素晴らしい。日本映画史に残るんじゃないかな。
日々の営みを大切に愛しく描いている。
『小さいおうち』のように日中戦争から太平洋戦争の終わりまで描いている。
綺麗。明るい。笑える。
すずさんはお腹の子どもも亡くしたと思うけれど、言及されたのは右手と晴美ちゃんだった。最後の女の子が二重に生きてくる。
呉におると決意表明したときのピカ。劇的なあまりに劇的な場面なのにすずさんの決意表明はピカに負けてしまう。(すずさんの決意表明がピカと同時だったとは2回目に見て気がついた。)
玉音放送のとき、「最後の一人まで戦うんじゃなかったのかね」とスパーク。すすざんも戦っていたのだとビックリした。日々の営みも晴美ちゃんや右手を失ったのも、みんなみんな戦いの一環だったのだ。竹槍訓練やバケツリレーや防空壕に逃げ込むことだけが戦いではない。朝起きてご飯を作って洗濯してと今と変わらない生活が戦いだった。
戦後、すずさんは絵本作家になるのではないかと思ったら、ぜんぜん違った(笑)。
海外で見た人の感想をぜひ聴いてみたい。
すずさんは、「実はおなかの子どもは思い過ごしだった」という
エピソードがその前にあったんだと思ってました。
(だからご飯の量が並に戻ったのかなあと)
「呉にいたい」という決意表明が
ピカに負けてしまったのには気づいてませんでした(^^;。
(個人のそんな思いは粉砕してしまうようなモノだったんですね)
玉音放送の際、すずさんが激怒したのは
オドロキでしたが驚きじゃなかった。
「この人は他の誰より”耐えて”きた分量が大きいんだもんな・・・」
なんて思ってしまって。
今で言う「天然」とか「不思議ちゃん」じゃ済まない
リアルな生活を続けてきたすずさんという女性が
表に出てきた瞬間だと。
だから「何も考えない自分のままでいたかった」と嘆く
彼女の姿は傷ましかった。
本当に、彼女は耐えに耐えてきたんだと思いました。
アニメーションだからこそリアルに描けた
よく出来た映画だと思います。
「映画史に残って」欲しいな~(^^)。
>(だからご飯の量が並に戻ったのかなあと)
そうでしか、全然気がついていませんでした。2回も見たのに(^_^;。
>(個人のそんな思いは粉砕してしまうようなモノだったんですね)
う~ん、よくわからないのですが、2回目に見たとき、すずさんの一番大事な決心とピカが同時とは、なんてドラマチックなんだろうと思ったのですね。でも、そういう演出に1回目では気がつかなかったので、ピカの威力はつよいなぁと思ったんです。
>本当に、彼女は耐えに耐えてきたんだと思いました。
すずさんが誰よりも耐えていたというのは、そうかもしれませんね。マグマ、ためすぎや~。そういう性質だものね。
ムーマさんにそう言われるまで、その部分は、すずさんを当時の女性代表みたいな気持ちで見ていました。耐えるのがあたりまえなので耐えているという自覚もなくて、だけど、身体は正直に禿げてしまう。そこが私は戦争とはつながってなかったので、驚いたんだろうなぁ。すずさんが耐えているところは正直言って私はあまり好きではなかったので(女性が耐えているのは今に続く部分もあるじゃないですか)、義理のお姉さんの存在がおもしろかったです。マグマ、出し過ぎ~。
>「映画史に残って」欲しいな~(^^)。
50年は確実に保ちますよ~、きっと(^o^)。
お茶屋さん、こんにちは。
報告とお礼がすっかり遅くなってしまいましたが、先の拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借しております。
すずの妊娠の件は、栄養失調からきた生理不順か何かを思い違えたことからのものだと解してました。ピカのせいで呉に留まる決意が翻って広島に向かうというような観方もしていなかったので、ほぅ、そういう捉え方もあるのかと妙な感心。
とりわけ興味深かったのが、誰よりも“普通の感覚”を保っていたと思しきすずでさえ先に逝った人たちを想い、一億総玉砕に囚われていたのかと僕が衝撃を受けた場面について、日々の耐乏生活こそがすずの戦いだったことからの激情の噴出だと書いておいでの部分でした。武器を手にしての戦闘は降伏によってお終いになりますが、窮乏生活との闘いはその後も続くわけですよね。でも、戦争に勝つために強いられる耐乏と、復興なり平和国家建設を目指しての耐乏とは大きく違うような気がしまう。すずのような当時の日本の庶民にとって、新たに制定された日本国憲法がどのような意味を持って現れたものだったのかを、すずさんに語ってもらいたいなとこちらの頁を読んで思いました。
どうもありがとうございました。
ヤマちゃん、いつもリンクとコメント、ありがとうございます。
妊娠はどうやらすずの勘違いだったのですね。
>ピカのせいで呉に留まる決意が翻って広島に向かうというような観方もしていなかったので、ほぅ、そういう捉え方もあるのかと妙な感心。
これはそういうとらえ方を私がしているわけではなくて、呉にとどまる決意をしたときと同時にピカッとなった劇的な演出に感心したということです。
>でも、戦争に勝つために強いられる耐乏と、復興なり平和国家建設を目指しての耐乏とは大きく違うような気がします。
それはもう全く違いますよね。戦争放棄の新憲法も庶民は歓迎したんじゃないかなぁ。
しかしなんですねぇ、ヤマちゃんのコメントが発端で「戦争=耐乏」ではないってことも考えさせられて、『小さいおうち』とか『この世界の片隅に』の日中戦争部分は大切だと思いました。現在の戦争のイメージは韓国映画『息もできない』かなぁ。戦場は国外だけれど国内も荒むで~。今、かなり荒んでいると思うので、積極的平和の観点からすると、もはや日本の平和は失われたのかもしれません。
メモルンバに「なのにすずさんの決意表明はピカに負けてしまう」と書いておいでる趣旨というか、意味は、どういう感じなんですか? ちょっと読み違えちゃったのかもしれませんね。
それはともかく「もはや日本の平和は失われたのかも」、首肯せざるを得ない気になるのがまことに残念です。小泉政権に先んじて石原都政の始まった前世紀末あたりから日本の平和が内側から脅かされ、今に至っているという気がしてなりませんね。
わかりにくくてすみません(^-^;。
ピカに負けたというのは、ピカとすずの決意は同時に描かれていたのに、同時と気がついたのは二度目に見た時で、それまではすずの決意→ピカの順だと思っていたので、ピカの印象の方が強かったんだなぁと思ったことを意味しています。
このご時世については、始まりはいつなのか、ここ数年考えていて、思うところはありますが、署名と投票だけではいけなかったと反省しているところです。70才代以上の人たちがやってきたことに比べたら60、50才代は何をしてたんでしょうね。すみませんって感じです。
あ、やっぱ読み違えてましたね。
すずの決意の場面の強度と、ピカの場面の強度との比較において、お茶屋さんにとっては、後者のほうが勝る結果になっていたようだと書いていたんですね。ようやく分かりました(たは)。ありがとう。
(^ー^)