「ミロコマチコ いきものはわたしのかがみ」展

年間の企画展などを載せたリーフレットで「海の呼吸」を見て、「よさそう」と思って行って「ビンゴ!」だった。アンリ・ルソーや田島征彦、田島征三、茂田井武など、わたし好みの系統だ。食べたもので私たちの体が出来ていたり、私たちと動植物が土や水を介して繋がっているということが感じ取れる絵からは、宮沢賢治を彷彿させられたりした。初めて知ったミロコマチコさん、閉幕までにもう一度行きたい。(こんなこともあろうかと、年間鑑賞券を買ったのだ。えへへ。)

配色がとてもいい。描かれている生き物や植物も大らかで面白い。音楽のライブで即興で描いた絵など、そのまま完成形!
雑誌の表紙や本の装丁、デパートの紙袋などなどを見ると、おしゃれ~。製品と原画が展示されていて、製品はデザイナーさんが一手間かけているのかな?いずれにしても、原画からおっしゃれ~。そりゃ、受けます、売れますって。と思っていたら売店にはグッズがたくさんあって、あれもこれもほしいな~という感じ。
生き物が擬人化されていないのもイイ。何を考えているのかわからない目が生き物の目だ。とにかく生き物は(野生動物のテレビ番組や飼い猫やなんかは)、そんな目をしている。
絵本の原画の展示の仕方は絵の迫力と擬音擬態語がうるさくて、息が詰まりそうでちゃんと見ることが出来なかった。次回は流さず見たい。
もともと金色とか印象深い作品があったが、奄美大島に移住してからの作品は金銀(?)がうまく使われていて、南の島の明るさが伝わってくる。奄美では得体の知れないものを描くようになったなぁ。

子どもの頃読んでいた絵本、人形劇の人形(?)、焼き物などの参考資料も面白かった。特にクロッキー帳(なんでもノート)は、私も作りたいと思っていた(映画のよかったシーンとか、植物のスケッチとか)が、ぜんぜん頭に浮かばないし手も動かないのでやめたことがある。日々、あふれ出るイメージを描きとめ、メモることが出来るミロコマチコさんは、やはり作家になるべくしてなった人だと思った。
(2021/08/02 高知県立美術館)

本城直季 (un)real utopia

面白かった。
「大判カメラの『アオリ』と呼ばれるレンズ操法を用いて、都市の姿をジオラマのように撮影する独特の表現で知られる写真家」とのことで、スリンカチュが好きだったくらいだから俄然興味があった。ピンホールカメラだったか、昔々ミニチュアのように撮るのが流行ってた(?)こともあったよね?とにかく興味津々だった。
で、そのミニチュアみたいに撮られた写真は大画面だった。そして、水平な帯状にピントが合っていた。ドローン?ヘリコプター?どうやって撮ったのか気になった。こうは大きくないはずの写真集「small planet」でも人の様子がわかるんだろうか?とにかく大画面すべてにピントが合っているとかえって何を見たらよいかわからないが、この方法だとピントが合っている部分に集中できるからありがたい。とまあ、そんなことを考えながら見ていて、特に感慨はなかった。むしろ、第二会場に展示されていたラスベガスの居住域とか都市部とかの写真を見て、生活でも生業でも人の営みがあるのが不思議なくらい砂漠だと感じた。その後に当地の山間部とかの写真があって緑と水がいっぱいで、これが自分が住んでいるところかと思うと(ラスベガスと比較したうえで)俯瞰して見ることに意義を感じた。それでもミニチュアみたいに見えることには特に感慨はなく慣れてしまって飽きてしまっていた。ところが、美術館を出て車を運転して帰りながら見る街がミニチュアみたいに見えて驚いた。

この展覧会のよかったところは、木村伊兵衛写真賞を受賞した「small planet」シリーズやその方法で撮影した新たな写真だけじゃなかったことだ。宝塚の舞台を撮影した「treasure box」は、そうそう!二階席とか上の方の席からはこんなに見える!見えるとおりに写せるのはさすがプロ!と思ったり、「daily photos」はポラロイドで昔撮ったとのことだけど対象や切り取り方が私好みでこれを写真集にしてほしいと思った(メモパッドになっていた)。それと、映画のセットにも見える夜の街「light house」は暗幕のコーナーに展示されていて、本当に夜の街にいて見ているようだった。たまたま訪れたところにロケ地やセットとして「ここイイぜ」と思うところがあって(あるいは「daily photos」みたいなモノとの出会い)、それを写真に撮っていたらよかったな~、でも、カメラとか重いものを持つのが嫌だったのよね~とか思っていた。見せるモノ、見せ方にも趣向が凝らされていてとてもよかった。「tokyo」と「kyoto」では断然「tokyo」ですな。それに東京タワーはいいなぁ!スカイツリーより東京タワー派。

残念なのは人がいたので見るのを後回しにしていた「tohoku 311」と第二会場のおしまいの方(工場とか海水浴とかスキーとか)は、(先に見た友だちのブログを読んで警戒してたんだけど案の定)頭痛がしてきて走り走り見た。ダイソーなんかも30分いるとダメなんである。
(2021/06/22 高知県立美術館)

ルオー、シャガール、石元泰博

生誕150年 ジョルジュ・ルオー「ミゼレーレ」展

ルオー「ミゼーレ」展の広報ハガキ

父親の死がきっかけとなった制作は1922-27年だけど出版は1948年。何度も作り直したり、原画を預けていた人が亡くなったり、その遺族と訴訟になったり、戦争もあったし、というわけで。
第一部は「ミゼレーレ」、第二部は「戦争」からなる58枚の版画は、短辺でも35cm前後で60cm四方に収まる大きさ。当時の機械で刷れる最大の大きさだそうだ。気合い入ってますなぁ!という感じで力のある作品群だ。だから、同調して気が滅入りそうになったりするのだが、きっと良い作品なのだろう、穏やかで温かみがあるしユーモアさえ感じることもあり、疲れなかった。
47枚目の「深き淵より…」は、手前に横たわる人がいて、そのそばの壁にはキリストの顔の絵が掛かっている。壁の途切れた左端はこの家の入り口に向かう通路だろうか、遠景として両手を挙げた人影がうっすらと見える。映画でよくあるゲシュタポに踏み込まれたユダヤ人を連想するが、手前に横たわる人(死んでる?)はキリスト教徒だ。一人の人物の内面を描いた絵が多い中、劇的な一枚だ。
44枚目の「我がうるわしの国、どこにあるのだ?」は、とてもわかりやすい。一目見て戦争でめちゃめちゃになった町に残った建物と死体の山だとわかる。一瞬「うわっ」となったが、屍の向こうの建物の二つの窓に一つの入り口が人の驚いた顔に見えて、それが並んでいるものだから「クスッ」となってしまった。高い建物は窓がいくつもあるが、それも顔に見えてしまった。建物が驚き嘆いていると思うことにした。
聖ヴェロニカの聖骸布のイエスの顔は美しい。キリストの顔が何枚かあるがどれも美しい。いばらの冠から流れる血が生々しいものもある。でも、57枚目の美しさには、キリスト教徒でなくても何かありがたみを感じた。ただし、全身を描いたものは左の胸が乳房に見えてしかたなかった。また、女性は母や尼さんは穏やかで良い人っぽいのだが、それ以外は悪者みたいな感じだ。男性も軍人なんかは悪者みたいな感じ。あと、肩というか腕の付き方が変だなぁと感じたものもあった。もちろん、全体的にはバランスがとれていて問題ない。太ももとか肩とか面白い描き方だなぁ。
目を伏せたり伏せてなくても伏し目がちの人物が多いのだが、瞼が白っぽく描かれているため一度白目を剥いた目(ゾンビ目)に見えてしまうと、どれもこれもゾンビ目に見えてしまい見方の修正に苦労した。
ともあれ、また見たくなる作品が地元の美術館のコレクションなのは嬉しい。尋ねると購入したのは平成11年度(1999年)とのことだった。

2021年度 第1回石元泰博・コレクション展「ヌード」

石元泰博「ヌード」展広報ハガキ

「ヌード、撮ってたっけ?」と思って行ったら、見たことがある写真もあって、見るたびに「撮ってた撮ってた」と思っているのかもしれない。主役は「女体」ではなく「形(フォルム)」だったり「形と形の響き合い」だから、ヌードと聞いてエロスとイメージする頭では「撮ってたっけ?」になるのだろう。
「六つの作品 三」は、左にあぐらをかいて俯いた女性、背後の壁の右に文字なのかシミなのかよくわからないもの、柱が中央よりやや左にある。壁の文字なのかシミなのかよくわからないものと女性は、形や質感が響き合っていて面白い。
画像は広報ハガキをスキャンしたものだが「六つの作品 一」で、乳房と石のテーブル(?)が響き合っている。石畳の石の丸みや大きさもイイ感じ。

シャガール・コレクション展「ダフニスとクロエ」第1期

ルオーも石元も面白く疲れなかったので苦手なシャガールも観る気になった。誰かシャガールの良さを教えてほしい。
(2021/05/14 高知県立美術館)

ホキ美術館名品展

どこにあるかは知らねども、行ってみたいと思っていた美術館。向こうからやって来てくれた(ほくほく)。
しかし、展示作品の2番目から暗雲が立ちこめる。焼き物と果物を描いた絵。もしかしたら剥いた皮も含めて陶器の果実だったのかもしれない(もやもや)。
風景画はやっぱりいいよね~と思いながら進む。しかし、女性のヌードでまたもや暗雲。とても綺麗、綺麗すぎるのでウソっぽい。デジタルの映画になって俳優のアップが見苦しくなった世の中ですぞ。ポーズや小物の配置などの作りすぎが、いつの時代だろうと思ってしまう。そして、ふと、写実の画家全員が本物ソックリに描いたら、そこに個性は表れるのだろうかなどと思う。

で、素晴らしいと思ったのが、五味文彦の作品。どれもいい。カメラ目線の「ひとみ」。右から見ても左から見ても、ずっとこちらを見ている。いるね!こんな人。静物画もパンもレモンも食べれそう。レースがレース。「ホワイト・スクエアー・コンポジション」、面白いねぇ!3個の透明な容器に入ったレモン、キャベツ、白菜。何なのこれって見入ってしまう。衝撃的なのが「ヒゲを愛した女」。さっきの「ひとみ」さん?幾重にも破かれている。さっきのひとみさんは「居た」のだが、今度は紙だからねぇ。でも、すごい存在感だ。「いにしえの王は語る」は森の中で古木に対峙しているような感じだ。

塩谷亮の少年を描いた「光韻」と着物の女性を描いた「相韻」も好きだ。モデルの個性が強い。写実といっても画家の個性はあるのだと実感。
島村信之「ニジイロクワガタ-メタリック-」「オオコノハムシ-擬態-」は、虫嫌いでも「ほしい」と思った。そして、同じ人が描いたとは思えない「籐寝椅子」は、「あるある、こんな時間」と思えた。白いカーテンに昼間の陽射し、寝椅子に横になっている女性。ポーズはとっていると思うが自然に感じられ、全体的に白っぽいのも穏やかな時間を感じさせられた。

人物では他に石黒賢一郎の作品群「綾○○○的な」「ア○○的な」「INJECTION DEVICE(3rd Lot)」「存在の在処」が、人物の個性が感じられてよかった。

展示室が変わって廣戸絵美「階段」が不思議でたまらず長く立ち止まってしまった。鑑賞者の立ち位置は踊り場で、左の階段を見下ろし、右の上り階段とそれに続く上階の廊下(床?)を見ているような絵なのだが、上り階段が急傾斜に見えてしかたがなかったのだ。実際にこんなに急な階段なのか、普段私たちが上っている普通の階段もよく見ると本当はこんなに傾斜しているのか。

大畑稔浩「剣山風景-キレンゲショウマ」のうっそうとした少し湿気がある感じが印象に残っている。同じ作者の「陸に上った舟」の乾いた空気と大違い。空気を描く画家なのかもしれない。

写実主義の画家といえば『マルメロの陽光』のアントニオ・ロペス。2、3年前に長崎で展覧会があって行きたかったが叶わなかった。今回の展覧会の主催が高知県立美術館であれば、美術館ホールで『マルメロの陽光』の上映会があっただろうか。
(2021/04/23 高知県立美術館 主催:RKC、高知放送、高知新聞社)