園子温の脳みそを裏返しにして見せられた。
社本(吹越満)も村田(でんでん)も作家の分身なので、村田は社本のことを何もかもお見通し。村田に挑発されて自分を表に出したらマイナス・パワー炸裂。これは自己嫌悪の末の自爆映画だ。妙に笑えるところを含めて悪夢としてのリアリティが半端ではない。
世の中広いので爆弾に縁のない人もいるかもしれないが、多くの人は(自覚して、あるいは無自覚に)爆弾を抱えて生きている。私も爆弾を抱えていた時期にこの映画を観たらやばかった。2本目の『タクシー・ドライバー』になったかもしれない。だけど、今は爆弾持ってないので、それほど嵌らないですむ。『タクシー・ドライバー』は何度、映画館に行ったことか。それと、自分(個人)の問題を描いた作品としては『タクシー・ドライバー』より濃いと思う。
魚やワニが補食するシーンや、川のお魚ちゃんに美味しいものをやるシーンなど、食に関するシーンが多い。人間も捕食しないと生きていけない生き物で、生きようと思ったら必死で食べなくちゃいけない。社本の妻、妙子(神楽坂恵)が作る冒頭の投げやりな食事は人生を投げている感がありありだ。
村田はものすごく生きているので、食べるために都合よく殺し、都合の悪いものを殺す。あんまり生きていない社本にしたって妙子の作った食事を無理に食べ吐いたりしている。下界は苦労満載だ。
その点、天体は捕食不要。それゆえ、真に美しく、理想的な存在だ。プラネタリウムは下界に対する天上であり、そこでの親子三人は美しく幸せだ。三人仲良く暮らす。ささやかな願いではないか。でも、けっして叶いそうにない夢だ。『冷たい熱帯魚』という血色の文字とタイトルバックの儚さに泣けた。
社本にスイッチが入った(爆弾の導火線に火が付いた)瞬間は、いつだったか。村田に愛子(黒沢あすか)をやっちゃえと言われてだったか。それとも、俺(村田)に娘の美津子(梶原ひかり)を預けたのは、妙子といちゃつきたいからだろうと言われてだったか。ある意味図星で切れたのだろう。社本がいかにロマンチストで浮気御法度、天上の家族円満を願おうとも、欲望について100%の清廉潔白なんてナカナカないだろうから、村田も痛いところを突く。さすが分身。
タガが外れて(というか眼鏡を取られて)自由になって、娘も妻も思いどおり。殴るは犯すは。父親みたいな村田も殺す。自由っていいね(怖)。ただし、それはすべて作家の頭の中の出来事。頭の中で自分を自死させてもOK。頭の中なら自由度100%!だから、「人生は痛いんだぞ」と娘に言い残して死んでいく社本に花を持たせてやってもよかったはずだが、そうはしなかった。美津子に「やっと死んだか、糞ジジイ」と言わせるとは、どこまでも厳しい。
私はジョン・アーヴィングや西原理恵子のように厳しい現実に希望の粉をかけてくれる作家が好きだ。また、現実を現実としてどこまでも厳しく描く作家も好きだ。ムカツク自分自身と対峙し苦しさにのたうっているところ、この映画に遭遇して、自分一人ではなかったと思った人が、きっとどこかにいるはずだ。
監督:園子温
(2011/07/21 あたご劇場)
タグ: 映画
ナバロンの要塞
海~、嵐~、崖~、怪我~。戦車、大砲、爆撃機。ミッション・インポッシブル。ギリシャ、遺跡、結婚式、音楽、歌~。サービス満点!面白かった。
難攻不落の要塞の二門の大砲の前を味方の艦隊が通過するまでの間に、パルチザンの協力を得て大砲を破壊する使命を負った精鋭6名の冒険活劇という単純明快な筋書きに、キャラクターもいいし、人間関係も友情あり、復讐あり、恋愛まであって(ビックリ)まったく飽きさせない。
しかも、軍隊における指揮官は、大の虫を生かして小の虫を殺す判断を迫られる(要するに敵も殺すが味方も殺す)という裏テーマもしっかりしていた。
昔の映画は、アクション場面でもゆったりしていていいなぁ。『ブラック・サンデー』を観たときも思ったけれど、目まぐるしいカット割りも、うるさい効果音もなし。午前十時の映画祭は入場料が学生500円で、DVDレンタルと比較しても100円か200円の違いだから映画館で観ればいいのにと思っていたが、コンピューター・ゲームなどに親しんでいる若い人にとっては、かったるく感じるのだろうか???
マロリー大尉(グレゴリー・ペック)・・・・慌てず騒がず。なんかムカツク(笑)。
ミラー伍長(デヴィッド・ニーヴン)・・・・共感した人物。やはり、責任ある判断をしなくていい平にかぎる。
スタブロフ大佐(アンソニー・クイン)・・・・漁師のふりした大芝居が(笑)。
ブラウン無線兵(スタンリー・ベイカー)・・・・なんか損な役回り(?)。
フランクリン少佐(アンソニー・クエイル)・・・・『アラビアのロレンス』同様、おいしい役どころ。
パパディモス一等兵(ジェームズ・ダーレン)・・・・きれいどころ。
マリア(イレーネ・パパス)・・・・ゴージャス。スタブロフとお似合い。
THE GUNS OF NAVARONE 監督:J・リー・トンプソン
(2011/07/17 TOHOシネマズ高知2)
ブラック・サンデー
パレスチナ人ダリア(マルト・ケラー)とヴェトナム帰還兵マイケル(ブルース・ダーン)が、スーパーボウル観戦に集まった8万人の頭上からダーツ爆弾を発射するのを、イスラエル諜報部カバコフ(ロバート・ショウ)が阻止できるかどうかというお話。三者それぞれの思いが暗く、誰をも悪役とはしておらず、音楽でアクションシーンを盛り上げようともしないし、えらく渋い。それだけに「妙に尾を引く娯楽作」となっている。
同じ回の上映を観たヤマちゃん、ガビーさんと遭遇し、お昼ご飯を食べながら「ダリアが裸じゃなかったら撃っちょったかもしれん。あまりに無防備で手が出せんかったんやろう。」とか、日本では1977年の公開予定が中止された件について「どっかの大使館からクレームがついたらしい。イスラエルかパレスチナか?退役軍人からもクレームがつきそうやねぇ。」などと話が聞けたのが楽しかった。
BLACK SUNDAY 監督:ジョン・フランケンハイマー
(2011/07/09 TOHOシネマズ高知2)
ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実
優れたドキュメンタリーだと思った。
構成がとても良い。基本的に両論併記としており、例えば、脱走兵を非難する中尉の発言のすぐ後に、ある脱走兵の収監覚悟のうえの公聴会場面があったり、戦闘機乗りが爆弾を落とすときの心境を語ったすぐ後に、落とされる側の人々の様子が映し出される。決して、二元論に終わらず、アメリカとヴェトナム双方の庶民から権力者まで様々な立場の人に取材し、ヴェトナム戦争を多角的にとらえている。また、随所に内容に関連した既存の(映画か国威発揚フィルムかの)映像を差し挟むことによって、しゃれっ気を出しながら幾分のメディア批判も行っているように感じた。
そして、映画の始めと終わりに共産主義に対する考え方を配置している。始めは、アメリカがヴェトナムに介入したのは、(他にも理由はあるけれど)ヴェトナムを共産圏にしないためというもの。おしまいは、ヴェトナムで思想犯として弾圧されている共産主義者の主張。これを観ると共産主義者への偏見が薄れたりする人もあるんじゃないだろうか。
偏見をなくするという意味では、私もこの映画の恩恵に浴した。戦死した息子を持つ両親が「息子の死は無駄ではない」と言ってヴェトナム戦争を正当化していたことを無理もないと思えるようになった。映画は今まで見えてなかった人、見ようとしていなかった人を見せてくれる。
考えさせられたことがたくさんあったが、「ウィキリークスは必要だ」というのも、その一つだ。
国防省で働いていたエルズバーグ(ロバート・ケネディ暗殺の話のとき、涙で言葉に詰まった人)が、歴代の大統領が皆嘘をついていたと言うのを聞いてそう思った。後でパンフレットを読んだら(映画の中でも注釈されていたと思うけど)、この人自身がヴェトナム戦争早期終結のため、「ペンタゴン・ペーパーズ」をリークしたとのことだ。
市民が政府にスパイ(潜入捜査官)を送る映画『インファナル・アフェア~リークス~』が出来たら面白いと思う。
HEARTS AND MINDS 監督:ピーター・デイビス
(2011年ピースウェイブ実行委員会、第28回高知平和映画祭実行委員会、四国文映社 2011/07/08 自由民権記念館)