natureに生きるか、graceに生きるかって、natureも神が作ったものなら、どちらの生き方も神の恩寵の中で生きるってことじゃないのかなぁ。ジャック(ショーン・ペン)は、母(ジェシカ・チャステイン)を亡くしたことをきっかけに、母と弟がgraceに生きることを教えてくれたと回想する。でも、神は大地(星)から作っていったんだと思いを巡らせていくうちに、natureもgraceも同じではないかと思い始めたのではないだろうか。ジャックが働くオフィス街。ビルの谷間から見上げると、そこにはやっぱり光がある。この映画はあらゆるものが美しく、grace=光ある世界に生きる喜びを描いているんじゃないかと思うんだけど、ジャックは浮かない。母を亡くしたばかりで思索にふけっているからかな?(19才で弟が亡くなったとき、父(ブラッド・ピット)は教会で赤いガラスに蝋燭の火を灯し、母を亡くしたジャックは青いガラスに火を灯す。このガラスが、きれい~。)それでも、沈んだ思いからふと抜け出して、天国での再会を想像してみると、少しは安らぎを覚えるのではないだろうか。
だけど、私にとって神の世界は割とどうでもよくて、やはり、人生の濃縮期間、ジャック少年(ハンター・マクラケン)の心の動きの瑞々しさが~~~(ToT)。よかったー。全シーン、よかったー。父親、死んでしまえと思い、神様にお願いする。そうそう!そのために神様はいるんだよぉー。何も自分で殺す必要はない(?)。色んな人の歩き方を真似するところ、溺れた友だち、火事にあった友だち。窓ガラスを割ってシュミーズを盗んで。父と合奏できる弟(ララミー・エップラー)に嫉妬して。
特に弟との遣り取りには泣けた。鉄砲で撃ったことを弟が許してくれたときのジャックの気持ちがわかる。その後、ジャックは友だちにも優しくなれるのだ。やっぱり、許しとか優しさの連鎖がいいねぇ(涙)。
神は天にいまし、すべて世はこともなし。
三男(タイ・シェリダン)
THE TREE OF LIFE 監督:テレンス・マリック
(2011/08/20 TOHOシネマズ高知3)
[追記]
ツリー・オブ・ライフ(みんなのシネマレビュー)の感想がよかったです。ぜひ、ご覧ください(^o^)。
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シャレード
爆睡(^_^;。
それでもお話がちゃんとわかった。ということは、レジー(オードリー・ヘップバーン)とピーター(ケイリー・グラント)や、その他の登場人物の軽妙な遣り取りを楽しむ映画なんだろうなぁ。ところどころ、目を覚ましては楽しんだ。
オードリー・ヘップバーンって、声がナタリー・ポートマンに似ていると思った。
CHARADE 監督:スタンリー・ドーネン
(2011/08/20 TOHOシネマズ高知3)
大日本帝国
力作。このような歴史を題材にした真面目で見応えのある日本映画をもっと観たい。俳優が適材適所で、各々の立場での言動が、いちいち頷けるような脚本と演技で、もらい泣きもしばしば。東京裁判で前席の人の頭をペシッと叩いていた壊れている風味の東条英機が(←間違い。コメント参照、願います。)、この映画ではとても立派な東条英機(丹波哲郎)だった。信心するなら最初から仏陀にしておけばよかったのに、天皇を崇め奉ったばっかりに・・・・(家族との別れに涙)。その天皇信者をまっとうする姿は、哀れであり敬服にも値するような気がする。
空中戦では、特攻らしく散る覚悟の大門(西郷輝彦)と燃料切れなら引き返す江上(篠田三郎)だったが、市街戦では、劣勢のなか突撃しようとする江上と、死ぬとわかって行くことはないと制止する大門だった。二人とも冷静に道理で動けば対立することもなかっただろうに、道理で動けないのが人間だ。
フォックスと呼ばれた男張りの理想的将校である小田島(三浦友和)だって、投降しにきたはずなのに、浜辺の男女が同胞のされこうべを投げ合っていたとわかるとプッツンきてしまうのだ。心情的にとてもよくわかり泣けた。撃たれた小田島の左目だけのライトアップにも感動。
美代(関根恵子)のちゃきちゃきのキャラクターもよかった。死んでいった戦友に申し訳ないから、回復したら戦場に戻ると言う夫、幸吉(あおい輝彦)に「私はあなたのものなのよ」と言って迫る。夫を棺桶から引きずり戻した格好だ。ラブシーンになると(されるがまま~で)受動的になってしまうけれど、私が演出するなら、言葉にはしないが「あなたは私のものなのよ」というふうに能動的なラブシーンにしたいところだ(・_・)。だって、そういう勢いだもの~。
京子(夏目雅子)も戦犯として死刑の判決を受けた江上を救おうとするが、江上自身がこれを拒む。京子にそっくりなマリア(夏目二役。眼福。)を軍人として見殺しにしてしまった(言わば京子を殺した)のだから無理もない。処刑されるとき、「天皇陛下万歳」と叫んだので、あれれ?戦争には反対で天皇のために戦いたくないから「京ーーー子ーーーー!」と叫ぶんじゃなかったの?と思いながら観ていたが、観終わってから気がついた。軍人として京子を殺したのだから彼女の名を呼べるはずがないのだ(涙)。これが軍人として死ぬということなのか。
「天皇は戦わないの?」「陛下は戦争を望んでいらっしゃらなかった。責任はすべて私一人にある。」
御上、御上と天皇に関するセリフが散りばめられている。なかでも強烈だったのが大門の「政府が来なくても陛下は必ず助けに来てくださる」だ。そんなことを思っていた兵隊が本当にいたかどうかは置いといて、作り手がこのセリフを言わせたことが重要だと思う。私たちはそんな助けはなかったことを知っている。だから、このセリフは私には「政府が行かなくても陛下は助けに行くべきだった」という作り手の声に聞こえる。アメリカが天皇の戦争責任をうやむやにしても、天皇の名のもとに戦って死んでいった兵隊たちには、天皇自らが何らかの落とし前をつけるべきだろうというふうに。
監督:舛田利雄
(2011/08/16 あたご劇場)
メアリー&マックス
感動した(ToT)。メアリーが最後に流した涙が喜びの涙で本当によかった。
それまでに彼女の流した涙も綺麗だった。玉のような涙がアニメーションでこぼれる美しさもあったと思うけれど、混じり気のない悲しさが美しかった。悲しさだけの悲しみは本当に悲しい。後には、いじめっ子の好きな砂場に何やら恨みの品を鋤き込んだりするのだけれど(それくらいのことはしてもイイでしょう(^Q^)・・・、と俄然、悲しくなくなる(笑))。
手紙だけでは伝わらないことがある。メアリーが「許して」と書いてもマックスの怒りは収まらない。(刷り上がった著書をパルプにしているときのメアリーの気持ちをマックスは知らない。)吸い殻のポイ捨てに堪忍袋の緒が切れて、あわや相手を絞め殺すというとき、相手の「許して」にメアリーを思い出してよかった。人殺しにならずにすんだし、メアリーの「許して」もやっとマックスに届いた。自分も不完全な人間だから、間違いを犯した君も許すというマックスは立派だ。許す証に彼の全人生と言ってもいいコレクションを贈ったのにも泣けた。
この作品では、寂しいとき友だちがほしいと思う、その気持ち(希望)を持つことは大事だということと、心の友を持つ喜びが描かれていたと思う。また、心の友以外でも人とのつながりは大切だということが描かれていた。メアリーにとってのヒスロップさん(広所恐怖症)と、マックスにとってのアイヴィーさん(ほとんど盲目)だ。不完全な人間同士、許し合い助け合いましょうという、思いのほか(濁った水たまり色の目とか、うんち色の痣とか言ってた割に)ポジティブなアニメだった。
音楽の使い方がユーモラスだった。う~ん、音楽だけでなく全体的にユーモアがあった。
メアリーがどん底のとき、夫のダミアンは彼女を棄てて文通相手の元に走った。やっぱり文通っていいね(違?)。
友情は成長の遅い植物である。(ジョージ・ワシントン)
Nobody’s perfect.(『お熱いのがお好き』の最後のセリフにして、ビリー・ワイルダーの墓碑銘。)
メアリー・デイジー・ディンクル(声:トニ・コレット)
マックス・ジェリー・ホロウィッツ(声:フィリップ・シーモア・ホフマン)
ダミアン(声:エリック・バナ)
MARY AND MAX 監督:アダム・エリオット
(高知県立美術館 2011/08/13)