映像も愛情も美しかった。主演の男の子(祥太:城桧吏)の瞳も美しく魅せられた。全員が血のつながりがなかったことがわかり、家族って血じゃないと改めて思った。ただし、この家族のもろさも描かれていて、「絆」というより「つながり」だと思った。そして、「つながり」でいいじゃないかと思った。温もりのあるつながり、それで十分しあわせだ。
是枝監督はテレビでドキュメンタリー番組を制作していたそうで、ジャーナリスティックな面があるのでしょう。この映画でも近年の日本で起こった事件や事故が織り込まれている。ワーキングプアや労災隠し、年金受給のための亡きがら隠し、幼児虐待、自動車内に子どもだけを残して死なせてしまう、無戸籍で学校へ行けないなど。そういう社会問題を抜きにしてパルムドールはなかったろう。とてもよく出来た作品だと思うが、私は是枝監督作品とはつくづく肌が合わない。監督と素材との距離は常に一定で、素材に溺れることがない。泥臭いのはあまり好きではないが、もう少し泥が混じってもいいんじゃないの?面白くて良い作品が多いのに熱量が私には物足りないのだ。
それでも二つの点で是枝監督も私と同じ考えなのかと思った。一つは、万引きを見逃してきた雑貨屋のおやじさん(柄本明)。困窮を察しての見逃しは、助け合いの一つだ。そういう寛容さがまったくない世の中は、貧困をなくす制度を作るのもむずかしくなると思う。「妹にはさせるな」の一言で、見逃してきたことと万引きを是としているわけではないことを表す。(しぶしぶ見逃してきたことは、それまでのおじさんの表情が表している。)このような古き良き雑貨屋がなくなっていくのと、人々の寛容さが乏しくなっていくのは相関関係があるのだろうか。
もう一つは、祥太が乗っていた自動車のナンバーを模造実母(安藤サクラ)が控えていたこと。家族形成において血のつながりは、それほど大切ではないと思うが、子どもにとって生みの親の実在を知ることはアイデンティティーに関わる重要事項だと思う。会う会わないとか、どんな人物かは、どこの誰ということと比べたらどうでもよいので、子どものためを思うならそれがわかるようにしておいてほしい。
ラストシーンでゆり(佐々木みゆ)は何を見たのか。「万引き家族」の誰かがゆりに会いに来たわけではないと思うが、「家族」の誰か(おそらく祥太)が来たと思ったんだと思う。
(2018/06/10 TOHOシネマズ高知7)