質屋

絶望を描いて成功しているため、重い重い(^_^;。
いろいろ演出が目に見えるところが、力作感を強める。
ロッド・スタイガー、役者!

ホロコーストで妻子を亡くし、一人だけ生還したソル(R・スタイガー)の傷は深い。同様の経験をしてきた女性とベッドをともにすることはあっても愛は育めず。孤独な者同士なかよくしましょうと近づいてきた女性を拒絶し、後にソル自ら助けを求めて彼女に会いに行っても、次元の異なる淵に落ちたソルを救いたくても救うすべなし。

だけど、そんなソルにも生きる力があるっていうのが作品の凄みだ。質屋の従業員ヘススが撃たれて死んだ。生きる屍状態のソルに亡骸を抱えて泣く力があった。その日は、妻子の命日なので、ヘススの死が妻子に重なる。いずれの死に際してもソルのなすすべなし。毎年、この日周辺は死にそうに生きていくのだろうなあ。

ホロコーストを初めて描いたアメリカ映画とのことだけれど、孤独というか・・・・、心の傷を癒すものが何もない絶望状態を描いた作品として心に残った。

「質屋」シドニー・ルメット ←ヒデヨシ映画日記さんへリンク

監督:シドニー・ルメット/1964年
(2015/10/04 小夏の映画会 龍馬の生まれたまち記念館)

ウィズネイルと僕

みーすけさんの裏!!『英国男優総選挙』 なりよーを拝読し、UK男優、いいよね~♥。というわけでUK男優見たさにレンタル。それが!
ベンチいや~、このベンチ、懐かしい~。唯一行ったことのある外国イングランドで目にしたこのベンチ。私が行ったのは1993年頃だったかなぁ、公園にこんな風に並んでいたのだった。この映画は1969年が舞台で1988年制作。もしかして、ずーっと同じベンチだったりして(笑)。映画の中では煉瓦壁の建物が鉄球で壊されていくカットが挿入されていたりするので、ちょうどその頃、いろんなものが新しいものに換わって行ったかもしれない。60年代からずーっとそこにあったベンチなのかも(UK浪漫~)。

季節は冬。ベンチのシーンは朝8時ごろ。パブが開くまであと4時間。ウィズネイル(リチャード・E・グラント)はウールのコート、“僕”(ポール・マッギャン)は革のコート。雨に濡れても泥がついても日本人のようには気にしない。
ウィズネイルロングコートはカッコいい。だけど、この二人はちょー情けなくカッコ悪い(笑)。UK男優にピッタリぢゃありませんか(^m^)。
ちょっと脅されただけでビビリまくり。あるいは脅されたわけでもないのにビビリまくり(^Q^)。特にウィズネイルってば、尊大なくせに小心で。ウィズネイルをシリアスにしたら「山月記」の李徴になりそうだ。見た目は、マイケル・キートンだと思うんだけど(?)。「俺は見た目もイイし、演技力もある。バカみたいなヤツらがテレビに出演して、やってられないよ。」
吹き替えもなかなかよかったけれど、リチャート・E・グラント本人の声の方がウィズネイルの可愛さが倍増だ。“僕”の方もけっこう可愛い。というかバスタブで髭を剃るシーンの横顔なんかノーブルだ~。売れない俳優が、うだうだしているだけの作品だからキャラクターの魅力は必須なのだ。あとモンティおじさん(リチャード・グリフィス)が善い人で、可笑しくて哀しくてとてもよかった。

さらば60年代真ん中はクスリの売人ダニー(ラルフ・ブラウン)。この人、ものすごく自由だ~!あと数週間で1970年、ダニーは言う。「歴史上、もっとも素晴らしかった10年が終わる。結局、俺たちは黒く塗れなかった。」
「Paint it black」と言えば、ローリング・ストーンズなんだろうけど、私はそれを大森一樹監督の『ヒポクラテスたち』で知った。30年以上前、高知医大の学園祭で上映されたのをわざわざ見に行って、ストーリーもほとんど忘れてしまったが、傷心の主人公が白衣を黒く塗りつぶす、そんな痛々しさが心に残っている。
・・・という話は置いといて。
就職が決まって髪を切ってきた“僕”を見た瞬間に「いちご白書をもう一度」って感じなんだけど、二人の別れのシーンからおしまいまでが胸が締めつけられるほど切ない。それまでケラケラ笑かされてたのにぃ。
雨の中、傘とワインのボトルを持ったウィズネイルが、超絶美しい!ウィズネイルの取り残され感。そして、“僕”と別れたあと、金網の向こうの狼を観客にハムレットを演じる。
ああ、やっぱり英国で役者を目指す者にとっては、この厭世王子なんだね~。モンティおじさんさえも役者を目指したことがあったというから、演劇人口の多さは推して知るべし(?)。

60年代の終焉というか、惜別というか、それは過ぎてから描けることなんだろうなぁ。

映画: ウィズネイルと僕 ブルース・ロビンソン監督作品 Withnail and I ←このページでこの映画のことを知ったと思う。
『ウィズネイルと僕』Withnail and I(1986)  ←チーキーさんの英国党宣言のページ。ワンポイント解説がありがたい。

60年代のイギリス映画、見てみたいな~。
『アルフィー』『ナック』『長距離ランナーの孤独』『ミニミニ大作戦』

ジェームズ・ブラウン 最高の魂を持つ男

この作品のジェームズ・ブラウン(チャドウィック・ボーズマン)は一筋縄ではいかない人物だった。ただ、その複雑さにはそれなりの理由があったり、目茶苦茶なようでいて実は理解できないほどではないことが、わかってくるような作りになっている。

例えば、バンドの仲間を裏切るような形で独立するは、独裁者のように意のままにリハーサルを取り仕切るはの所行の数々に耐えていた親友のボビー・バード(ネルサン・エリス)までもが、(思い遣りのないセリフに)ついに堪忍袋の緒を切らし(というか匙を投げて)、「お前は人との繋がりなんて必要ないんだろう。独りきりでやればいい。」と去って行く、その場面から、シアターでのコンサートが大成功した夜、生き別れの母(ヴィオラ・デイビス)と再会したときへとフラッシュ・バックして、母にお金を渡し、もう来るなと言いながら、内緒で経済的援助をするようにボビーに指示を出す。
あるいは、冒頭、理不尽な言いがかりでライフル銃を乱射した後どうなったか、忘れた頃(おしまいの方)に明かされる。息子ジュニアが亡くなり、薬をキメて・・・・冒頭シーンにカット・バック。その後、車で逃走し御用となったのであった。
それぞれのシーンに作り手が出した答えは、ジェームズ・ブラウンは「人との繋がりを大切にする」し、「息子を亡くした哀しみのあまり刑務所送りになった」ということのようだ。私が気づいたのはこの二つだけれど、時制を超えた場面と場面をパズルのようにつなげると万事このように、作り手の様々な答えが用意されているような気がする。

ジェームズ・ブラウンは、子どもの頃、貧しさのため親に捨てられたが、才能に絶対の自信を持ち、ギンギン・シャウトにキレッキレのステップと頭脳で抜け目なくしたたかにショービズ界を渡り、ステージではカリスマ、まさに破天荒を地でいった。恩人はマネージャーのベン・バード(ダン・エイクロイド)と親友のボビー・バードだった。そういう作品だったと思う。

ミスター・ブラウンと呼ばせるけれど、自分も相手をミスター付けで呼ぶところと、ライブシーン、よかったー!

野火

不思議と湿気が感じられなかった。そのせいか、ここで描かれたおびただしい亡骸からは臭いがしてこない。ちぎれた手足も傷口も鮮明で、きれいだと思った。塚本監督がトラウマになるくらいの描写を目指したと言っていたので覚悟して行ったが、正視できて私としてはありがたかった。

肺病で部隊と医療所を行ったり来たりさせられるところは、戦争につきものの理不尽さが早くも「出た・・・」という感じだった。途中で休んで芋を食べたらいいのにと思うけれど、そんな行動の自由はもちろん思考の自由も奪われているのだろう。
ギャンギャン吠える犬に脅えて発砲し、ギャーギャー叫く現地の女性に発砲し、同行の若い日本兵にも発砲する。「二度あることは三度ある」であり「三度目“も”正直」だった。田村一等兵(塚本晋也)が強い人間なら発砲なんかしないで対処できただろう。相手は銃を持ってないのだから。でも、ビビリは追い詰められると殺ってしまうのだ。私も同じタイプ(ToT)。

密林を幽鬼のように彷徨う兵士がいた。動けず自爆した兵士がいた。上映時間は短いが、他にも盛りだくさんだった。その中で一番強く感じたのは、「戦友は?仲間はどこ?」ということだった。「同期の桜」とか「同じ釜の飯を食った」とか、アメリカ映画でもネイビーシールズの仲間意識とか、ともに苦難に当たると結束力も強くなるというのは戦争の一面でしかなかった。

この作品から戦友とか仲間を感じることはできない。殺伐としている。この孤絶感。一応組織の体をなしている伍長(中村達也)の下でさえ、その部下をして「ここにいても良いことはないぜ。」と忠告されるのだ。
肉を食べるにしても、亡くなった仲間に手を合わせながらというのを想像していたので、狩りは想定外だった。それが事実でないとしても優れた作品は物事の本質を突いてくるので怖いところだ。安田(リリー・フランキー)も永松(森優作)も目的を失っているとして思えない。『地獄の黙示録』でも似たような狂った場面があった。上官もなく目的も失うとあんなになるのだろうか。
人肉食がなかったとしても、うえから書いてきたような体験は、なかなか語れないし、語りたくないと思う。

わからないところもあった。野火はラストシーンを除いても2回は出てきた。タイトルにまでなっているのに、どういう意味が含まれているのかわからなかった。
また、映像が赤っぽくなるところが何回かあったが、これも何か意味があるのだろうか。
焼け石に吐いた血が蒸発するところと塩のことは想像が及ばなかった。←言われてみればと目からウロコ。

戦争の一部分しか描かれてない作品だけれど(そもそも全部描くのは無理)、こういう一つ一つの作品を見ていくと、どのようにして戦争に至るのか(どうすれば戦争を防げるのか)、戦争は個人に社会にどのような影響を及ぼすのか、普遍的なことがわかってくる。そういう1本として良い作品だと思う。

なお、あたご劇場では、11月に市川崑監督の『野火』も上映される。

(2015/08/14 あたご劇場)