ぼくのお日さま

『ぼくのお日さま』の感想を毛筆で書いた画像

動く絵本

詩情のある映画に感想文は無用。

ほっこり(^_^)、元気をもらえた。タクヤ(越山敬達)とさくら(中西希亜良)の視点だけで十分。大人(荒川コーチ:池松壮亮)の視点は観客と共通するので、私はなかった方がいいと思う。初恋と古恋の対比かもしれないけれど、この場合、作品の美しさを削ぐ気がする。多少削がれても十分美しいのが驚異。

野球もアイスホッケーもうまくないけれど続けているタクヤが、一度のすっぽかしにもめげず、さくらに声を掛けようとする。パワー、パワー(^o^)。タクヤの友だちの男の子もよかった。
(2024/10/19 TOHOシネマズ高知2)

パリのちいさなオーケストラ

『パリのちいさなオーケストラ』の感想を毛筆で書いた画像

万能薬

音楽は、貧富、家柄、障害の有無、人種、性別などを問わない、いろんな意味でバリアフリーであることが描かれていた。だからこそ人を繋ぐことができるという結びが、ボレロの楽曲とともに気持ちのよい幕切れだった。

アルジェリアからの移民二世で指揮者志望の高校生女子ザイア(ウーヤラ・アマムラ)が主人公。努力と才能もすごいけど、行動力がすごい。彼女ならオーケストラを作れるわ。彼女の家族、温かないい家族だった。ただし、子どものためを思ってフランス語オンリーの家庭にしたのは私も残念だと思う。

ザイアの才能を見いだした著名指揮者チェリビダッケ(ニエル・アレストリュプ)は、マジで芸術家だった。言っていることが訳わからん。同感だったのは、アラビア語も話したらよかったのにとザイアの父に言ってたこと。

ザイアが仲間とともに刑務所を慰問したシーン。仲間の中には、刑務所でお勤め中の父に反感を持っている男子もいる。このシーンは台詞なしだったが、演奏する息子と聴いている父の表情だけで泣けてきた。ハイライト。

あと、日常の生活音などがザイアの耳にかかると音楽に変換されていくのを音と映像で表現しているのが、すごく面白かった。昔、伊東四朗と小松政夫が、会話の中の言葉から繋いで歌うコントがあって、あれなら私もよくやっていたが、音楽の才能がある人はこんなことができるんだと感心した。
(2024/10/13 あたご劇場)

ビートルジュース ビートルジュース

『ビートルジュース ビートルジュース』の感想を毛筆で書いた画像

ティム・バートンの玩具箱

やっぱり、ダニー・エルフマンの音楽はティム・バートン監督の作品で本領発揮だ(^o^)。もう最初からワクワクした。モニカ・ベルッチ♥が出てるの~!とクレジット見て喜んでたら、登場の仕方がむちゃくちゃ面白いし。ウィレム・デフォーも可笑しいけど真面目さがにじみ出ていて笑える。前作では子どもの役だったウィノナ・ライダーは母親役だけど、可憐さが残っていて良し。ギザギザ前髪がまだまだイケている。その娘の役のジェナ・オルテガは、クリスティーナ・リッチを彷彿させる容貌で吉♥。そして、大好きなマイケル・キートンのビートルジュースは出番は少ないものの、キレのある動きは健在。ああああ、字幕版で観たかった。

お話は、だまされてあの世に行った娘を助けるため、二度と会いたくなかったビートルジュースの助けを借りるというもの。リディア(ウィノナ)の夫はアマゾンで行方(死因)不明だったのだが、冥界で娘と三人遭うことができて、カフェコーナーで話しているときに夫の身体のあちらこちらのピラニアがピチピチしているのが可笑しい。リディアの父は飛行機の墜落では無事だったが、破片にしがみついて浮いていたところサメにガブッと。こういうシーンはアニメーションにしてくれて、リアルさがみじんもない作品なので安心して笑っていられた。「デューン 砂の惑星」(もしかして「エイリアン」も?)のパロディや、ホントのお迎えのソウルトレインなどなど、小ネタが満載。あの世があんな感じなら逝くのも悪くないかもね。
(2024/10/09 TOHOシネマズ高知2)

『梟』の感想を毛筆で書いた画像

三猿返上

ハラハラドキドキしっぱなしで面白かった!
韓国のテレビドラマを見たことがないので、朝鮮王朝になじみがなかったが、権力者というのはどこも似たり寄ったりだから、世子を暗殺したのが誰だがすぐに見当はつく。それでも、「清から帰国して間もなく七つの穴から血を流して死んだ」という文献から、このような話を思いつくなんてあったまイイね!

主人公の盲目の鍼医者は、自然の成り行きでこの暗殺事件に巻き込まれていく。恩人と言える世子が暗殺されたことを知っては、三猿を決め込むことは困難なのが人情というものだ。宮中の処世術として見ざる聞かざる言わざるは鉄則とも言えるのだけれど、心のままに(深く考えず)鉄則を破ったために自分の命まで危うくしてしまった。三猿返上は宮中でなくても、ものすごく勇気のいることだと思う。考え込んだら、なかなか出来ることではないだろう。
主人公が葛藤したのは、逃げるか、世子の幼い息子を助けに戻るかのときだった。戻ると自分も殺されるリスクがあり、そうなると病身の弟は郷里でひとりになってしまう。当然、主人公は戻って大ピンチになってしまう。そして、殺されるとわかっていても、誰が世子を殺したか皆の前で叫ぶのだ。

う~ん、そうきたかと私としては理解が及ばなかったのが4年後のエピローグだ。地域の鍼医者として大成している主人公は、王様の危篤に治療のため招かれるが、王様を暗殺してしまうのだ。恩人世子の復讐とも言えるけれど、放っておいても死ぬのに殺すの?気持ちワル~(^_^;。王だけが悪者ではなく権力の中枢にあった領正(だったっけ?)も込みで殺したとしても、また次の王と領正(だっけ?)が現れるよ。これが私刑というものか。せっかく三猿返上の雄叫びで、処刑人が彼を逃がしたことに感動したのに。あれこそ、少しだけ世の中を変えた実績であり、あそこで終わっていてもよかった。とはいえ、面白かった感想に変わりなし!でござる。
(2024/09/28 ゴトゴトシネマ メフィストフェレス)