夢見る夫レフ・トルストイ(クリストファー・プラマー)と、現実主義の妻ソフィア・トルストイ(ヘレン・ミレン)という風にして観ると、夫婦像として結構一般的かもしれない。一方が夢を見ると一方は現実的にならないと生活が成り立たない。先に夢見た方が勝ちだ。しかも、トルストイにはチェルトコフ(ポール・ジアマッティ)などの信奉者がいて、トルストイの思想を持ち上げ、おしまいには思想大事で彼を偶像化してしまうほどだ。資産の共有という理想郷のため、トルストイに全著作権を放棄させようとする彼らにとって、それを阻止しようとするソフィアはお邪魔虫なのだ。おまけに、ソフィアの気性は激しく直情径行だから、何かとお騒がせの妻として見られ、非常に分が悪い。負け試合である。それで、悪妻などと言われたのであろう。でもまあ、家出した夫はヒステリックにわめく妻に負けたと言えないこともない。
実のところ、愛する者同士に勝ち負けはない。ソフィアもトルストイも許し合ってきたのだ。そういう歴史をワレンチン(ジェームズ・マカヴォイ)は短期間に見て取っていた。やはり、緊張するとくしゃみが出るほどの感受性の持ち主は、思想に囚われの身のチェルトコフなどとは違う。ワレンチンだからこそ、自由と愛の女神マーシャ(ケリー・コンドン)を射止めることが出来たのだろう。女神というか導師というか(?)。トルストイの理想はチェルトコフらが作ろうとしていた共同体ではなく、マーシャの生き方なのだから、ワレンチンの選択はトルストイ信奉者として大正解だと思った。
THE LAST STATION 監督:マイケル・ホフマン
(市民映画会 2011/06/25 かるぽーと)
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しあわせの雨傘
わははははは!あはははははははは!
フランスらしい小粋なコメディだ!
「飾り壺」と言われていた奥さんだが、やることはやっていたし(^_^;、やる気のなかったこともやれば出来るし、やる気を出せば凄いっていう作品で、「さあ、やるぞ!」という気になる。←何を?(笑)
自由、軽快、艶笑。映像の色彩設計など、これぞフランス。1977年という時代設定は、政治的なリアリティを考えてのことだろうか。ファッションをよく見ると、ちゃんと70年代。あまりにも違和感なく着こなしていて年代を感じないほどだった。
スザンヌ・ピュジョル(カトリーヌ・ドヌーヴ)・・・・マネキン卒業。
ロベール・ピュジョル(ファブリス・ルキーニ)
ジョエル(ジュディット・ゴドレーシュ)
ローラン(ジェレミー・レニエ)
秘書ナデージュ(カリン・ヴィアール)・・・・間が(笑)。
モリス・ババン(ジェラール・ドパルデュー)・・・・チャーミング!!!
POTICHE(飾り壺) 監督、脚本:フランソワ・オゾン/原作:ピエール・バリエ、ジャン=ピエール・グレディ
(市民映画会 2011/06/25 かるぽーと)
ディーバ
雰囲気だけの映画って気がしないこともないが、ええじゃないか(笑)。
大好きな映画で、やっぱり気持ちよかった。
雰囲気っていうのは、映画では「すべて」を意味するのだ。
ただし、もっと映像が美しかったように思っていたけれど、私が脳内で美化したのかな?午前十時の映画祭ってニュープリントだよね?
シンシア・ホーキンズ(ウィルヘルメニア・フェルナンデス)・・・・ゴージャス。
ジュール(フレデリック・アンドレイ)・・・・女神を聴くときの目がいい。
ゴロディシュ(リシャール・ボーランジェ)・・・・水中めがねは、あなたでしたか。
アルバ(チュイ・アン・リュー)・・・・ベトナムがフランスの植民地だったことを、この映画で知った。
DIVA 監督:ジャン=ジャック・ベネックス
(2011/06/25 TOHOシネマズ高知2)
私が棄てた女
上映時間内の付き合いで、ずいぶん印象が変わった三人だった。
学生時代、安保反対運動に挫折して屈託を抱えたまま就職。上司にはへいこら、女性には強引。なんて嫌な男だと思っていた吉岡努(河原崎長一郎)だったが、観ているうち意外に正直で不器用なヤツだと思うようになった。
吉岡に三度も棄てられた森田ミツ(小林トシエ)は男に都合のよい馬鹿な女かと思っていたら、経験したことを咀嚼し自立していった。本物の知恵の持ち主、「都合の良さ」など超越した愛の具現者。何度棄てられようが、最も幸せな人であった。
吉岡の恋人で才色兼備、バツイチの過去を持つお嬢様、三浦マリ子(浅丘ルリ子)は賢明だから、強請の手紙はミツからではないと見抜けるかと思ったら、嫉妬もあって見抜けなかった。「ミツなら許してくれる」と言う吉岡を残し、家を飛び出たので、これが才女の限界かと思ったが、おしまいには戻ってきていた。彼女も愛をまっとうし、幸せになれるだろうか。
マリ子が「ミツさんが闘っていたもの」と最後に謎をかけた。マリ子もまた「それ」と闘うのだ。私は「それ」は、嫉妬や愛する人に愛されたいという自分自身の心だと思う。ミツにもそういう葛藤があったはずで、二度までも棄てられて哀しく苦しかったに違いない。でも、それを乗り越えれば、愛されるより愛する方が幸せという(キリスト者的?)境地に達するのだ。だから、三度目も棄てておいて「ミツなら許してくれる」って「お前が言うなよ」と思うのは私だけで、ミツは吉岡が言うとおり許したと思う。
演出は、観念を映像化したようなところがあったり、相馬の民謡を歌うところにお祭りのドキュメントシーンが挟まったり(ここで号泣しかけた私の涙がピタリと止まった)、角張って自然な流れが途切れてしまうところがあったけれど、時代性を感じさせられ面白かった。
危惧するのは、ミツを理想の女性と言うに止まる人がいるのではないかということだ。ミツは理想の「人間」のはずだが、タイトルがタイトルだし、ミツに続くのがマリ子という「女性」だから、愛についての葛藤は女性の専売特許みたいに思われるかもしれない。私が億万長者となった暁には、『私が棄てた男』をぜひプロデュースしたいと思う。
(加藤武/加藤治子/小沢正一/露口茂/江守徹)
監督:浦山桐郎/原作:遠藤周作
(小夏の映画会 2011/06/19 龍馬の生まれたまち記念館)