アンダーカレント

『アンダーカレント』の感想を毛筆で書いた画像 軽薄なワタクシからは遠い

2時間半近い長尺を面白く観たけれど、私の現実からは遠いのでこれといった感慨はなかった。
かなえ(真木よう子)は、失踪した夫の悟(永山瑛太)のことをわかってなかったし、自分自身のこともわかってなかった。深層心理というのは自分でもわからないものだから不思議はない。夫が失踪した後、銭湯をつづけるため雇った堀(井浦新)は履歴書に書かれていること意外は何もわからないのだが、かなえはどこか相通じるところがあると感じている。

人をわかるって、その人の言動の見当がつくっていうことだろうと思う。例えば、喜びそうな贈り物を選んで実際に喜ばれる。本心なのか喜んでいる演技なのか表情で見当がつく。嬉しい贈り物をもらうと、好みをわかってくれていたという二重の喜びがある。長年の付き合いなのに重要な知らせを今になってかい?と腹の立つこともある。相手の意外な出方に「見当」をチビチビ修正しながら付き合いは続く。私は自他共に認める単純な人間だから、それくらいのわかり方で充分ではないかと思う。極端な話、その人がどういう人かの解釈も作品の解釈のように人それぞれだから、各人がその人をわかったつもりでいいと思う。幻想の人と幻想の自分でどんな不都合があるのだろう?私には不都合がなかったものだから、この作品があまり響かなかったのかもしれない。(悟の失踪も作り物っぽい。)

それよりかなえと悟が再会して、悟が本当のことを話し、かなえが私ももっとわかろうとすればよかったと言ったのに、男女の関係としてはもう覚めてしまって、そこから再スタートとはならないのが人間関係の妙だろうか?
かなえは悟の両親が早くに亡くなっていたと信じて、似た者同士的親しみを感じていたとのことだったが、堀こそ似た者同士だった。堀は妹の喪失からくる空虚感を、かなえは自分自身を失った空虚感をかかえていたのだから。
幕切れが凄くいい。犬の散歩に出たかなえを、かなり遅れて堀が追いかける。お互いをわからないうちから、わかりあっていた二人が続いていく。美しい景色だった。

かなえの封印した記憶から山岸凉子作の漫画「海の魚鱗宮(わだつみのいろこのみや)」を思い出して再読した。オカルト風味の深層心理サスペンスの名作だと改めて思った。
(2024/02/24 あたご劇場)

カラーパープル

『カラーパープル』の感想を毛筆で書いた画像 感動~!でも無難作かな?

スピルバーグが監督した1985年の作品(ウーピー・ゴールドバーグ主演)は、きれいさっぱり忘れていた。今作でセリー(ファンテイジア・バリーノ)が夫のひげをそるため、その喉笛に剃刀を当てたとき、そういえば前の作品でもこんなシーンがあったと思い出したくらいだ。夫に対する積年の恨みというより、セリーが女友達の影響から自分が如何に踏みにじられたきたか、その不当に目覚めたがゆえに殺意を覚える重要なシーンだったのだと今にして思い至った。スピルバーグ作品ではサスペンスの演出力が凄かったため、そのシーンだけがよみがえったのだろう。

今作は、歌良し、踊り良しのミュージカルだ。父にも夫にも暴力を振るわれ恐ろしくて言われるままにこき使われていたセリーが自立し、生き別れの子どもたちと最愛の妹と再会を果たすまでの話で、20世紀初頭から半ばまでの時代が描かれている。男に対しても嫌なことは嫌と言いサバイバルしてきた肝っ玉姉ちゃんソフィア(ダニエル・ブルックス)や、歌姫シュグ(タラジ・P・ヘンソン)などの登場により退屈はしないし、セリーがやっと目覚めるシーンでは感動したが、もっと引き締まった傑作にもできたろうにどこか物足りない無難な作品となっているのが残念だ。
(白人に「ノー」と言っただけで刑務所に入れられたソフィアが酷かった。黒人男性に黒人女性が「ノー」と言うのがどれだけ勇気のいることか。そういう時代に自分らしさを貫き生きるのがどれだけタフなことか。確かにソフィアは強いが、もし、彼女が男に生まれたなら全く必要のない強さなのだ。それを「ソフィアは強い」で済ませる人がどれだけ多いことか。「ノー」と言ったことで酷い目にあった。しかし、その「ノー」がどれだけのものかセリーは気づくのだ(ToT)。ソフィアが理不尽な目にあっていることを見て、自分も理不尽な目にあっていたことに気づいたのだと思う。)

ソフィアやシュグなどの特別な人ではなく、大多数の女性がそうであったようなセリーが主人公なのはよかった。セリーがセリーらしさを損なうことなく、「ノー」と言えるようになり自立できソフィアの力にもなれた。
それにしても、神様抜きにはこの作品が成り立たないような作りになっているのが驚きだ。目立たないけれど紫の花だって神様がお作りになったのよ。美しい紫の花セリー。そんな(?)シュグの言葉がセリーの力になる。
あるいはセリーの夫の改心が神の罰を恐れる信心からのものというのも(^_^;。
そういうことなら、神様を信じる人が他人を差別しているなら、もれなく罰を当ててほしい。よろしく、神様。

(2024/02/12 TOHOシネマズ高知5)

窓外 inter face 1991-2021 甫木元空/石元泰博「フォトセンターの10年」2期

窓外

甫木元空「窓外」展のチラシ画像

学芸員が推す高知ゆかりの作家展ARTIST FOCUSも4回目となった。1992年生まれの甫木元空(ほきもとそら)は、映画を作ったりバンドをやったり小説を書いたりのマルチな才能を発揮している人らしい。今回の出品は、72点のインクジェットプリント写真からなる「窓外」、四方の壁ともいえるスクリーンに投射されたビデオインスタレーション「1991」、6点のインクジェットプリント写真からなる「銀河」の三作品だ。
「窓外」は母が亡くなるまでの数年間の、「1991」は作家本人がお腹の中にいる頃から今までの、「銀河」は母が亡くなってからの記録だ。

「窓外」は風景の切り取り方にセンスがあり、台所、洗濯物、倉庫のごちゃごちゃしたものがたいへん繊細に捉えられ美しい。日常って見方によって、これほど美しくなるものかと驚きを持って観ていった。田んぼの中の1本の木などで季節の移り変わりが感じられるし、雲間の光を捉えた写真の後に母が見上げている写真が続くので、母がその光を見つめているようにも受け取れる。そんな風なモンタージュからなる作品なので順番どおり観ていくことによって活動写真のように時間や空間の動きを感じ取れるようになっている。穏やかな日常にお葬式という劇的なものが入り込むが、それをも淡々と同じ調子で切り取ることによって、静に沁みてくるものがあった。
「1991」はビデオ作品なので四面ごとにカットを割ったり、また、作家の家族が撮ったホームビデオもあり(ということは子どもいて楽しく)、より動きのある作品になっている。しかし、再三差し挟まれる外出先(病院?)から帰宅した母が家の前の石段を上がる後ろ姿が、このビデオのどれもが思い出でしかないことを想起させる。
「銀河」は写真の密度が低くなったように感じたが、気を抜いて見たせいであまり記憶に残っていない。休憩してでももう一度観ればよかった。
三作品をとおして母を亡くした喪失感と、失っても残るかけがえのないものの美しさを感じた。

図録は、もちろん予約した。すごく楽しみだ(^_^)。

「フォトセンターの10年」2期

石元泰博の植物の写真(はがき)の画像

今期で最も印象に残ったのは「ビーチ」。シカゴのビーチはよいとして、江の島がゴミだらけなのに驚く。画面の中央に重機がどーんとあるのにも。
植物写真のはがきの見本が置いてあって、10枚の値段で12枚入りのお得なセットを買った。硬質で植物じゃないみたい。

石元泰博〈HANA〉ポストカード発売のお知らせ(フォトセンター)

第4展示室のアーティストフォーカスから石元泰博展へ行くのに、ジブリ展の場所を一部通って行ったがとても楽しそうだった。
(2024/02/05)

哀れなるものたち

『哀れなるものたち』の感想を毛筆で書いた画像

コメディだったとは
楳図かずお先生の感想や如何に

衣装、美術、音楽が独特で、特に美術はセット、大道具、小道具が楽しすぎて、あと百遍くらい観たい。お話は、しごく真っ当だ。教養小説的な女性の成長物語であり愛情物語だった。監督はヨルゴス・ランティモス。『女王陛下のお気に入り』は面白かったけれど、灰汁が強くてあまり好きではなかったが、今作はグロテスクさが私にはギリギリセーフラインだった。それに、かなり笑えるので、早くも本年のベストワン候補現るといった感じだ。
エマ・ストーンは、『女王陛下のお気に入り』でも今作でも女性にとって不自由な世界で自由を獲得していく様を演じたと言ってもいいと思うけれど、今作はちゃんと愛情もあってよかった。ランティモス監督は、いったいどういう人なんだろう。フェミニストなんだろうか。とにかく作品が滅茶苦茶面白いので、過去作の落ち穂拾いと次回作以降も要チェックだ。

驚いたこと。
マーク・ラファロは、なんか「もあもあ」してスッキリ感のない俳優で、あまり好みではなかったのだが、ちょいワル・いけオジ・放蕩弁護士がベラ(エマ・ストーン)への独占欲で身を持ち崩していく様子がめちゃめちゃ嵌まっていて一番笑わせてもらった。ダンスシーンなんか最高だった。
豪華客船でベラが出会う、酸いも甘いもかみ分けた知的な貴婦人としてハンナ・シグラ登場!もう70歳は越していると思うが、ゆったりと美しく、放蕩弁護士がベラから本を取り上げ海へ投げ捨てたのを、さっと次なる本をベラに渡す余裕の表情がよかった。

特によかったところ。
ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)は、その父から虐待されていたが、ベラに対しては愛情をもって育てており、ベラも父危篤の知らせを聞いて旅先から飛んで帰った。死の間際に「誰もが私を恐れるか哀れむかだったが、ベラだけがそうではなかった。」と言うところ。涙のお別れに涙。

笑っていいのか気の毒がっていいのか。
ベラの自死した母は、その夫(ベラの血縁になる?)が酷い暴力夫だった。『息もできない』を観たあとでは、戦場帰りの人の暴力的なところは戦争の犠牲に見えてしまうので、この夫も犠牲者かもしれないと思う。人として回復して幸せになるのが一番だけれど、それが難しい場合は山羊として幸せになるのがいいのかな?
(2024/01/26 TOHOシネマズ高知8)