アンナ・カレーニナ

なんか『つぐない』みたいだなーと思っていたら、同じ監督の作品だそうで(^_^;。
『つぐない』は、音楽にタイプライターの音を取り入れたり、ダンケルクでの引き揚げ船の場面なんかが、これ見よがしの演出だったけれど、ジェームズ・マカヴォイのおかげで(?)ワタクシ的にはギリギリOKだった。
しかし、この『アンナ・カレーニナ』は、創意工夫を凝らしたであろう演出がことごとく滑っているよう(というか「どうです?この演出、面白いでしょ。」とお話の進行を邪魔している感じ)に見え、どうしてクラシックな演出にしなかったのかと残念でならない。しかも、「アンナ・カレーニナ」って貞淑な妻が恋に溺れ節度を失う話と思っていたため、キーラ・ナイトレイ演じるアンナが欲求不満気味に見えてモノすごく当てが外れ、アーロン・テイラー=ジョンソン演じるヴロンスキーは確かに美男子だけど私は魅力を感じられないうえに、キティ(アリシア・ヴィキャンデル)の振り方からしてプレイボーイに見えて、後でアンナにどれほど誠を尽くしてもなかなか信じられなかった。(さすがに最後は「いや~、ほんまに好きやったんやねー」と感心し、若干株は上がったけど。)
それでも結構楽しんではいて、キティとオブロンスキー(マシュー・マクファディン)のお互いを思い遣る大地に根ざした安泰カップルと、アンナとヴロンスキーの周囲をほったらかして情熱に突っ走る破滅型カップルの対比は面白かったし、演出はどれだけ滑ろうとも手を変え品を換えなので退屈しなかった。
それに、この映画を観る前にスコセッシ監督の『エイジ・オブ・イノセンス』に嵌っていたのがよかった。『エイジ・オブ・イノセンス』は風景や人物や美術の何もかもが美しい不倫もののメロドラマなんだけど、主役の二人(ミシェル・ファイファーとダニエル・デイ=ルイス)が激しい情熱を必死の思いで抑え、周りの者を傷つけず、自分たちも変質することなく(変質することを恐れて)別れたため、切なくも美しい思い出となったという話だ。
アンナとヴロンスキーもそのようにすればよかったと言うわけではない。周りの者をどんなに傷つけても耐えられるか、変わらずに愛し合えるか、覚悟と強靱な精神力が必要だったと言うことだ。『エイジ・オブ・イノセンス』との対比のうえで、よい教訓を得られたというわけである。

ANNA KARENINA
監督:ジョー・ライト
(市民映画会 2013/09/19 かるぽーと)

許されざる者

雄大な北海道の自然を背景に罪とは何かということと、歴史は勝者によって作られるということを考えさせられる作品になっていた。
感動ポイントもあって、お梶(小池栄子)、なつめ(忽那汐里)を始めとする娼婦たちや、和人とアイヌのハーフ五郎(柳楽優弥)の踏みにじられる者の怒りとか悔しさとかには同調してしまった。特に五郎は、見聞きしたことを身体に取り込んだ後、そこから感じたことをダイレクトに瞳に表出させて、大変瑞々しかった。五郎、将来性があるんじゃないかな。良き人生を歩んでほしい若者だ。

兄佐之助(小澤征悦)の狼藉のとばっちりを受けた形で賞金首となった弟卯之助(三浦貴大)も可哀想だった。なつめを切りつけた兄の方は反省の色が無いのに、やめてくれと懇願した弟の方は罪の意識があり、娼婦たちに詫びの品を持ってくる。ところが娼婦たちは受け取らず、そんなもので許せるものかという剣幕だ。私は、佐之助に対しては何とも思わなかったのだが、卯之助は許されざる者だと思った。
十兵衛(渡辺謙)も同じだ。彼は自分を匿ってくれたキリシタンに裏切られたと思って、腹いせに女子どもまで皆殺しにしたと噂されている。金吾(柄本明)が言うように、本当は官軍が殺したのを十兵衛のせいにされたのだろうが、十兵衛は生きのびるために官軍を皆殺しにしている。おそらくアイヌの妻を愛するうちに、どんな理由があろうとも人殺しは罪だと認識したのだろう。妻との誓いを破って酒を浴び、自分を殺しにかかってくる者を再び皆殺しにした罪の意識は重いような気がする。
つまり本人に罪の意識があり、贖罪が叶わないと「自分は許されない」と自責の念が募る。自分自身に押す烙印としての「許されざる者」を私は感じたわけだ。
五郎なんか人殺しの気持ち悪さが身にしみたものだから自分で「もう二度としない」と言っていたが、あんまり罪の意識はなさそうで、このままあっけらかんと生きて行けそうなのが頼もしい(笑)。

大石(佐藤浩市)は、人間を獣になぞらえ非常に見下した感じで、追い詰められたらハミ返ってくるから気をつけろと新任の警官に訓辞する。留置所内での北大路(國村隼)の拳銃と大石の刀という対決場面で明らかなように思うが、虚無主義に陥っているようだ。維新後間もない時代の転換期だからだろうか、権力者の側にいながら「取り残された人」であり、希望もなく自分を大事にできないから他人ならなおさらである。一番の憎まれ役だと思うけれど、一抹の哀れさを感じないではなかった。

物書き(滝藤賢一)

監督:李相日
(2013/09/29 TOHOシネマズ高知1)

シャー・ルク・カーン祭り

あやうし、ユアン・マクレガー。世界一チャーミングな男優の座にシャールクが猛追しています。(判定員:お茶屋)
ここのところ毎夜シャールク祭りなんだけれども、シャールクにそれほど関心がない方にもおすすめできる動画に出会えたのでご紹介。いずれもyoutubeです。

Maula Mere le le Meri jaan by Rahman Ali, Music ka maha muqabla, HQ*
インドののど自慢番組だそうで、なかなか良い曲、素敵な歌声です。聴いているお客さんの表情もいいし、シャールクも魅力的です。この動画を知ったのは、SRKに生き方と英語を学ぶブログのMaula Mere Lele Meri Jaanというページで、訳詞と解説をしてくださっています。次に一部を引用しますが、シャールクがイスラム教徒と知ったうえで上記の動画を見ると胸に響くものがあります。

「イスラム教徒ではあってもインド国民として、他宗教とも協調しながら国家に忠実に生きてきたのに、こうして私をお見捨てになるのならば、どうぞ命をもお召しください」と国旗すなわちインド国家に対して歌っています。イスラム教徒には心に染みるというか突き刺さるような歌詞ですね。(yurakさんの「SRKに生き方と英語を学ぶ」ブログより)

このブログには「シャー・ルク・カーン物語まとめ」というカテゴリーがあって、シャールクのお父さん(ミール)の話から始まるので、英国から独立する際、インド(ヒンズー教徒が多数)とパキスタン(イスラム教徒が多数)に分裂し、ミールはインドに彼の兄弟はパキスタンにと別れてしまう事情なども語られていてシャールクを抜きにしても興味深い読み物になっています。(シャールクファンには、もちろん一押しのブログです。何てったって愛を感じますわ~。)

お次はディーピカーファンには見逃せない動画。
“Love Mera Hit Hit” Film Billu | Shahrukh Khan, Deepika Padukone
『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』でシャンティプリヤを演じたディーピカー・パードゥコーンとオームを演じたシャールクが共演した映画が他にもあったのですね!

アンコール!!

妻マリオン(ヴァネッサ・レッドグレープ)のために歌うことが、アーサー(テレンス・スタンプ)自身のためになるというお話で、息子ジェイムズ(クリストファー・エクルストン)との関係も改善されてめでたしめでたし。長年の夫婦の濃密だけれど疲れない(二人だけに相通じる)関係性や、合唱指導のエリザベス(ジェマ・アータートン)と年金ズの思い遣りはあるがプライベートに踏み込み過ぎないという適度な距離感が、この作品を滋味豊かにしていたと思う。

実質テレンス・スタンプが主演で、マリオンがアーサーに向けて歌った歌を聴く表情が、喜びと悲しみが入り交じって、もう何とも言えずよかった。アーサーが返歌として歌うその姿も、やはり歌は心だと思えるものだった。
おまけにテレンス・スタンプの若い頃の姿も拝める仕掛けがあって~(^o^)。

合唱の方は、高齢者とハードロックの取り合わせに観客へのご機嫌とりのようなものを感じないではなかったけれど、かしこまったモノばかりが音楽ではないということも作り手の言いたいことの一つのように思えたし、なかなか楽しかった。また、マリオンとアーサー夫婦の暮らす住み心地のよさそうな小さな家が魅力的だった。

SONG FOR MARION
監督:ポール・アンドリュー・ウィリアムズ
(2013/09/28 TOHOシネマズ高知2)