利休にたずねよ

私はメイク以外は「ふ~ん」という感じだったけれど、母は楽しんだようで市川團十郎さんの存在感と海老蔵くんの悲しみを抑えた演技に感心していた。また、成り上がりが悪いというわけではなく秀吉の性格が悪いというので、詳しく聴いてみると、「天下、天下と言うのが寂しいねぇ」と言うことだった。
お点前のシーンがよかったので、表千家、裏千家等の協力があったのだろうと思っていたら、クレジットされていたので我が意を得たりと嬉しかったとも言っていた。

意外なことに恋愛映画だったので、そこは面白くもあり、また、スケールが小さくなったと思ったところでもある。

監督:田中光敏
(2013/12/08 TOHOシネマズ高知2)

草間彌生「永遠の永遠の永遠」


2004年から2007年にかけて制作された「愛はとこしえ」シリーズは、モノクロームの線画だったので自分が教科書の端に描いた落書きを思い出したりした。もちろん、スケールも根の詰め具合も独創性も桁違い。へんてこりんなものが画面に隙間なく描出されている。そういう1枚1枚が更に壁いっぱいに並べられている。ある種の規則性(機械的な規則性じゃなくて有機的な規則性?)が生まれていて、部屋全体を見渡すとなんだか美しく見える。「天井にも床にも並べちゃえば~」などと思っていると、「チューリップに愛をこめて、永遠に祈る」でやられた(^_^;。入り口と出口のある白い部屋の内側が赤い水玉で四方八方おおわれて、これまた全体が赤い水玉の三つのチューリップが茎がねじれて咲いている。なんちゅう圧迫感。長時間いると気が狂いそうなので第一会場は早々に退散した。

つづく第二会場は、2009年に始まった「わが永遠の魂」シリーズがメインの展示で、「チューリップに愛をこめて、永遠に祈る」に匹敵するくらいの圧迫感があった。ネガフィルムのようなめったにない色の組合せを長時間見ていると脳髄が麻痺しそうな感じがした。エネルギーのマグマが四方からのしかかってくるようで、ここも早々に退散し、最後の展示「魂の灯」に並んだ。

並んでいると「注意書きをお読みください」と言われた。注意書きは、白線の内側から出ないように、また、怖くなったり気分が悪くなったりしたら内側からドアをノックするようにというような内容だった。ものすごく身構えてその白い立方体の中に入り、後ろでドアを閉められたと思ったら、宇宙が広がっていた!これぞ、「魂の灯」。これぞ、「永遠の永遠の永遠」。暗いガラス張りの部屋は無限に広く、水玉は電球に変換されて静かに色を変えながら灯りつづける。血行がよくなり体中に酸素が行き渡り、平静にはるか彼方の地平線まで見晴るかすような心持ちがした。こんなとき、芸術は心身の健康によいと心から思う。

売店で商品となった草間彌生グッズを見ると、「わが永遠の魂」に感じた圧迫感もなければ、「魂の灯」のような心洗われるような力もなかった。ユニークであることの面白さや楽しさを感じるだけだ。
『天使の分け前』上映会のとき撮った写真や、うえの写真のとおり、美術館全体を草間ワールドとしているのは良い試みだと思った。何より楽しい。導入部は楽しく、ちょっとかじると消化不良、しかし、最後はすっきりと。なかなか良い展覧会だったと思う。

(2013/12/01 高知県立美術館)

かぐや姫の物語

月は『アザーズ』の世界=涅槃なんだろう。かごの鳥となって弱っているところに本当に嫌なことがあって死にたくなる。死にたい気持ちが迎えを呼び寄せたのだと思う。お迎えの楽の調べを聴き、淡い虹色の雲を見ていると憂いのない世界が良いように思えるけれど、竹の子と捨丸の飛翔シーンを思い出すと、生き生きと生きる喜びに心が躍る。あの色彩もスピードも光も雨も、あの世にはないものだ。心ない人の言葉に傷つき、憤怒の形相で屋敷を飛び出し、丘を駆け上がり、野辺を疾走する。それだって、やはり生きるということだ。「姫の犯した罪と罰」というのが予告編の惹句だったが、生きることを諦めた(死を願った)あの一瞬が罪で、その罰として別れのときが訪れたということなんだろうか。90分くらいに凝縮したらよかったと思ったけれど、じゅうぶん面白かったし美しかった!

[追記]
幸せになるには、とことん我が儘になるに限る。姫はもっと我が儘になればよかった。でも、他にしようがなかったとも思う。
四季の巡りなど回ること(循環)がとても強調されていた。そのせいかどうか、全体的に生きるということが、天体規模のスケールで描かれていると思った。
2回目の収穫。雪の降る音が聞こえると友だちに聴いて、注意していたら確かに聞こえた!

監督:高畑勲
(2013/12/01 TOHOシネマズ高知4)

ペコロスの母に会いに行く

予想どおり笑えた。予想を超えていたのは泣けたこと。なんか色々いっぱい包んだ風呂敷づつみを広げて、ハタハタと叩いて、最後にその大きな風呂敷の布をちょいと丸めてキュッキュと涙をぬぐった感じだ(笑)。←風呂敷を広げたと言っても法螺を吹いたという意味ではない。文字どおり包んでいたものをオープンにした印象なのだ。何を包んでいたのかというと、みつえさん(赤木春恵)の記憶だ。夫(加瀬亮)、親友(原田知世)、妹。特に原爆症で亡くなった親友からの手紙の場面では(ToT)。
痴呆症になったみつえさんが今何を思っているか、本人から聴くことはなかなか出来ないと思う。息子のゆういちさん(岩松了)がそういうことを思い遣ったから、原作が生まれてこういう映画にも出来たのだと思う。

一方、息子の心の内も包み隠さず広げてくれている。駐車するとき、車の後ろに母、発見。危険だ(笑)。あの寿命が縮まる感じが私にもわかる。そんなことがありーの、日々何かしら笑えることもあって、やっていけるのだろう。介護制度や施設は、まだ充分とは言えないけれど、昔に比べればよくなっている。ゆういちさんやその友だち(温水洋一)みたいに利用するのもいいと思う。利用しないと介護は大変だ。

私にとってはみつえさんの記憶の比重が大きい作品だったので思いのほか泣けたけど、はて、皆さんはいかがでしょう。是非、観てほしい作品だ。

監督:森崎東
(2013/11/24 あたご劇場)