15時17分、パリ行き

レスキューに自信がないので、事故や事件の現場に居合わせることがないよう常々祈ってきた身には、この作品の主人公がまぶしい。世のため人のため役に立ちたいと子どもの頃から神様に祈っていたとは凄い。それが英雄的な行為で達成されたのはめぐりあわせというもので、凄いことには違いないが心がけに比べたらおまけのように感じる。
主人公は他に二人いて、彼らはズッコケ三人組(?)として子どもの頃から仲良しで、進路が異なってもずっと友だちだった。テロリストと乗り合わせてしまった特急列車での連係プレーは、三人が歩んできたこれまでと無関係ではないという風に描かれており、思えば「めぐりあわせ」がテーマのような作品だった。

最も印象に残っているのは、撃たれた人の傷口に指を突っ込んで止血している場面。最も忘れたい場面だ(^_^;。軍隊で落ちこぼれていたけれど、訓練していたことが活かされた。普通の人の英雄的行為。祈りが通じてよかったねと思ったが、世の中が平穏無事で人のために役だつことが親切心くらいで済むにこしたことはないとも思った。
(2018/03/07 TOHOシネマズ高知3)

エル

(^_^;、これって笑っていいんですよね?なんかちょっと可笑しかった。ただし、暴力シーンはやっぱり苦手。
『スリー・ビルボード』は先が読めないとよく耳にしたが、『エル』の裏切りもなかなかのもの。毒入り(笑)。
とにかくミシェル(イザベル・ユペール)がチャーミング。自由。子どもがそのまま大きくなった感じ。でも、バリバリの経営者であり、別れた夫の彼女に嫉妬する元妻であり、近所の人夫と何する何であった(笑)。息子を愛する母でもあるが、いわゆる母性愛はほとんどなくて、むしろ息子の父性愛が~~(^o^)。そうそうやっかいな両親を持つ娘でもあった。女ってこんなもんと言うのではなく、ミシェルはミシェル、一人の人間として燦然と輝くのであった(笑)。
(2018/03/17 あたご劇場)

北の桜守

吉永小百合のスタア映画だった。夫役の阿部寛がなかなかの貫禄で夫婦として違和感がなかったのに感心した。
小百合さんの映画だと思って観に行った母は、堺雅人が出ていたので「儲けた!」と思ったそうな。
その堺雅人は、いつもの(?)優男ではなく猛烈経営者を演じて、これまた違和感なし。
樺太からの引き上げ、飢え、闇米、シベリア抑留、高度経済成長、母子愛の大河浪漫。

樺太からの引き上げの描写は、母から聴いた満州からの引き上げを思い出した。母は引き上げ時に二人の兄を亡くしており、祖母はもぬけの殻のようになっていたと話していた。
引き上げ時の描写で一つだけ惜しいと思ったのは、横死した人から食べ物を拝借する場面で、食べ物をポリ袋に入れていたこと。ここは新聞紙か油紙でないと雰囲気が出ない。

映画中の舞台劇部分は、チャレンジだと思った。ケラリーノ・サンドロヴィッチの演出が面白かった。通常の映画部分は登場人物に感情移入しやすいが、舞台劇で物語進めていく部分は登場人物の人生を客観的に見ることになる。こんな風にされると、単に主人公の人生を見て終わりではなく、演劇でも映画でも口伝でも「この物語」を語り継いでいく必要があると作り手が言っているように感じた。
(2018/03/11 TOHOシネマズ高知2)

シェイプ・オブ・ウォーター

シェイプ・オブ・ウォーター
エロティック、バイオレント、ビューティホー!色んなものが隅々まで美しかったが、特に緑色が美しい。水底のヒンヤリとした心地よさが伝わってくる。劇場周辺の落ち着いた臙脂の温もりもいい。イライザの魂の叫びに圧倒されたし、ラストシーンの美しさに涙が出た。孤独を癒してくれるもの、生きる力を与えてくれるものが映画だというのもいいし、劇場のうえに住まいがあるなんて、映画ファンからしたら夢のよう。昔、ティム・バートンが出始めの頃は、彼が「妖怪人間ベム」を見たら何と言うか聴いてみたいと思ったものだったが、ギレルモ・デル・トロにも聴いてみたい。

心が通じ合うというのは何と素敵なことか。一方、さかなクン(ダグ・ジョーンズ)を始め、イライザ(サリー・ホーキンズ)をいたぶるだけではなく、博士(マイケル・スタールバーグ)への拷問ばかりか妻とのセックスにおいても思い遣りのかけらもないストリックランド(マイケル・シャノン)を理解しがたい(『パンズ・ラビリンス』の将軍を思い出す)。どうしてこんな人物になったのか。もっと映画を見ていれば情けも育まれたろうに。

イライザの友だちの絵描き(リチャード・ジェンキンズ)と同僚(オクタビア・スペンサー)も寂しさを抱えた人たちだ。絵描きの視点で語られるおとぎ話は、私たちにも力を与えてくれる。さかなクンとイライザは、遠い水の国で仲良く幸せに暮らしているにちがいない。
(2018/03/03 TOHOシネマズ高知2)