閉塞感がすごい。初めて知ったことがたくさん。わからないこともいっぱい。
収容所でユダヤ人をガス室に送ったり遺体の始末をしたり、誰がやっていたのか考えたこともなかったが、ユダヤ人がやらされていたとは。ゾンダーコマンドと呼ばれていたそうな。ゾンダーコマンドの反乱も知らなかった。
ユダヤ教もカトリックと同様に埋葬が基本だったみたい。火葬はNGだったんだろうけど、あれは火葬でさえない。焼却だもの。サウルが息子の埋葬にこだわるのも無理はない。カトリックみたいに蘇り信仰があるのかな?
ラストのサウルの笑顔。あれが最大の謎。息子と同じ年頃の少年を見て自然と笑みが浮かんだのだろうか?いやいや、あの満面の笑みは、息子が蘇ったと思ったのではないだろうか。(一応、焼却は免れたし。)
知り合いに「お前に息子はいない」と何度も言われるが、「妻との子ではない」などと言うものだから、本人がそう言っているんだからサウルの息子でしょう!と途中までは思っていた。ところが、いざ埋葬のとき、ラビ(偽)に息子の名前を聴かれて詰まる。収容所で頭が混乱し、息子の名前を忘れたのか、それとも本当は子どもはいないのに息子幻想に取り憑かれていたのか。ラストの笑顔からすると、息子幻想に取り憑かれていたような気がする。
それなら、なぜ、息子幻想に取り憑かれたのか?さっぱりわからない。
東日本大震災以来、子どもは希望だと思うようになった。避難所で子どもたちが壁新聞を作ったというニュースを見たりすると、避難所の人たちは元気づけられるだろうなぁと思ったりした。反対に過疎地での廃校を伝えるニュースに接すると、寂しいだろうなぁと思う。その地域に未来がなくなったように感じる(実際はまだまだ頑張っているが)。別に子ども好きではないが、そんなふうに感じているので、「サウル、あんたもそう?」と思ってみたりもするが、まったく的外れだろう。
それから、ゾンダーコマンドたちが写真を撮ってポイしたり(証拠写真?)、メモ書きを回したり(反乱の準備?)もイマイチわからなかった。
それで町山智浩さんに教えてもらった。いや~、映画評論家ってすごいわ。いろんな受けとめ方があっていいとは思うけれど、わからなかった私には目からウロコの解説だった。
(2016/12/03 あたご劇場)
『サウルの息子』の息子とラストについて ←町山さんのブログ。ブログからyoutubeへのリンクもあります。youtubeが詳しいのでおすすめです。
お茶屋さん、こんにちは。
先の拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。拙日誌でも「何ともしんどい凄い映画だった」と結びましたが、確かに凄い閉塞感でした。画面に映し出される視野からして(笑)。
数々の疑問点を列記しておいでるように、非常に挑発的というか仕掛けを凝らした作家性の強い映画でしたね。タイトルの「サウルの息子」が何を意味するかは、そのなかでも誰しもが想いを巡らせる要点ですよね。
ご紹介のサイトに「彼自身の息子というより、すべてのユダヤ人の未来を意味している」とあるのを読んで、拙日誌に「あの少年もまた、サウルの息子ということなのだろう。すなわち、ホロコーストを体験した人類における次世代は、その刻み込まれた記憶を失うわけにはいかないのだという作り手の意志のようなものを感じた」と記していた僕は、大いに共感を覚えました。
どうもありがとうございました。
ヤマちゃん、こちらもリンクとコメントをありがとうございます。
私はさっぱりわからなかった作品なので、ヤマちゃんとケイケイさんの日誌を拝読してお二人ともすごい!と思いました。見巧者やねぇ!
> 数々の疑問点を列記しておいでるように、非常に挑発的というか仕掛けを凝らした作家性の強い映画でしたね。
ただね、二度は見たいと思わないのが、この作品(作者)の限界でしょうか。
『旅芸人の記録』は、わからなくて、とでんで3回は見たことと比較すると。
お書きの「この作品の限界」、よく分かります。
僕が昨年の『第62回県民が選ぶ映画ベストテン』の外国映画ベストテンに本作を入れていないのは、それゆえなんでしょうかねぇ?(笑)
う~ん、どうでしょう(笑)。
最近、思うのは、たとえ優れた作品であっても、見た後に疲労感だけが残るような作品は、映画史的にはたいしたことないんだろうなぁと。芸術って人を元気にさせるものであってほしいですね。