七月大歌舞伎>松竹座3

8日の続き(^_^;。
昼の部の「鳴神」は、よくできたお芝居だ。白雲坊(市蔵)と黒雲坊(男女蔵)の掛け合いが笑いを誘い、鳴神上人(愛之助)と雲の絶間姫(孝太郎)の艶っぽい遣り取りで盛り上がり、姫が捕らわれの龍を解き放ち(これが歌舞伎ではおなじみのスローモーション。デ・パルマ効果で結末がわかっていても地団太を踏んでしまう。)、雷鳴が轟くまで一気に観てしまう。
愛之助の鳴神は、ちょっと腹黒い感じがして高僧という雰囲気ではなかったような気がするけれど、騙されたと知って怒り狂う荒事の場面も頑張っていたし、難はなかったと思う。
孝太郎は何をやっても上手いな~。その役の年齢、雰囲気にすっかりなっているものなぁ。
「橋弁慶」は牛若丸を高校生の壱太郎が演じて清々しかった。小さくて、きびきびして「牛若丸!」という感じがした。踊りの所作が美しいからか、それとも若いからなのか、透明な輝きがあったと思う。
「義経千本桜」は、渡海屋での渡海屋銀平(仁左衛門)がカッコよかった。一角の人物であると思わせる風格があった。職人らしい粋も感じさせられた。
大物浦での知盛は、世を忍ぶ仮の姿渡海屋銀平とはがらりと変わって(風格はそのままに)、討ち死に寸前、瀕死の格好でありながら、幼い安徳天皇は必ず守ると言ってくれている義経を執拗に討とうとする。頭に血が上っているのだ。それを安徳天皇に「義経の情けを仇に思うな」と諭され、刃向かうのをやめる忠義の人となるのであった。
典侍の局(秀太郎)の自害や、それに先立つ女房の入水など、あまり共感できるお芝居ではないのに、そのうえ幼い安徳天皇が一人前の主人らしい口を利くという大きな違和感があっては、知盛の忠義に涙もわかず、私は周囲の観客から取り残されていた。それでも満身創痍での壮絶な最期には圧倒されたので、安徳天皇がせめて12、3歳くらいなら納得がいくお芝居なのにと思わずにはいられなかった。

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