ドッグマン

『ドッグマン』の感想を毛筆で書いた画像

救いはある

リュック・ベッソン監督作品を全部観たわけではないが、本作が最高傑作だと思う。予告編を見て血しぶきだらけの怖いバイオレンス作品と思いパスを決め込んでいたが、映友の強力プッシュがあり、無料のアマゾンプライムでも迷いつつパスし続けていたのは「銀幕で観よ」という天啓であったかと思いながら駆けつけた。『ニキータ』『レオン』の頃のような抒情や浪漫があり、おっそろしく重厚な音楽なのに犬のとぼけた顔や小走りがユーモラスで、壮大な正当防衛シーンでさえバイオレンスより滑稽味が勝っていた。ごった煮感のある挿入歌も、『ゴッドファーザー』愛のテーマにのせて主人公ダグラス(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)の孤独な現状が描かれたり(涙が出る)、就職先のキャバレーでダグラスが歌う「群衆」は(エディット・ピアフの口ぱくだとしても)素晴らしいし(涙が出る)、アニー・レノックスやシェールが出てくるわで、音楽の門外漢である私でも楽しめた。そのうえ、ダグラスは受難を被りながらも、最後に十字架に掛かるまで生きぬいた。その生き方は、まさに「人はパンのみにて生くるにあらず」。無償の愛を注いでくれるベイビーたちとシェイクスピアが、恋愛では暗黒面に落ちた彼に自尊心を与え続けてくれた。ラストはダグラスの幼少期から逮捕に至るまでを聴き取っていた精神科医エブリン(ジョージョー・T・ギッブス)の家の前に一匹の犬がやって来て彼女を見上げるシーンだ。無償の愛を注いでくれる犬は神の象徴だ。人生の痛みを背負う人に神は寄り添ってくれるらしい。神はエブリンが背負う困難を解決してくれるわけではないけれど、生きる力になってくれるだろう。私はキリスト教徒ではないので、とにかく生き抜いたダグラスと本作品自体(本や映画)が神だと思う。神は心の食べ物、必需品だ。花も実もある娯楽作だった。

Filmmusik(フィルムムジーク)さんの『DOGMAN ドッグマン』の挿入曲とサントラ
(2024/09/05 あたご劇場)

とさピクシアター

9月6日(金)から9月10日(火)まで上映中の『大いなる不在』を観るため、シネマ四国が運営しているとさピクシアターへ本日、初めて行ってきました。友だちからリクエストがあったので、どんな感じかレポートします。

とさピクシアターの場所は、高知駅から東へ歩いて10分くらいで、駅前の通りをひとつ北へ入った住宅街。隣には小さな公園があって早くも彼岸花が咲いていました。

駐車場

とさピクシアターには駐車場がないので、一番近いと思われるTimes(高知北本町)に目星をつけていましたが4台しか駐車できないので、満車の場合、とさぴくシアター周辺パーキングに案内のあった高架下かその付近のデイパークに駐めようとグーグルマップでシミュレーションしていました。最悪の場合、いつも隙隙の高知駅の駐車場に駐めて歩こうと思っていましたが、Timesに駐車できました(ラッキー)。そこから歩いて2、3分でとさピクシアターです。グーグルマップでは狭い道のように感じましたが、軽自動車なら余裕で行き違いができるくらいに感じました。Timesが満車ならこの道を通って高架下のデイパークへ行けそう。

とさピクシアター

シアターのとおりまで来ると映画の立て看板や目印の旗が立っているのですぐわかりました。youtubeで見たとおり1階にお手洗い、2階で靴を脱いで受け付け、3階がシアターとなっていました。階段は急です。手すりありで一人通れる幅(三尺道のよう)。2階で受付を済ませてお手洗いに降りてくる人2名と階段の譲り合いです。
平日の昼間(1時から)の上映に行ったのでシニアの方々が大勢。22席あるそうですが、ほぼほぼ埋まっていたような気がします。先日、高知新聞で紹介されたし、藤竜也だもんね!
本編が始まるまでは、スクリーンにとさピクシアターをはじめ、県立文化ホールの事業や他の自主上映の予告編がどんどん映されていました。
椅子は意外に座り心地がよろしく、音響にはびっくり。始めの方でお腹までズンズンと音が響くところがありました。あんまり音が大きいと私は瞼がピクピクなるのですが、そこまでではなかったです(安堵)。ただし、ホラーでもない『大いなる不在』にビックリして2回くらいは飛び上がりました。次に行くときは耳栓を持って行こうかな。

おとく情報

前売り券や予約などで当日一律料金(今日は1,800円)よりはお安くなるようです。また、LINEの公式アカウントを友だち登録すると、上映会の情報はもちろん、予約ができたり、とさピクシアター上映作品を6回観ると1回無料になるポイントカードサービスもあるそう。さっそく登録しました。

【道案内】高知駅からとさぴくシアターまで(2分31秒)
【潜入】とさぴくシアターへようこそ(2分27秒)
【トーク】とさぴくシアターができた理由(3分50秒)

瞳をとじて

『瞳をとじて』の感想を毛筆で書いた画像

探し物は何ですか

青年と老人(同一人物と思う)の背中合わせの白いトルソーを見て、ああ、これは時間に関する作品だなと思ったら、時間と記憶と人(自分を含む)探しの作品だった。
美しく詩的でとてもよかったのだが、案の定うとうとしてしまい、もう一度観に行く気にもなれないのでアトランダムに。

・瞳をとじると見えないものと見えるものがある。内面を見ること。
・ヴィクトル・エリセ監督は『ミツバチのささやき』でフランケンシュタインを登場させたこともある映画好き。今回、映画愛が横溢。フィルム、映写機、映画館。
・「ドライヤー亡きあと映画に奇跡はない」って、カール・ドライヤー作品はジャンヌ・ダルクのやつと『奇跡』を観ているけど、やたらと美しいモノクロームで凄くよかったという記憶のみ。もういっぺん、心して観たいではないか。
・自分さがしは若者の特許ではなかった(びっくり)。老年には老年の自分があるのだろう。いや、老年とくくるのもどうか。
・人は移ろうがフィルムは時を越える。
・レンタル倉庫は過去。海辺の住居は現在。閉ざされた映画館から未来が始まる(?)。
・ミゲル(主人公の映画監督)の友だちでフィルムを保管していたおじさん、ナイスなキャラクター。
・涼しくなったら寝不足は解消される見込み。
(2024/09/01 あたご劇場)

容堂印譜

冊子「へそまがり大名の自画像 容堂印譜」高知県立高知城歴史博物館の表紙画像

5年前から買っときゃよかったと気になっていた冊子を手に入れた。幕末の土佐藩主、山内容堂の雅印124顆(未完印3顆を含む)の原寸大の印影と印面及び外観の写真に印文の読みと短い解説がついている。側款の拓影はないが款文は掲載されている。

尾本師子学芸員による巻頭の一文「へそまがり大名山内容堂の雅印についての一考察」も面白くためになる。藩主の子は江戸で育つが、容堂は分家の子だったので土佐生まれ土佐育ち。容堂を絡めて幕末のごちゃごちゃも簡潔にまとめてくれてあり助かる。文人、容堂の解説にあたっても、和漢の古典に通じた教養があり、漢詩・漢文・中国風の山水画・人物画をモノするのが文人であり、当時の支配階級などに(武士や町人まで文人に憧れる人も)大勢いたとことがわかった。そして、容堂が依頼して作った印の印文などから、酒飲みのへそまがりという人物像が浮かび上がるので冊子の副題は「~の自画像」というわけなのだ。幕末の殿様は「いごっそう」だったのね。

うえの画像の右上の印影は「厳璋之章」。厳は字として使用しており、「厳しい」でも「厳か」でもなく、現海南省北東部にある樹木の名であり、この木は水に浸すと酒を生じるらしい。璋は名前として使用しており、玉器の圭を縦半分にした玉器で才智不完全を意味するとのこと。章は印のこと。

そのすぐ下の印影「酔中真味」は、酔いの中にこそ人生の真の味わいがあるという意味。更にその下の「美禄」は漢書中の「酒は天下の美禄なり」から。一番上の縦長の印「酒非丹醸不可酔水非鴨河不可飲」は、「酒丹醸(伊丹)にあらざれば酔うべからず、水鴨河(鴨川)にあらざれば飲むべからず」で土佐藩の篆刻家、壬生水石の刻。

表紙画像の中で一番大きな印影「学書者紙費学医者人費」は、「書を学ばば紙のかかり、医を学ばば人のかかり」と読み下し、書の上達のためには紙を沢山使わなければならず、医術の上達のためには患者を大勢死なせなければならないという意味で、北宋時代の文人、蘇軾(蘇東坡)の「墨宝堂記」からとった容堂お気に入りの詩句とのこと。5年前は書道に入門する前なので蘇軾なんて知らないから、買うのが今になってよかったかも。

安政の大獄で蟄居中は「武陵罪人」なんてのを使用したり、ドラマで見る蟄居とは違って余裕?

印材は鶏血石、水晶、銅、竹の根などで、鈕(判子のつまみ)が獅子などの動物や羅漢だったり、薄意(表面の彫刻)は全面に蓮の葉や花が施されていたりで財力を感じる。また、金襴の仕覆や箱が付属しているものが多く、仕覆の底面や箱に白絹を貼って印の材質、鈕の形、印文、刻者名の書き入れがあるという。

昔から判子やスタンプが好きだった。三個のスタンプが毎月送られてくる通販を契約したこともあったし、年賀状などのハガキの落款用に喜々として既製品を買ったり、書道を始めてからは落款印、他にもほしい~と思う。だけど、判子って立体立体しているからなぁ。(文鎮の類いの文房具が部屋のあっちこっちに転がっているのに(^_^;。)立体でも帳面ならまだいいかと思う。御朱印や県内の博物館などのスタンプを集めるのは楽しそうだ。ただし、定規を当てても直線が引けない粗忽者が、きれいに判子を捺せるかどうか。かすれた印影のスタンプ帳を見るのはゴメンだ。

「一捺入魂」と毛筆で書いた画像