合田佐和子、角田和夫、門田修充_いっぺんに観た

合田佐和子 帰る途もつもりもない

高知県が「うどん県」の真似をして(?)「高知家」などと宣伝をし始めたとき、「天皇の赤子」という言葉が浮かんで「うへ~」と気色悪かったが、高知家は家出自由で、最も有名な家出人は坂本龍馬だと思えば「高知家」でもいいかと思い直したことだった。その家出人第何号かの合田佐和子展を楽しみに前売り券まで買っていたのだが、面白かったけれどあまり好きではないことを再確認するに終わった。

ちょっと好きかなと思ったのは、ポラロイド写真、スケルトン・ボックスあたりだ。楽しそうな感じがしたのだ。それで言えば、焼け跡で拾い集めたもので色んなオブジェを作った作品も楽しいはずなのに、それはあまり好きではなかった。なんか複雑に組み合わされているように見えたからだろうか。平たく言えばゴチャゴチャしすぎ(^_^;。
写真を元に描かれた退廃的と言われる絵も幽霊みたいだし、「レンズ効果」と言われる絵も甘めのフォーカスが何だかモヤモヤするし、映画や演劇のポスターの原画はタイトル文字などが入ったポスターの方がイイし、ワニタマゴヘビタマゴなどは好きになっても良さそうなのにもう少しとぼけてくれないとなぁと感じた。要するに合わないのだろう。
ただ、戦後から表現の自由が爆発した60年代、70年代、80年代に最先端の美術家でいられたことはスゴいことのように思う。利き手でない手で描くなど、そんな凡人のようなことをしなくてもと思ったりもしたが、行き詰まりのようなときがあったのだろうか。ノイローゼみたいになっちゃったのかな。どこからともなく聞こえてきた「レンズ効果」という言葉に新たな表現を見つけるとは、やっぱり芸術家だと思ったり。

けっきょく、この人は眼を描いていたように思う。焼け跡からレンズ効果までオブジェも含めて眼を描いている。若いときに描いた眼は力があり恐いくらいだ。レンズ効果のバラの花なんかも眼だと思うが、かなりやわらかくなっている。年を取ると重力に逆らえず垂れ目になったり、眼の周りの筋肉も弱くなり目に力が入らなくなる。精神的にも丸くなるからだろうか。絵の眼もそんな感じに変化しているように思った。

角田和夫 土佐深夜日記-うつせみ

ちょうど10才年上の人だ。世界的にも評価され、たくさん作品があるそうだが、当地で撮影したものの中から選んで展示されていた。

1984-86年頃の「満月の夜」・・・・夜の畑とか公園とか赤外線カメラで撮影できる範囲が、灯りもなく誰もいないから見ていて寂しい。けれども不思議と落ち着くような感じがした。

1984-90年の「土佐深夜日記」・・・・赤外線カメラの眼は、ふくらはぎの静脈をこんな風に見ているのかと驚く。ゲイバーでパフォーマンスをする人やお客さんを撮っているので賑やかな感じがしてもよさそうだけれど、なんかやっぱり寂しそうな感じ。でも冷たくはなくて柔らかな感じ。暗がりにぽつんと置かれたブランデーグラスのとろみ感みたいな。バーで働いていた叔父さんが亡くなったとわかる写真のところで、思わず落涙。これまでの叔父さんの写真や、お通夜に集まった人の靴を写したところ、小さな住まいなどが物語ることが迫ってきた。この個展は叔父さんの供養になっているなぁ。

2020-22年の「続土佐深夜日記」・・・・新型コロナ禍の深夜、閑散とした写真はわずか。新型コロナ禍でも人々は飲んでますなぁ。人の顔のアップが多いと思った。街のパワーダウンは感じるものの、人は40年近く前とあんまり変わらんなーと思ってしまった。

当地ゆかりの作家を紹介する趣旨の企画「アーティスト・フォーカス」の第3回。好みではなかったけれど、独特の妙な感じのする写真で(思えば「うつせみ」という個展のタイトルがピッタリだ)見ていて疲れなかったので良いものだと思う。人(ワタシ)を疲れさせるのはアート作品として一級品とは言えないというのが最近の私の良い悪いの基準になっている。第1回、第2回とカタログも作成されたので、今回も作ってくれるでしょう。今から楽しみ。

門田修充展 不穏と不遜の交叉する無自覚な日常

とても面白い立体作品。クラゲとか巨大な虫とか甲冑みたいなのとか、ワクワクする。県展無鑑査の人だという。素材はアルミなのかな?ブリキより軽そうな印象。クラゲの団体は宇宙人のようにも思えたけれど、楽しくて不穏な感じは受けなかった。

(2022/11/22 高知県立美術館)

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