いろいろ 主にシャーロック

『セデック・バレ』で安藤政信くんに遭遇して、プチ安藤祭り。終わりました~。安藤くんイイねぇ。生きてたねぇ(笑)。映画の感想は、あらぬ方向に行っちゃったけど(笑)。『X-MEN』を見ても、あらぬ方向ですから(^_^;。『ハンナ・アーレント』も書くつもりなのに、どっちの方向へ行くへやら。つい、アンナ・ハーレントって言ってしまうし。
しかし、そんな私を支えてくれるBBCのシャーロックとジョンよ(♥)。このシリーズのジョンは、本当に見飽きない。微妙な感じが可笑しくて可愛くて。マーティン・フリーマン、ありがとう!
第1話「空の霊柩車」でシャーロックの帰還に予想どおり、殴りかかっていくというか絞めにかかっていったけど、1回じゃすまなかったね(笑)。3回くらい絞めていた(よくやった(笑))。
第2話は「三人のサイン」だっけ?タイトルを忘れたけど。シリーズ1も2も2話目が箸休めみたいな感じだけど、シリーズ3でもこれは箸休めみたいな感じだなぁ。だけど、いっぱい笑えて楽しかった。シャーロックが、だんだんまともになってきたような(?)。というか、第2話の幕切れは、シャーロックに孤独の風が身にしみる。ジョンとメアリーは、今までと変わらないと言っていたけれど、ハドソンさんは結婚すると友だち関係が変わってしまうと言っていたし。はて、どうなることやら。
そうそう、女の子が出てきたけど、あの子がベーカー街イレギュラーズの隊長になったらどううなるでしょー(^Q^)。お駄賃に生首の写真とか;;;;。
第3話の予告編を見ると恐喝王が登場するらしい。恐喝王と言えば、チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートンだよね!?ということは、「犯人は二人」というタイトルで訳されたこともある短編ですね。私はこの一編が大好きなのです。ホームズとワトソンがミルヴァートン宅に押し入って恐喝の材料を火にくべてしまうという話。二人が犯罪者になってしまうのだ(笑)。ワトソンはともかくホームズは、けっこう犯罪、犯してますからーーー(笑)。

熊谷守一展


今年は一目惚れした熊谷守一のカレンダーをパソコンのデスクトップと部屋の壁で楽しんでいるところなんだけど、ひろしま美術館で展覧会を開催していると知り、喜び勇んで行ってきた。期待しすぎて、それほどでもなかったらどうしようと思っていたけれど、ますます好きになった。守一は、庭の植物や生き物を日がな一日見つめてもちっとも飽きず、アリは左の二番目の足から歩き始めることを発見したらしいが、私も守一の絵をながめて全く飽きることがなかった。そして、守一の絵の特徴である輪郭線は、輪郭線として描かれたものではなく、外側と内側を塗ることによって輪郭線に見えているのだとわかって驚いた。サインも漢字だったりカタカナだったり、フルネームだったり名前だけだったり。気分だねぇ(笑)。また、カレンダーを見たときからユーモアを感じていたし、今回見た「線裸」(1927年)と名付けられた絵は裸婦なのか紐なのか、本当に笑ってしまった。ほとんどが4、50センチメートルの小さい絵で、茶の間にも飾っておけそうな感じで、そんなところも大好きだ。初期の油絵から日本画、書、焼き物、彫刻、画材、道具箱、キセル、パイプ、守一の言葉など、どれもこれも見ていて楽しいものばかりだった。あまり欲のない人は、ちょっとしたことで満足できるので幸せだと思うけど、熊谷守一は幸せだっただろうなぁ。
図録を見たら、ひろしま美術館では4月20日まで開催され、その後、松山のミウラート・ヴィレッジ(三浦美術館)へ巡回するそうだ。4月27日から6月15日までは同じ四国にいるんだね~。

ひろしま美術館は、大大大好きなゴッホの「ドービニーの庭」とアンリ・ルソーの「要塞の眺め」があって、ずっと前に「要塞の眺め」を見たときは、「私にも描ける」だったか「私の絵に似ている」だったか、そんなことを思った。改めて見てみると、どうしてそんな大それたことを思ったのか不思議だ。あの異次元のような静けさは、誰にも真似できない。
「ドービニーの庭」は、2008年に解剖されていて黒猫の謎が解けていた。下の画像の「T」の字の下に赤っぽい(ネットでは茶色っぽい)ところがあるのは、ゴッホが描いた黒猫をとある人(名前を忘れてしまった)が修正してしまったのだそうな。

検索したらありました。黒猫の謎解き→ひろしま美術館に、ゴッホの「ドービニーの庭」がありますね。 色々噂があります…

ひろしま美術館
ドービニーの庭

(2014/03/29 ひろしま美術館)

刻-moment- 石元泰博・フォトギャラリー

石元泰博・フォトギャラリー
これは素晴らしかった!!!必見です。3月1日(土)まで。左の画像は、長形3号のハガキで、裏面には次のうたい文句が。
「うつろいゆくもの、滅びゆくものの美しさを、朽ちてゆく落ち葉や空き缶、刻々と姿を変える水面や雲に映し出した、石元泰博の哲学的写真集『刻-moment-』(2004年発行)から、約100点をオリジナルプリントにより紹介します。」(個人的には哲学的とか言わない方がいいと思うけど。私は全然哲学しなかったし(^_^;。それに「うつろいゆくもの」「滅びゆくもの」とも思わなかったよーーー。ぶーぶー。ただ美しいと思った!シャープでクールで美しい!そして、ものの見方を変えてくれる。もっと水をよく観ようと思った。もっと落ち葉を、もっと雲を、足跡をよく観よう!)

アスファルトと同化した落ち葉や空き缶。波にみえる雲。水に見えない水。1960年代から2000年代の人の流れ。あれですよ、あれ。芸術は健康にイイ!運動をした後のような清々しさ、血行が良くなって疲れが吹き飛ぶ、あれです。
秋には石元作品の常設展がオープンする予定。ちょー、楽しみ!石元さん、たくさんの素晴らしい作品を寄贈してくださって本当にありがとう。
(2014/02/27 高知県立美術館)

注)「刻」と書いて「とき」と読ませています。
石元泰博フォトセンター

ミレー展


ボストンから種をまく人がやってきた、というわけで行ってきた。
先に観た友だちが地味だったと言っていたけれど、地味だった。目玉の「種をまく人」「羊飼いの娘」「刈入れ人たちの休息<ルツとボアズ>」のうち「羊飼いの娘」のよさがわからなかったけれど(近くで見すぎたかも)、他の二作品はどちらもとてもよかった。

「種をまく人」は活動大写真だ。種をまきながら坂を勢いよく下ってくる。土なのか種なのか、なんか飛び散っている。人物のどっしりとした重みも感じる。遠景の牛と人は、実物では遥か遠くに見えて画面に奥行きを作り、縦1メートルくらいの絵なのに思い返すと巨大スクリーンに対峙していたかのような印象だ。
「刈入れ人たちの休息」は、はっとするほど明るく繊細な描き込みで、人物や積み藁やら何やらの情報量が多く、状況や物語が見えるようでもあり飽きない。

ミレーは初めて名前を覚えた画家だし(駄菓子屋に「落ち穂拾い」が掲げてあった)、ゴッホが尊敬していたので、ぜひ、観たかった。確かに地味だけど、当時の生活を想像してみたり(うえの画像の「洗濯女」は、月が出てるけど日の出前だよねーとか)、また、音声解説のお陰もあって面白かった。

ところで、コローって上手なんだろうか?きれいな絵なんだけど、紙細工みたいな感じで立体に見えなかった(^_^;。空間が空間として見えないというか。絵というのは、本当に何でもOKだと自分の絵にも自信が持てた。←描いた気になっていた。
(2014/02/27 高知県立美術館)