ミレニアム2 火と戯れる女

むむむ、つづきを早く観たい。
リスベットの過去は、だいたい想像していたとおりだった。
途中、話について行けないと思ったけれど、終わってみたら何となくわかったような気がする。やはり私はミステリーは苦手だ。だけど、リスベット(ノオミ・ラパス)とミカエル(ミカエル・ニクヴィスト)を見ているだけで面白い。特にミカエルは、あんなゴッツイおじさんなのに可愛いとこがお気に入り~。死体の第一発見者になったり、瀕死のリスベットを見つけたりして、言葉を失う表情が(^_^)。判断力も行動力もあるし。そりゃ、モテモテですわ。
(あたご劇場 2011/02/23)

ヒアアフター

面白かった。こういう、ゆるゆるな感じは好きだ。
サンフランシスコ、パリ、ロンドンと楽しませてもらった。
霊能者ジョージ(マット・デイモン)、臨死体験者マリー(セシル・ドゥ・フランス)、双子の兄を亡くした少年マーカス(ジョージ・マクラレン/フランキー・マクラレン)の三人が、どこでつながるのか最後までわからなかった。
マリーのパートがちょっと弱かったかな。ちょっとしか可哀想じゃなかったもの。(もちろん、マーカスとジェイソンの兄弟には泣かされた。お茶屋のお約束(笑)。)
ジョージの兄(ジェイ・モーア)がなかなかいいキャラ。霊能力を活かして金儲けしようという実利主義。弟の苦しみは想像の外。だけど、自分はフリークだという弟に「お前はお前じゃないか」と言える、本当に普通の人。普通の人の強さって(敏感じゃないところ)いいと思う。
[追記]
hereafterは、字幕で来世と訳されていたけれど、今後という意味もあるらしい。主要登場人物三人(つまり生きている人間にとって)の今後が大切で、その今後になくてはならないものが、「霊界」という概念なのだと思う。
映画の中で最も切実に霊界を必要としていたのは、もちろんマーカスだ。その切実さに泣かされる。(ジェイソンと共に母を庇う姿にも泣けた。)ジョージは霊界を必要とする人々、関心のある人々に苦しめられ、これもまた切実な問題だった。
マリーの役回りは、霊界が存在すると科学的に人々に知らしめることだ。(日本で言うと丹波哲郎・・・・(?)。)だけど、イーストウッド監督は「霊界が存在する」ということよりも、「生きている人間の今後」と「来世という概念」の方に重きを置いているのではないだろうか。脚本では「霊界が存在する」というマリーのパートの比重もマーカスやジョージと同じくらいだったのかもしれない。「死後のことはわからない。だけど、生きている人間に何が必要かはわかる。」そんなイーストウッド体質が、マリーのパートを弱くしたのではと思った。

海炭市叙景

エアコンの壊れた真夏の劇場で観たとしても、底冷えがするだろう。海炭市は冬、産業も商売も、人生も冬。風景も人々の営みもやるせない。雪が溶けた春先で終わるけれど、この映画は冬景色の冷たさがいいのだ。
劇場にこのような空気を作れる映画は滅多にない。すべての登場人物の気持ちにシンクロできたし。いい映画だった。(人物同士の関係に普遍性があり、今の時代の一地方でなくとも充分成り立つ景色だと思うけれど、金の切れ目が命の切れ目につながってしまう日本の今が映されていたような気がした。)

アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち

日本人がみんな盆踊りを踊れるように、アルゼンチン人もみんなタンゴを踊れるのだろうか?そんなことを考えながら観た。もっと、タンゴを聴かせてくれよー、もっと、踊りを見せてくれよー、とも思った。みんな、長生きだなーとも。
知らないマエストロばかりだし、その人たちがぽつぽつと思い出を語るのをバラバラと観ても、印象に残るものは少ない。ヨーロッパには真似できない魂のタンゴ。そんな言葉だけが印象に残った。