ちょー面白かった!!!
夫婦の問題に始まって、イランの貧富の格差問題、宗教、裁判とフックがたくさんあった。また、日常がこれほどサスペンスに満ちているとは!!!というくらいハラハラドキドキの連続(あああ!おじいちゃんの酸素ボンベを子どもがいたずらしている~~。あああ!こんな交通量が多いところを認知症のおじいちゃんがウロウロしてぇ~!他もろもろ)。とにかく密度が高い。映像もきれい。美男美女多し。
西川美和監督が夫婦の不思議を描くべく、阿部サダヲと松たか子で撮影中だとか。西に別れそうで別れない夫婦があれば、東におしどりと呼ばれながら別れる夫婦あり。そういう不思議を作品にしてみようと思ったらしい(不確実)。
『別離』も夫婦の不思議たっぷりだ。妻シミン(レイラ・ハタミ)と夫ナデル(ペイマン・モアディ)は、お互い愛情はありそうなのに、傍から見ればささいなことで別居生活、離婚の危機となっている。シミンは娘テルメー(サリナ・ファルハディ)の教育のため移住したいと言いながら、娘にたいしてはあっと驚く冷たさで私は焦った(笑)。本当は夫の父の介護がイヤだったんじゃ???だから、夫が父をおいて国外へ移住など出来ないと言えば言うほど、本当の気持ちを言えなくなったのかしら?ただし、ナデルが自分の言うとおり示談に応じれば別れないとも言っていた。とすると、ナデルはシミンの言うことを全く聴いたことがなく、なんでも思いどおりにしてきたのかもしれない。移住の話はナデルも一旦は応じていたらしいので、初めて話し合って事が進んだつもりだったのに、やっとこさ移住の許可が下りたと思ったら移住しないと言い出す。またしても夫の思いどおりになるのか!夫がまるで言うことを聴いてくれないという妻の嘆きは割と聞こえる話である。いっぺんくらい私の言うとおりにしてくれてもいいではないか。中産階級でインテリで自我が確立されているシミンにしてみれば、積もり積もった思いがあったのだろう。
もう一組の夫婦、ナデルにヘルパーとして雇われたラジエー(サレー・バヤト)とその夫、失業中のホッジャト(シャハブ・ホセイニ)について感じたことは、貧しさは誇りをむきだしにするということだった。ラジエーはナデルから泥棒の疑いを持たれて抗弁する。信仰心が篤すぎて自分では何も考えない(宗教はアヘンだという言葉を彷彿させられる)ような人だから、抗弁とはほど遠いところにいるはずなんだけど、盗むなという教えに背いたと思われるのは堪らないのだ。夫のホッジャトも妻子に暴力を振るっているのではと疑われて激憤し、そんな疑いを口にしたギャーライ先生(メリッラ・ザレイ)のところへ乗り込む。貧しさは人を卑屈にさせることがあるし、言いたいことを言えず堪え忍ばなければならないことも多い。だから、私はラジエーとホッジャトの炸裂場面に胸が痛んだ。
この映画には裁判所の場面が何度もある。離婚の調停も傷害事件も判事一人に当事者、必要に応じて証人といった簡易な感じだった。検事と弁護人がいるような公訴事件の裁判はまた別にあるのだろうが、この映画で描かれたイランの裁判模様がすごく面白かった。また、当事者は言いたい放題言っていいるけど、必ずしも本当のことを言うわけではなく、自分に都合のよい方へ決着を付けたいのが人情だということも描かれていた。
ラストシーンは、シミンとナデルの二人が目も合わせず押し黙って相対している。二人は離婚が認められ、娘のテルメーが両親のどちらを選ぶか判事に告げるのを待っているのだ。私はテルメーがどちらを選ぶのかは重要でない気がした(どちらを選ぶか全くわからなかったので)。テルメーの気持ちを作品中では伏せたことにより、裁判によって白黒は付いても明らかにならなかった夫婦の問題(いったい離婚の原因はなんだったんだという問題)がクローズアップされたような気がした。
JODAEIYE NADER AZ SIMIN
NADER AND SIMIN, A SEPARATION
監督:アスガー・ファルハディ
(こうちコミュニティシネマ 2012/07/11 高知県立美術館ホール)
お茶屋さん、こんにちは。
すっかり遅くなってしまいましたが、過日の拙サイトの更新で
こちらの頁をいつもの直リンクに拝借しているので、
報告とお礼に参上しました。
こうして改めて拝読すると、シミンにしてもラジエーにしても
女性の不可解さに満ち満ちていたことが思い出されながら、
お引きの『夢売るふたり』の
里子(松たか子)の訳分からなさのようにはなってなかったのが
やはり大した作品だったと思いました。
どうもありがとうございました。
リンクとコメント、ありがとうございます。
観ているうちにどんどん頭がクリアーになっていって仕事の疲れも吹き飛んだので、素晴らしい作品だと思います。
この監督の他の作品も観てみたいですね。