ソンホ(井浦新)が我が家へ向かう車の中から見る景色が、なんとも言えずよい。遊具があるちょっとした公園や神社の境内。車から降りて、ゆっくり商店街を通り抜けると、蔦の絡まる実家の前に母(宮崎美子)が待っている。景色だけならよいのだが、その景色の中にソンホがいると、懐かしいとか嬉しいというのとは少し違って、心も体も死にかけた人が、昔確かに見たことはあるけれど現実とは思えないような世界をさまよっている、そんな感じがした。
言いたいことも言えず、したいことも出来ず、考えても状況は変わらないので考えないようにしているというソンホは、妹のリエ(安藤サクラ)に、「おまえは好きなところへ行けよ」と言う。「私の分まで○○してね」というのは割とよくあることだとは思うが、ソンホの状況があまりにも不自由なので、まるで生きる屍ではないかと思ってしまった。
ラストでスーツケースを購入したリエは、兄の分まで生きるんだという決意の表情だ。その憤りにも似た表情は、私にとってものすごく説得力があった。
リエは誰に怒ればいいのか。兄を北朝鮮に帰還させた父(津嘉山正種)にか。兄にも自分たちにも不自由を強いている北朝鮮という国の体制にか、それとも権力者にか。兄と家族を監視し続けるヤン同志(ヤン・イクチュン)に「あなたもあの国も大嫌い」と怒りをぶつけたが、「あなたの嫌いな国でお兄さんも私も生きている」と返されて二の句が継げない。個人では抗いようがない問題が立ちはだかっている。
そんなリエが個人でも出来る抵抗が、兄の分まで生きるということなんだろう。
あと、日本では多くの国民が国等から強いられている不自由に気づかず、日本国憲法を活かせないままであることについてと、国交がない状態についてに考えがおよんだ作品であった。
監督:ヤン・ヨンヒ
(シネマ・サンライズ 2013/02/21 高知県立美術館ホール)
[追記]
「生きる屍」と書くのは、けっこう勇気がいったんだけど、写真のこと書くからいいやと思ってたのに、写真のことを書くのを忘れてた!
おしまいの方、ソンホが北の国で子どもといっしょに撮った写真が飾られているのが映る。日本にいる家族に近況として送ったものだろう。子どもといっしょで笑顔のソンホだ。日本のような自由はないけれど、北の国にも生活があり、日常の喜びもあるということを教えてくれる写真だと思った。
お茶屋さん、こんにちは。
一昨日付の拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。
ラストのスーツケース、効いてましたよね。兄の言った「おまえは好きなところへ行けよ」を受けてのラストシーンだと思ったことを書くつもりでいて漏れていたのを、こちらを訪ねてきて思い出しました(笑)。写真のこと、すっかり失念してました。
拙日誌に書き漏らしたことをいろいろ補ってくれる嬉しい頁です。どうもありがとうございました。
ヤマちゃん、いつもリンクとコメント、ありがとう。
思ったこと、感じたことの全てを書ききれませんものね。
ましてや、こう忘れっぽくなると(^_^;。書こうと思っていたことさえ忘れてしまいます。
>拙日誌に書き漏らしたことをいろいろ補ってくれる嬉しい頁です。
そう言ってもらえて、私も嬉しいです。ありがとうー。