「アンの結婚」があって、結婚すると聴いたマリラがとても喜んで言ったことがいつまでも印象残っている。美しい環境に包まれた緑の切妻の家は、アンが養女に迎えられる前に行きがかりでマリラが赤ん坊を取り上げたことがあり、「赤毛のアン」の最後の方でマリラの兄マシュウは急死する。あと結婚する人さえあれば、緑の切妻は家として一人前になれるのだ。マリラの中ではアンの結婚の喜びと、緑の切妻が一人前になる喜びがあった。緑の切妻が悲喜こもごもの人の営みを見ている感じ。「おじいさんの古時計」の感じ。
どんな人も家族もドラマにしようと思えばできるし、コメディにしようと思えばできる。冠婚葬祭・生老病死、平々凡々のようでいてドラマにもコメディにもなる。ドキュメンタリーだったせいか、そういう思いを強くさせられた映画だった。
(2025/03/02 キネマM)

大きな家

『大きな家』の感想を毛筆で書いた画像

希望

ある児童養護施設のドキュメンタリー。7歳の少女から退園した19歳の若者まで数人の子どもたちをインタビューしながら生活の様子を見せてくれる。どの子どもも施設の仲間や職員は家族ではないと言う。離れて暮らしていても血縁の家族が家族なんだと。こういう家族に対するこだわりの大きさを感じさせられると、無理もないと思いつつ切ない気持ちになる。そして、19歳の大学生となった若者が幼い頃をふりかえって施設は家ではないと思っていたけれど、やはりいっしょに暮らして帰ってこれるここが家だと言って焼きそばを食べているのを見ると、大人になったんだな大人になってわかることなんだなとホッとした。

施設によって、あるいは子どもたちによって雰囲気やルールは異なるとは思うけれど、大体はこの施設のように季節ごとの行事があることと思う。季節ごとの行事は子どものためのモノなんだと改めて思った。(老人福祉では、また別だと思うが。)給食ではなく台所で調理したり、それをある子どもが(自発的に)手伝ったり、別の子どもに何だっけ(?)何か言われて職員が「人間だぞ、ロボットじゃないんだぞ」と反論したり(笑)。どの施設もこんなにアットホームな感じだったらいいなと思った。
(2025/02/22 キネマM)