久々のマイケル・キートン(^_^)。勇んで行った。
アメリカ映画らしい良さがあふれており、安心して見ていられた。見ていて何に価値があるかというと「信用」とか「信頼」とか、そういうものが大切なんじゃないかという気がしてくる。だから、「命の値段」と副題で限定しない方がよかったかもしれないと思ったり、また、信頼を得るには合理性ばかりを言っても始まらず、人に寄り添う共感性が大切だと改めて思えてくる。結局、人は理性よりも感情の生き物なのだと思うと、それもまた問題ありなのだが。
アメリカ政府は航空会社を守るために補償金を出すことにしたのだが、まだ終わっていない東日本大震災の原発事故処理を思い出す。
また、この映画を観た頃、聴覚障害の女児死亡事故 逸失利益は85%3700万円余判決という就職・賃金差別を認める判決があったことも思い出す。
「命の値段」という文学的表現は、補償費とか逸失利益などという正確な言葉ではないが、本質を突いている部分があると思う。あれれ、やっぱりこの副題でよかったのかな。
(2023/02/24 TOHOシネマズ高知8)
お茶屋さんの手書き文がいいです。
マイケル・キートン愛に溢れていて(^^)
「観たかったけど観られなかった」は多いんですが
これは「観られるときに絶対観よう」と思ってます。
>マイケル・キートン愛に溢れていて(^^)
はい、あふれてます、あふれてます(^_^)。
手書きだと伝わるのね。
もう、省庁の活字看板(石碑)が、気になって気になって。下手でも手書きがよいと思い出した書道教室3年生です(笑)。
>これは「観られるときに絶対観よう」と思ってます。
ぜひ、ご覧ください。甘口だけど色々触発されるところがあると思います。