ロンドン、人生はじめます

大人の恋は手っ取り早くていいなぁ!ショートカットの連続だ(笑)。
特に感心したのは・・・・。→エミリー(ダイアン・キートン)がドナルド(ブレンダン・グリーソン)を自分の住まいに招待した後帰宅すると、彼女の誕生日のサプライズにご近所さんのみならず、彼女に対して下心ありの会計士(彼女の方も彼に対して別の下心があったのだけれど)も集まっていた。そこへ招待されたドナルドが意気揚々とやってきて、並んだエミリーと会計士を見て憤然と去って行く。この誤解を解くのに説明が簡潔、説明されると誤解もすぐ解ける。相性もあるのかもしれないが、長年世間と人を見てきた大人ならではのあうんの呼吸だと思った。

一番おどろいたのは、エミリーが「この家では暮らせない、もっとちゃんとしたところで暮らしましょう」と言うところ。ドナルドのあばら屋を素敵だと思っていたのは本心だし、裁判で所有権を獲得するのを応援していたし、ドナルドがこの家に愛着を持っているのはわかっているはずなのに。
しかし、考えてみるとエミリーの言うことは正しかった。彼女は自分がどんな人間か解っている。あばら屋で実際に暮らすまでもなく、暮らすとどういう結果が待ち受けているかわかっているのだ。

結末は実に清々しい。パートナーといっしょに暮らすのが最善としたら、エミリーとドナルドのように互いの家を行き来して暮らすというのは次善なのかもしれない。だけど、エミリーとドナルドにとっては、あの結末が最善だと思う。いろいろ経験を積んだうえに獲得したのが、新しい価値観=自分に最も適した暮らしというのは幸せなことだ。
(2019/04/20 あたご劇場)

鈴木家の嘘

モヤモヤ、ぐるぐるとした作品で晴れない。
長男(加瀬亮)の自死に残された両親(原日出子、岸部一徳)と妹(木竜麻生)が悶々とするのだから無理もない。叔母(岸本加世子)、叔父(大森南朋)なども出てきてコメディタッチにしているのだけれど、役者の好演でもっている感じだ。
長男よ、病気の自覚がなかったみたいだが、明らかに心の健康を損なっていたね。家族でも心医者でも宗教でも、他の解らない何かにでも独り言でも呪文でもいいから「助けてくれ」と唱え続けてほしかった。
父よ、お疲れさん。
妹よ、最後の最後であっても相手が亡くなっていても謝れてよかったよ。
母よ、包丁の使い道は、それしかないよねー。
(2019/04/18 あたご劇場)

バジュランギおじさんと、小さな迷子

ラストが圧巻。長いしスローモーションが多いし、何かまどろっこしさを感じていたのだったが、インド側からもパキスタン側からもたくさんの人が集まって来たことに感動。そして、「おじちゃーん!」というお約束の一声に女の子を抱き上げるバジュランギおじさんのストップモーションにやっぱり感動。
スケール、大きいねぇ。肉食べてビックリ、敵チームを応援していてビックリ。ビックリしても家に送ろうとするのが人情ってもんだ。人情に国境はない。わかりやすいねぇ。女装もあったねぇ。拷問も。言いたいことが明確で善なる方へ向かう娯楽映画は気持ちがよい。現実も万事、こう行きたいものだ。
(2019/04/18 メフィストフェレス2階 ゴトゴトシネマ)

家へ帰ろう

アルゼンチンからポーランドへ、頑固じいさん(ミゲル・アンヘル・ソラ)の深い傷を癒やす旅。

抜け目のない孫に始まり、闇(?)航空券手配師、飛行機の隣席という縁の兄ちゃん、スペインの宿屋の女将、刺青の末娘、ヘブライ語ができるドイツ人女性とエピソードの数々が現実のようであり夢のようであり、寓話的な印象の作品だった。

最も印象深いエピソードは、もちろんドイツ人女性とのものだ。乗換駅のホームでアブラハムじいさんが「聞いた話じゃない。この目で見た。」と言うたびに私は気圧された。あのドイツ人女性、よく耐えたなあ。戦後生まれの彼女が戦前戦中のことに責任を負えるはずもないのに、歴史に学び過ちを繰り返さないという意識だけでは到底できないことを成し遂げた。傷を負った人に対する言動と傾聴(あれ以外できなかったろうとは思うが)はパーフェクトだと思った。ホロコーストを生き延びたアブラハムじいさんが、決して踏むまいと思っていた恨み積年のドイツの地を踏みしめるのを見ながら、被爆者や慰安婦などを思い浮かべていた。

末娘の刺青がわからなかったので、この映画を薦めてくださった方にお聞きすると下記のURLを教えてくださった。
世界の映画祭で観客賞8冠の心温まるポーランドのロードムービー映画『家へ帰ろう』監督インタビュー
(2019/03/21 あたご劇場)