河田小龍展

書道教室4年生なので書いたものも見れるに違いないと思い河田小龍展へ行ってきた。絵がうまい人は字もうまいからねぇ。200歳記念ということで美術館、坂本龍馬記念館、歴史民俗資料館が連携して開催していた。

龍馬記念館は「龍馬に世界を教えた男」土佐随一の教養人としてと題して、小龍さんが学問を教わった人の肖像画やジョン万次郎から聴取したことを絵入りでまとめた「漂巽紀略」が展示されていたり、小龍さんの塾生だった人たちがどんな活躍をしたかパネル(?)になっていた。(売店で龍馬の手紙を販売していたら買って臨書してみたいと思っていたが、販売されている手紙の文字が小さすぎた。数ページでよいので、ぜひ、実物大で販売してほしい。)

歴民館は「土佐の人々とのつながり」市井を生きる人々の願いを受けてと題して、掛け軸、絵馬、衝立、屏風、天袋の襖、着物(柄を描いている)、芝居絵の幟旗(というより幕のように横長で8メートル以上あり横幟というそうな)などが展示されており、他にも小龍さんの家族写真や料金表も興味津々で見た。芝居絵は絵金より上品かな(?)。

美術館は「激動期への眼差し」好奇心旺盛なハイカラ画人としてと題して、絵画はもとより記録絵(幕末に漂着した清の商船の調査記録や琵琶湖疎水の鳥瞰図、南禅寺境内の水路閣など)、スケッチブック(手のひらサイズの画帳)などなど。美人画で青がすごくきれいな絵があって、この色はめったに見たことがないので高価だろうと思った。小龍さんの師匠島本蘭渓も描かれている壬生水石の絵は楽しかった。水石は山内容堂の落款印を刻した人で、土佐も狭いなぁと思った。

いずれの展示も文章は漢字で書かれている。公文書や画賛など公式(?)文書は明治時代まで漢字だったのだ。歴民館では、ついでに戦国時代の手紙(レプリカと思う)を見たが、やっぱり漢字。小龍さんの時代は、記録ものには朱筆でレ点や返り点や読み仮名が書き入れられていた。

小龍さんは何でも描けてさらりとうまい。めちゃうまだ。良くも悪くも全くこってり感がない。多分、何事も客観的に見て自己主張も控えめな人なんじゃないだろうか。落款も落ち着いた良い字で大変好みの字だった。

【お気に入りエピソード】
●京都での修行中、狩野永岳に師事していたが、絵がうますぎて師匠に気に入られ、他の弟子(師の甥)が嫉妬して毒殺を計画していたとか。それを知って永岳のもとを離れ、南画の中林竹洞に入門したそうな。

●晩年近い年になって妻と耶馬渓(大分県)へ避暑を兼ねた旅に出てスケッチしまくり、広島へ帰ってからも数年の間、旅を反芻するかのようにスケッチを元に絵を描いている。

●妻、照さんとのツーショット写真がある。

●亡くなる直前まで描いていて、娘の結婚祝いに朱竹図を描いて贈った。生涯現役。
(高知県立美術館 2024/12/07)
(高知県立坂本龍馬記念館 2024/12/07)
(高知県立歴史民俗資料館 2024/12/14)

「河田小龍展」への2件のフィードバック

  1. 昨年チラシを見て以来
    せめて美術館には行きたいと思ってたんですが
    結局行けませんでした(アカンなあ)
    お茶屋さんの記事で観た気分になってます。
    (読めてよかった。ありがと~)

  2. 書いてよかったです。
    こちらこそお読みいただきありがとうございます(^_^)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です