八月や御霊の声に耳澄ます

身近に戦争の話をしてくれる人が、いよいよ少なくなった。そういうときこそ映画がある。
というわけで、映画の伝道師、町山智浩さんが、5本の映画をおすすめしてくれた。
映画は本を読むより楽ちん。不精者の私には最も適した勉強法だから、忘れないようメモっとこう。

『ひろしま』(1953公開)
『人間魚雷回天』(1955公開)
『人間の條件』(1959公開)
『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971公開)
『大日本帝国』(1982公開)

『ひろしま』と『大日本帝国』は観ているので、あと3本だけど『人間の條件』は六部作(映画としては3本らしい)9時間半!『ロード・オブ・ザ・リング』三部作と合わせると、19時間!!!
1日は24時間。

町山智浩 『戦後80年、今観てほしい戦争映画5本』2025.08.12


毎年上映したらいいのに。日本映画史に残ると思う。
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『この世界の片隅に』(2017公開)
ムーマさんの記憶
ケイケイさんの日記
ヤマちゃんの日誌
お茶屋の感想


戦争は経済問題。あらゆるものが軍需品。『ベンジャミン・バトン』のようにボタンだけで大もうけ。
戦争は本能問題。誤情報・偽情報・情報不足で不安になって平和市民の防衛本能にスイッチオン。
戦争はなんでもあり。なんでもありは戦争と芸術だけ(?)。やっぱり芸術のベクトルは「美」とか「善」とか、人を生かす方向でなくちゃ。


くじけそうになったら読む。
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平和記念式典での【広島県知事あいさつ】

被爆80年目の8月6日を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊に、広島県民を代表し謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお苦しみの絶えない被爆者や御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。

草木も生えぬと言われた75年からはや5年、被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌しています。しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私達は今、この繁栄が如何に脆弱なものであるかを痛感しています。

このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。

自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、身を以て示しています。 実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続の意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。

国破れて山河あり。かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。国守りて山河なし。もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味があるのでしょう。

抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。

核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。被爆で崩壊した瓦礫に 挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生を掴んだように、実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。

「諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。そこに向かって這っていけ」(※)

這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。

広島県として、核兵器廃絶への歩みを決して止めることのないことを誓い申し上げて、平和へのメッセージといたします。

令和7年8月6日  広島県知事  湯﨑英彦

※THE NOBEL FOUNDATION, STOCKHOLM, 2017 2017年ノーベル平和賞授賞式でサーロー節子氏のスピーチより 広島県が翻訳

光へと這ってでも行く広島忌

「安野先生のふしぎな学校」とコレクション・アラカルトⅡ

「安野先生のふしぎな学校」展の看板画像

安野光雅せんせいの絵は、皆から好かれるだろうなぁ。紙に水彩で描かれたやさしい風景や小さな人々や動物のみならず、縁取りのツタなどの絵まで楽しかった。2時間近く面白く観たけれど、絵本の原画(小さいのに情報量が多い)がほとんどで、展示室B(第1展示)を出る頃には疲れてしまって、展示室C(第2展示)へ入る前に安野せんせいのテレビを腰掛けて見ながら眠くなってしまった。ちょっと回復したかなと思って展示室Cへ入ったけれど、やっぱり絵本の原画が主でポスターなんかもあったけれど、怪我した足も痛くなってびっこを引きながら、便せんと封筒を買って帰った。やっぱり、絵本で観るのが正解と思った。一冊の絵本で小一時間かかるから。

コレクション・アラカルトⅡ

シャガール部屋(第1展示室)が展示室Aになってからシャガールだけでなく、他のコレクションを展示してくれるようになって、「シャガール、イマイチ」と思っている私はひじょーに嬉しい(^o^)。今回も面白かった!

野見山暁治(1920-2023)。福岡県出身で今西中通(高知県出身)に師事した人だそう。すごい長生き!新収蔵品が9作品。紙に水彩、鉛筆、パステル、インクなどに描かれていた。板に水彩っていうのもあった(ことに帰宅して気づいた(^_^;)。

最初に展示されてあった作品を観て憤慨した。いくら眺めても何を描いているかわからないのでタイトル観たら「題不詳」。えーー!俳句でも読み手に通じなかったら夏井先生に才能なし判定されるのにぃ。「題不詳」「制作年不詳」の作品が続く。それら、植物や生き物の感じのする絵を観ながら気づく。そうだった俳句と違って抽象画っていうものがあったのだった(もしかして抽象俳句もあるかもしれないが)。そう思って振り返るといずれの作品も動きがあるのだった。抽象のように見えるけれど、本当に動きのある生き物を描いたのかもしれない。そう思いながら次の絵がババーン!「階段で遊ぶ波」

「階段で遊ぶ波」はカンバスに油彩。それまではスケッチブックに描いたようなクロッキー的な作品だったが、これは2メートル超えのタイトルもある本気の作品だ。新収蔵じゃないせいかどっかで観たことあるような感じもする。そして、動きがある!「題不詳」の作品の中には、「階段で遊ぶ波」と明らかに関連するものもあった。すべて野見山暁治財団からの寄贈だ。「野見山暁治=動きのある絵」でインプットされたが、長生きだから画風の変遷もあるだろうなぁ。

ところで今西中通は、生年1908、没年1947。あと2、3年で没後80年展か、生誕120年展かな?

暑中お見舞い2025

松葉杖を頭や手に載せて曲芸をしているカッパの絵の画像

5月に右の踵を骨折しましたが、順調に回復しております。7月に入って書道教室にも出席できて、怪我の顛末を話したらバカ受けしました(^Q^)。残念なのは、庭がドクダミの森となったことです。今年こそは雑草の庭とおさらばする決意で冬の間から春先まで草を引き通したというのに、今年も草に負けてしまいました。

朝から暑いので水遣りが精一杯。ブルーガーデンに憧れて作った青コーナーだけでもドクダミをカットしたいですが、今のところ気力なし。ご近所の迷惑になる枝などは何とか剪定しましたが、暑いとやる気ナッシングです。週に一度は混ぜ返していた土作りも、怪我でこもっていた一月あまりの間に草の山になり、もう次の冬から仕切り直そうと思います。ただし、鉢植えで楽しんできた牡丹が咲かなくなったので、10月の地植えに向けて心積もりしていた土作りは何とかしたいです。

俳句は一人で作っていてもつまらないので、いっぺんは句会に行ってみたいのですが検索しても近くではヒットしませんなぁ。

御不浄や覗く守宮の赤い目よ

上の句は実話です。もう何年も前から家の中にも出没するようになりまして、トイレに入ろうと戸を開けると慌てた守宮が隅っこの出っ張りの陰に。「そこに居ってよ~」と念じながら通り過ぎ、出っ張りの向こうにいるはずの守宮に気をつけていたら、そ~っとこちらを伺うように顔を出したのです~~。その覗き方が人さながらで可笑しい(^o^)。と同時に気持ち悪い~。というのは、普段は磨りガラスの内側から外側に張り付いている守宮を見ているだけなので、手足の形状が可愛いと思えるくらいなのですが、まともに顔を見たのは初めてで、「ヘビの顔やんかーーーー!」と。この個体はアルビノで、目が赤かったのです。このように、自分のダイアリー又はジャーナル的に作っておく感じかな。

昨年は9月に入っても朝夕が暑く閉口しました。今年はどうぞ例年どおり、処暑を過ぎれば朝晩が過ごしやすくなりますように。
皆さまもご自愛くださいませ。

消えた『国宝』(の感想)

数日前に『国宝』の感想をアップしていたのですが、どういうわけか跡形もなく消えてしまいました。もしかして、データベースのアップグレードしたことが、影響しているかも。もう一度、書く気力もないので、消えた国宝ってことで。

『国宝』の感想を毛筆で書いた画像 蓮の花

パソコンに画像が残っていたのでアップしました。