寿初春大歌舞伎(松竹座)

もう2ヶ月近く経ちますが、舞台の記憶は鮮明でございます。
<昼の部>
源平布引滝 義賢最期(げんぺいぬのびきのたき よしかたさいご)
この芝居で面白かったことを煎じ詰めると二つになりました。
一つは、義賢(愛之助)が平家に攻め入られ、これを迎えて討ち死にするのですが、この戦いの場面で驚愕の技が!
戸板二枚を立てて、それに渡したもう一枚の戸板に義賢が乗るのですわ。二階から見ていてもかなりの高さです。しかも、その板の上で立ち上がる!劇場では「きゃー」とか「うおお」とかどよめきが上がります。
それだけではありません。戸板を支えていた人達が、戸板を離して去っていくのです!
そうすると、もちろん立てていた戸板は倒れます。更なる悲鳴が上がっても成す術なし。義賢が上手く着地して見栄を切るのにホッと一息。そして、拍手、拍手でございます。
それと仏倒しという大技。ひな壇の上から、ばったりと前に倒れるのが義賢の最期です。これは痛い!戸板乗りより痛い!(と思う。)歌舞伎って観るたびに、こういう大技にビックリさせられて、いったいどれほどの技があるのだろうと感心しきりでした。
もう一つは、お話の方です。源氏の白旗を平家に取られないよう守るように義賢から言われた小万。小万の小さな息子太郎吉、小万の年老いた父親。なんか覚えのある登場人物だと思ったら、昨年9月に観た「実盛物語」の登場人物ではありませんか。
そうなんです。「義賢最期」の後日談である「実盛物語」を先に見ていたのです。
芝居と芝居がつながる!なんか嬉しかったです。こういうのも歌舞伎の楽しみですね。
花街模様薊色縫 十六夜清心(さともようあざみのいろぬい いざよいせいしん)
十六夜(玉三郎)と清心(仁左衛門)が、がらりと人柄が変わるのが見所。おもしろかったです。
人を殺めてしまい狼狽していた清心が、次の瞬間には「一人殺すも千人殺すも、獲られる首はたった一つ」と変わってしまう面白さ。そそとして儚い十六夜が、人が変わると声音まで変わる面白さ。看板役者は、期待を裏切りませんね。

寿初春大歌舞伎(松竹座)

いやー、おもしろかったです。
仁左さま、いろっぽい。玉さま、きれい。孝太郎さん、おみごと。
歌舞伎って映画ですね。孝太郎さんが、主役を演じた「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」なんか、デパルマです。
■神霊矢口渡
お舟(孝太郎)は、一目ぼれした新田義峯(薪車)を、追っ手から逃がすため、義峯を捕まえたという知らせの太鼓を打ち鳴らそうとします。でも、その前に、自分の父親に義峯と間違えられて刺されており、そのうえ、義峯を逃がしたと知った父親から殴るの蹴るのされてボロボロの身です。だから、太鼓まで這って行くわけです。これが、ブライアン・デパルマ真っ青のスローモーションなんですねー!
観客としては、恋に一途なお舟に早く太鼓を叩かせてあげたいのですが、正に「三歩進んで二歩下がる」。更に嘘の太鼓を叩くなと邪魔が入って、もー、地団太を踏みたくなります。
これは『ミッドナイト・クロス』で、囮となったナンシー・アレンを助けに走るジョン・トラボルタのスローモーションシーンで地団太を踏んだのと同じ!
孝太郎さん、ホンマによかったです。
お舟は、戸を開けるまでは無愛想だったのに、開けた途端、義峯に一目ぼれして態度が変わる面白さ。嬉し恥ずかしで(けっこう積極的に)迫る姿の可愛らしさ。義峯が連れの女は妹で、お舟と添うてもよいと言ったのを全く疑わず、懸命に太鼓を鳴らそうとするいじらしさ(涙)。感動しました。
それにしても、父親は、誤ってお舟を刺しても介抱するどころか、ちょうちゃくするとは。褒美の金に目がくらんだ父親が、義峯を追うため花道を駆け抜ける姿。凄まじい形相でした。動きもスローモーションで、この動きは正に芸を見せてもらったという感じで、そのうまさに感動しました。
■おかる・勘平(道行/鉄砲渡し/二つ玉/切腹)
「ロミオとジュリエット」のような若さを要求される二人を、「ロミオとジュリエット」ほどには若くない仁左さまと玉さまがどんなに演じるのだろうと興味津々でありました。
そしたら、まあ、おかるの親元へ向かう道行の場面では、仲睦まじく、お似合いのカップルで、当てられるわ〜。二人とも若い、若い。背景の富士山や桜が、初春歌舞伎にふさわしい明るさです〜。
勘平が切腹に至るまでに、年季奉公に連れて行かれるおかるとの別れの場面があるのですが、おかるが名残を惜しんでいるのに勘平は一言も発せられません。周りの話の様子から、夕べ自分が誤って撃ち殺し、懐から五十両を頂戴した相手は、おかるの父親だったことがわかって、ショックでものが言えないのです。
おかるが出て行ったあと、義父の遺体が運び込まれてからは、床に突っ伏したままです。いや〜、この背中が色っぽい(はぁと)。しかも、一言のセリフを発しないのに、その背中から二十歳前後の若者の雰囲気が伝わってくるのです〜。もちろん、何ということをしたのかという声にならない嘆きも。
義母には「もしや殺したのはお前では」と詰め寄られるし、仇討ちに加わりたさに調達した五十両も「主君の大事のときにいなかった近習の金は受け取れぬ」と突き返されるし、「いいわけなさに勘平が、切腹なしたる身のなりゆき、ご両所方、ご推量、く、く、くだされい」という気持ち、わかった、わかったぞぅぅぅぅ……!
妻は身売り。自分は窃盗。主君の仇討ちのために、そこまでしたいかねと思うなかれ。当時の若者の価値観というか、気持ちがすごくよくわかりました。泣けましたぞぇ。
翌日(1月22日)昼の部に見たお芝居については、また明日。
歌舞伎・演劇トップ > 大阪松竹座 > 2006年1月の公演情報
http://www.shochiku.co.jp/play/shochikuza/0601/index.html

噂音菊柳澤騒動

11月12日に国立劇場で歌舞伎の通し狂言を見てきました。「噂音菊柳澤騒動」(かねてきくやなぎさわそうどう)と読み、100年ぶりの上演だそうです。
通し狂言というのは、みんなこのお芝居のように盛りだくさんなんでしょうか。ある幕では松健サンバもどきで笑いを取りーの、またある幕では義太夫で泣かせーの、はたまた大詰めでは大立ち回りがありーの、12時から4時半過ぎまでたっぷり楽しませてもらいました。
非常によく出来た芝居で、将軍(菊之助)に自分の妻(時蔵)を差出し出世しようとする侍(菊五郎)と、若旦那(菊之助)に女房(時蔵)を差出し身代を築こうとする町人(菊五郎)。身分の上下に関わらず色と金への欲は変わりがないことを交互に見せます。お上の話がそれからどうなったかは、下々の者が引き継いで見せるというわけです。
この見せ方がまずもって面白いうえに、看板役者数人がそれぞれ一人何役も演じるので、観客としては役者の変化も楽しめます。
ただし、大詰めの大立ち回りは、筋書き上なぜそうなるのか流れが不自然で、大詰めを盛り上げるために乱闘場面を用意したように思われました。
また、時蔵さんが柳澤の妻(ということは将軍綱吉の愛人)を演じるのはいいのですが、綱吉の正室まで演じるのはいかがなものでしょう。セリフを始めると、ちゃんと別人になっていましたが、それまでは「あれ?柳澤の妻?」と思ってしまいました。
ここは、時蔵さんには思い切って老け役をやってもらいたかったな〜。四幕の三間右近(菊五郎)の母をやってくれたら、下女おしづ(菊之助)ともども、主役の三人が全五幕に出ずっぱり!再演の際には、是非ともそうしてくださいまし。
えー、さてー、私の好きな菊ちゃんは(菊之助の方ね)、将軍綱吉の和歌を愛する初心な時代から生類哀れみの令を出すような殿様への変貌ぶりも上品に、木目細かに演じておりました。上手いです。(若旦那は若すぎると思ったけど。というのは相手役の時蔵さんの姉さんぶりと比較してです。)立役もいいわ〜。きれいだもんね〜。
でも、下女おしづには泣かされた〜。右近に求婚されて嬉しいけれど身分違いゆえ心ならずも断る次第。右近とその母が自害したのを見ての驚愕の面持ち。身をもみしだく様のいろっぽさ。心からの表情が、顔だけじゃなく身体全体で表現されていて感動しました。
菊五郎さんは、見得を切るときとっても上品なのね。菊ちゃんもお父さんの芸を引き継いで、やりすぎないのだわ。
あ、そうそう、大立ち回りのとき、セリフをとちった人がいて(そのとちりぶりがあまりにも派手だったもので本人も会場も笑ったのですが)、菊五郎さんまで吹いていたのが可笑しかったです。やはり、生の舞台っておもしろいですねえ!
うわーーーーー!!!!これを忘れちゃいけない。
綱吉、柳澤奥方おさめ、柳澤の三人の関係をずばり見せた三幕一場がとてもよかったです。柳澤が操る綱吉人形とおさめ人形が艶っぽい関係になるという踊り。幻想的で夢のよう。と思ったら、次の場で若旦那とおりうが見た夢で・・・・・とつながります。芝居(すじがき)の流れとしてもいいし、菊ちゃんの人形振りが見れるのもいいし、この最高の場面を書き落としちゃダメダメでした〜。
ご機嫌!歌舞伎ライフ噂音菊柳澤騒動レポートをご覧ください。

海老蔵と菊之助

名古屋の御園座で十一代目市川海老蔵の襲名披露公演を見て来ました。
いや〜、海老ちゃん、いいですね。「源氏物語」(三幕)では、花道に登場しての声のトーンを聴くなり、これで役作りは決まり!と思いました。色気、高貴な身分、秘めた恋ゆえの憂い、情熱が声に現れています。気だるげな又はそっけない調子の物言いには、ときに笑いを誘われましたが、六条の御息所に対してなどは残酷に聞こえました。また、容貌の美しさは言うに及ばず、伏し目がちな表情や演技が自然で、7月の与三郎を見たときは役作りが透けて見えたものですが、この光源氏について言えば、正にはまり役だと思います。
「源氏物語」での菊ちゃんは、朧月夜。藤壺への想いがつのり悶々とする光の君に突然襲われて恐れおののくものの、相手が光の君とわかって一目ぼれ。その後は、自分の心に正直に「会いたかった」と胸にもたれたり、都落ちする光の君を追いかけたりと主体的な女性です。菊ちゃんは、品よく可愛く美しく演じており、最後の別れのシーンなどは、海老ちゃんとの芝居が実に息が合って思わず涙を誘われるほどでした。
今回の「源氏物語」では、藤壺との不義の一夜から六条の御息所、葵上、朧月夜ときて須磨へと都落ちするまでのお話ですが、海老ちゃんファンのWEBサイトの掲示板などで言われているとおり、暗転過多の細切れ芝居であって、役者の魅力で持っているというのは、そのとおりだと思いました。
皆よい俳優で、私は澤村田之助さんが演じた弘徽殿の女御が特に気に入りました。実に憎々しげながらも、「十三で帝に嫁してから幸せだったことは一度もない」という本来なら哀しい身の上を、嘆きよりもその強烈な個性で生き抜いてきた逞しさ。憎しみに費やした時間の長さを感じさせる風貌。感情を隠さないために子供っぽく見えて、どこか憎めない人物であります。物語を読む限りにおいては、(私の読み取り不足でしょうが)単なる悪役に過ぎないと思っていた弘徽殿の女御を生身の人間として実感させてくれたのは収穫でした。「源氏物語」は、本当にあらゆる女性が描かれているんですねえ。
俳優で多少の不満があるのは、頭の中将を演じた尾上松緑さん。私は頭の中将には思い入れがあるので、松緑さんにはちと酷かもしれませんが、あれは頭の中将じゃなーい!と思いました。少なくとも、頭の中将が悪代官に袖の下を渡す町人のような表情をするのはいかがなものかと思います。「助六」の白酒屋は、まだまだ精進の余地はあるものの、頭の中将よりずーーっとよかったので、お若いことですし、今後に期待したいと思います。
また、桐壺帝の中村雁治郎さん。雁治郎さんの解釈では、桐壺帝は藤壺と光の君の密通を感づいていたのでしょうか?私はお芝居をより面白くするために、桐壺帝は感づいていたが、藤壺と光の君を愛するがゆえに二人ともを許し、二人に対しては知らぬ振りをしていると解釈して演じる方がよいと思います。そうすると、帝の二人への愛の深さと心の広さが表現されることとなります。ところが、雁治郎さんは、帝は知らなかったとして演じているように見えます。だから、妻と息子の不義に気づかない無垢な帝が、精一杯妻を愛しているというふうに、人はいいけれど少し小粒な人間に見えてしまいました。
雁治郎さんは、「源氏物語」では言葉尻を長く伸ばしたりで芝居が型に嵌りすぎていたので、型がものいう(?)昔からの芝居「熊谷陣屋」の直実に期待しておりました。(浄瑠璃ものだしぃ。私は浄瑠璃が好きなのよ。)ところが、セリフのとおりがあまりよろしくないせいでしょうか、おやつを頂いたばかりだったせいでしょうか、うとうとしてしまいました〜。がーん!鳴門太夫さんの浄瑠璃は、すばらしかったのにぃ(悔)。
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さて、「助六」は、すばらしく面白いです。抱腹絶倒、愉快痛快。
海老ちゃんは、かっこいいー!かわいいー!これ地じゃないっすかぁ〜(笑)?
花道で一節踊ってくれるんだけど、絵のようなとはこのことだと思いました。うつくしー!
早口のセリフが聴き取りづらいところがあったのが残念ですけど。
それにしても、あれだけ股を開く所作が多いのに、ピンッとなった裾が、ずーっとピンとなったままっでくずれないのが面白いですねー(笑)。
菊ちゃんの揚巻は、色っぽい、かわいい〜!これでもう少し、キリリとしたところがあれば、言うことないですね〜。もっと、ツッコミどころがあってほしいぞ(笑)。
衣裳、すごかったですねえ!
7月にお富と与三郎を見て思ったことですが、海老ちゃんはクレヨンで枠からはみ出さんばかりに塗ったぬり絵、菊ちゃんは色鉛筆で枠からわはみ出すことなく均一に塗ったぬり絵。海老ちゃんは太陽、菊ちゃんは月。
海老ちゃんの思考錯誤ぶりが目に見える与三郎、おもしろかったなー。切られた後の与三郎のため息、色っぽかった〜。(あそうそう、光の君のため息、何種類もため息があるんですが、どれもよかったです。私は海老ちゃんの「ため息」のファン(笑)。)
なんか、海老ちゃんのことばかり書いていますが、私は菊ちゃんが好きなのよ。木目細かい演技が快感なのよ。見る度にいいよね〜と思うものね〜。もっともっと上手に、深みが増していくように精進してください。とりあえず、ぬり絵の枠の取れるのはいつの日か。一皮むけたところを見るのが今から楽しみです。
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観劇日:9月25日、26日
演目昼の部:「源氏物語」(三幕)
夜の部:「熊谷陣屋」、「口上」、「助六由縁江戸桜」