ガリバー旅行記

予告編を見たときから映画向きの好企画だと思った。巨人と小人の対比は、視覚的に面白い。そのうえ、主人公のガリバーを愛嬌のあるジャック・ブラック(未来のアーネスト・ボーグナイン?)が演じるので一定の面白さは約束されているのだ。
『スター・ウォーズ』やら『タイタニック』やら、映画好きには楽しい小ネタが散らばっていたし、リリパット王国のつつましやかな姫様が、ガリバーの影響でウーマンリブっぽく開放的になっても、言葉遣いはどこまでも姫様っていうのがツボだった(笑)。
原作は、巨人や小人の国をとおして現実社会を皮肉っていたような気がするけど、この映画は「エンタメ王国アメリカばんざい」、「小心者よ勇気を出して正直に」、「歌って踊って戦争なしよ」と毒気なし。毒抜きの楽しいひととき、これもまた良し。オープニングのおもちゃみたいな町並み、よかったな~。
(2011/04/15 TOHOシネマズ高知9)

塔の上のラプンツェル

これぞエンターテイメント!
笑って泣いて気持ちよ~く映画館を後にできる。
パスカル(カメレオン)、可愛いー!
マキシマス(犬っぽい馬)、カッコイイーーー!!!
提灯、綺麗~。
ラプンツェルもフリン・ライダーも魅力的だった。
ゴーテルもなかなかの悪役ぶり。
娘をさらわれた王と王妃の悲しい表情(老いが加わっている)にじわっときた。
そして、フリンが死んだ理由がわかって(ToT)。感動~。
酒場の荒くれ男たちの夢にも感動(笑)。
(ゴーテルにさらわれたとわかったラプンツェルの変わり身が早いのは、この際、しかたないか。『八日目の蝉』に期待しよう。)
(2011/04/09 TOHOシネマズ高知4)

闇の列車、光の旅

自立心が旺盛で真っ直ぐなサイラ(パウリナ・ガイタン)と、サイラに慕われて「おまえはわかってない、俺は終わってるんだ」と頭を抱えるウィリー又の名をカスペル(エドガル・フローレス)が魅力的だった。また、列車の屋根の旅は、危険だし、雨だと寒いし、乗っている人たちは大変なんだけど、木の枝に当たったり、果物を投げてもらったり、石を投げつけられたり、丘の上のキリスト像を見て十字を切ったり、見飽きることがなかった。
それにしても本当にやりきれない嫌な映画だった。どんな悲劇も「任せなさい」という感じでフィクションにはめっぽうタフな私でも、このメキシコのギャング組織には凹まされた。リルマゴ(テノッチ・ウエルタ・メヒア)が率いる一団に入るには、まず焼きを入れられる。殴られ蹴られ、それに耐えた者が「仲間」になれるんだけど、ぜんぜん「仲間」という感じがない。親分子分の人間的なつながりが感じられない。リルマゴが殺されて、本当に悲しんでいる者が一団の中にいるのだろうか。裏切り者を殺すのは見せしめだ。絆がないと掟が全てだ。対立する組織への牽制ってこともあるだろうけど。対立する組織の者たちも、貧しさから悪事に手を染めた「仲間」のはずなのに。そして、そういうギャング組織に進んで加わりたい子供たちがいるのも無理からぬ話というのがわかるゆえに、やりきれないのだ。
あああ、『ザ・タウン』が懐かしい。町を出ても不法移民でないってお得。
(2011/04/09 あたご劇場)

二十四の瞳

昭和の映画館へ行こうと甥(中学入学)を誘い、あたご劇場へ行ってきた。ついてきた今度小三になる甥は、30分もすると座席のうえでもそもそしだし、以後、2時間、悶え続けていた(笑)。この甥が「映像が悪かった」と言ったのは鋭い。
前回、あたご劇場で初めて観た『二十四の瞳』は、このうえなく美しい映像だったが、今回は大雨のうえに、ところどころ音が飛ぶほどに切れていて本当に残念だった。
中学生になる甥にわからなかったところはないかとたずねると、ないとの答え。「昭和の映画館」という惹句は魅惑的ですぐ乗ってくれたが、作品の方は甥には難しかったのかもしれない。
前回と同様に大石先生(高峰秀子)は美しかった。初めて出席をとるときの表情や声音の清々しさといったらない。アカと間違われることを恐れる校長から、本音の授業をしたことを諫められたときの不服そのものの表情に痺れる。夫の船と行き違うときの輝く笑顔も忘れがたい。偶然、奉公中の松江と遭い、食堂の女将の様子から状況を察して暇を告げるとき、松江に注ぐ瞳の表情は胸に迫るものがあった。(この後、松江が先生を追いかけていき、出航した船を見送るシーンは、船の進行方向と松江が泣きながら歩いていく方向が同じで、遠景に長い間船が見えるのでよく泣ける。)戦後、教え子から自転車を贈られて、涙を浮かべた表情もじ~んとくる。
桜のほか、海や山、乾燥した風景、雨(ラストシーンは雨合羽の自転車がさっそうと学校へ向かう)、出兵する人たちの見送りや葬送の行列などの引きの絵が多いので、大石先生や子どもたちのクローズアップが映えるのだと思う。また、おなじみの唱歌が効果的に使われてもいた。たとえフィルムが痛んでいても、記憶の中でどんどん美しくなっていく。私にとって、この映画は、美しいからこそ名作なのだなぁ。
(あたご劇場 2011/04/02)