私が棄てた女

上映時間内の付き合いで、ずいぶん印象が変わった三人だった。
学生時代、安保反対運動に挫折して屈託を抱えたまま就職。上司にはへいこら、女性には強引。なんて嫌な男だと思っていた吉岡努(河原崎長一郎)だったが、観ているうち意外に正直で不器用なヤツだと思うようになった。
吉岡に三度も棄てられた森田ミツ(小林トシエ)は男に都合のよい馬鹿な女かと思っていたら、経験したことを咀嚼し自立していった。本物の知恵の持ち主、「都合の良さ」など超越した愛の具現者。何度棄てられようが、最も幸せな人であった。
吉岡の恋人で才色兼備、バツイチの過去を持つお嬢様、三浦マリ子(浅丘ルリ子)は賢明だから、強請の手紙はミツからではないと見抜けるかと思ったら、嫉妬もあって見抜けなかった。「ミツなら許してくれる」と言う吉岡を残し、家を飛び出たので、これが才女の限界かと思ったが、おしまいには戻ってきていた。彼女も愛をまっとうし、幸せになれるだろうか。
マリ子が「ミツさんが闘っていたもの」と最後に謎をかけた。マリ子もまた「それ」と闘うのだ。私は「それ」は、嫉妬や愛する人に愛されたいという自分自身の心だと思う。ミツにもそういう葛藤があったはずで、二度までも棄てられて哀しく苦しかったに違いない。でも、それを乗り越えれば、愛されるより愛する方が幸せという(キリスト者的?)境地に達するのだ。だから、三度目も棄てておいて「ミツなら許してくれる」って「お前が言うなよ」と思うのは私だけで、ミツは吉岡が言うとおり許したと思う。
演出は、観念を映像化したようなところがあったり、相馬の民謡を歌うところにお祭りのドキュメントシーンが挟まったり(ここで号泣しかけた私の涙がピタリと止まった)、角張って自然な流れが途切れてしまうところがあったけれど、時代性を感じさせられ面白かった。
危惧するのは、ミツを理想の女性と言うに止まる人がいるのではないかということだ。ミツは理想の「人間」のはずだが、タイトルがタイトルだし、ミツに続くのがマリ子という「女性」だから、愛についての葛藤は女性の専売特許みたいに思われるかもしれない。私が億万長者となった暁には、『私が棄てた男』をぜひプロデュースしたいと思う。
(加藤武/加藤治子/小沢正一/露口茂/江守徹)
監督:浦山桐郎/原作:遠藤周作
(小夏の映画会 2011/06/19 龍馬の生まれたまち記念館)

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