哀れなるものたち

『哀れなるものたち』の感想を毛筆で書いた画像

コメディだったとは
楳図かずお先生の感想や如何に

衣装、美術、音楽が独特で、特に美術はセット、大道具、小道具が楽しすぎて、あと百遍くらい観たい。お話は、しごく真っ当だ。教養小説的な女性の成長物語であり愛情物語だった。監督はヨルゴス・ランティモス。『女王陛下のお気に入り』は面白かったけれど、灰汁が強くてあまり好きではなかったが、今作はグロテスクさが私にはギリギリセーフラインだった。それに、かなり笑えるので、早くも本年のベストワン候補現るといった感じだ。
エマ・ストーンは、『女王陛下のお気に入り』でも今作でも女性にとって不自由な世界で自由を獲得していく様を演じたと言ってもいいと思うけれど、今作はちゃんと愛情もあってよかった。ランティモス監督は、いったいどういう人なんだろう。フェミニストなんだろうか。とにかく作品が滅茶苦茶面白いので、過去作の落ち穂拾いと次回作以降も要チェックだ。

驚いたこと。
マーク・ラファロは、なんか「もあもあ」してスッキリ感のない俳優で、あまり好みではなかったのだが、ちょいワル・いけオジ・放蕩弁護士がベラ(エマ・ストーン)への独占欲で身を持ち崩していく様子がめちゃめちゃ嵌まっていて一番笑わせてもらった。ダンスシーンなんか最高だった。
豪華客船でベラが出会う、酸いも甘いもかみ分けた知的な貴婦人としてハンナ・シグラ登場!もう70歳は越していると思うが、ゆったりと美しく、放蕩弁護士がベラから本を取り上げ海へ投げ捨てたのを、さっと次なる本をベラに渡す余裕の表情がよかった。

特によかったところ。
ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)は、その父から虐待されていたが、ベラに対しては愛情をもって育てており、ベラも父危篤の知らせを聞いて旅先から飛んで帰った。死の間際に「誰もが私を恐れるか哀れむかだったが、ベラだけがそうではなかった。」と言うところ。涙のお別れに涙。

笑っていいのか気の毒がっていいのか。
ベラの自死した母は、その夫(ベラの血縁になる?)が酷い暴力夫だった。『息もできない』を観たあとでは、戦場帰りの人の暴力的なところは戦争の犠牲に見えてしまうので、この夫も犠牲者かもしれないと思う。人として回復して幸せになるのが一番だけれど、それが難しい場合は山羊として幸せになるのがいいのかな?
(2024/01/26 TOHOシネマズ高知8)

高野豆腐店の春

『高野豆腐店の春』の感想を毛筆で書いた画像

不幸不運は人生の一部

今どきの映画にはめずらしくデジタルっぽくないソフトな画質で尾道の春が捉えられ、まこと春のようにやさしく明るい内容にピッタリだった。
高齢の豆腐職人の父辰雄(藤竜也)と出戻り娘の春(麻生久美子)。二人の愛情はもちろん、商店街の仲間たちや辰雄が病院で知り合ったふみえさん(中村久美)が織りなす、可笑しくも心温まる遣り取りが初春一本目にはちょうど良かった。(寅さんが懐かしい。)
喧嘩をしても縁が切れない人との繋がりというか、喧嘩が出来る人との繋がりは私には家族以外ではないが、大切だと思う。侃々諤々できる間柄であれば話題のタブーも少なく、情報交換がしやすいのでその結果として世の中さえずいぶん違ってくるだろう。

辰雄もふみえさんも被爆ゆえの健康被害が続いているのだと思う。二人が話していて、辰雄が亡くなった人のためにも人生の終わりに良かったと思える生き方をしようと言うのに、本当にそうだと思った。幸不幸は一時のことで人生の一部でしかない。トータルで満足できる人生かどうか。そういう風に考える年頃に私もなったわけだ。

それにしても撮影時に81歳だという藤竜也のカッコイイこと!怒りの表情は新薬師寺の婆娑羅に勝るとも劣らない。仏像好きは拝観に行くべき作品だ。
(2024/01/08 あたご劇場)

とっても素敵な鑑賞文 眺めのいい部屋『高野豆腐店の春』

PERFECT DAYS

『PERFECT DAYS』の感想を毛筆で書いた画像

沁みる

今、『ノマドランド』を思い出している。共通するところのある作品だが、『ノマドランド』は見終わってすぐに問題作だと思ったのに、本作には詩のようなものを感じている。

見始めは、目に新しいトーキョーだな、盆栽や銭湯などの文化だけでなく地下街の猥雑なところや汚れまでも美しく撮影されて外国人受けしそうだなと思い、自分自身も楽しんだ。主人公のカセットテープの音楽も聴いたことのある曲がいくつかあって、音楽が国境や世代を越えることを実感した。でも、ビルやトイレの掃除は中高年の女性が多いと思っていたし(今は変わっているのだろうか?)、室内で栽培している盆栽は幼木であっても屋外でもう少し陽や風にに当てた方がいいのではとか思ったし、現実世界はもっとあくせくしているので、箒で掃く音で目覚めたり、人が目にとめないものを見つめたり、密かなちいさな楽しみをいくつも持っている「この作品≒主人公の平山(役所広司)」は浮世離れしていると思った。平山は人との軋轢を逃れ、自分でも気づかないうちに結界にこもった都会の仙人なのだ。

そして、正にその仙人に私は長年憧れてきた。浮世のしがらみのない山奥の澄んだ空気の中で霞を食って生きる。
平山は父との関係で酷く傷ついている。大抵の人は、若いとき傷ついても様々な経験を経て反省したり、あるいは許したりすることができて、親の死に目にうん十年ぶりの再会などというのはよくある話のような気がするが、平山は傷ついたままだ。妹が「昔の元気な父じゃない」と会うことを勧めても出来ない。また、おそらく挫折を知らない妹たちを住む世界が違うと言う。そんな哀しいことを言うなよ(T-T)。仙人は哀しい。

うん十年ぶりのヴィム・ヴェンダース監督作品だったが、やっぱり合う。『パリ・テキサス』『都会のアリス』『ベルリン天使の詩』、ほとんど忘れてしまったが、主人公は人間関係の軋轢みたいなものは大の苦手だったのではなかったっけ?

何を着ても似合うのは良い俳優の条件で、役所広司は軽くクリアしている。何も身につけないでもカメラの前で自然に振る舞えるというのも条件に加えるべきなのかも(?)。そうするとカンヌ国際映画祭で俳優賞を受賞できる。あれ?違う?長回しのアップに耐える表情筋の鍛え具合だろうか。
(2023/12/25 TOHOシネマズ高知5)

ジャンポール・ゴルチエのファッション狂騒劇

『ジャンポール・ゴルチエのファッション狂騒劇』の感想を毛筆で書いた画像

言葉とカット割の洪水

むかし、「装苑」という雑誌で楽しみだったのは、美少年好きの長沢節さんのシネマエッセーと、デザイナーの卵さんがデザインした服のページだった。また、今でもたまたま点けたテレビでファッションショーなどを放送していると、つい見入ってしまう。私はファッションセンスもなくおしゃれでもないけれど、そのぶっ飛んだデザインは見るだけでとても面白い。美術の中でも前衛だと思う。
ゴルチエは『フィフス・エレメント』の衣装なんかも担当していたそうだし、新装開店したキネマM(ミュージアム)の様子見も兼ねて行ってきた。

映画はゴルチエの自伝的レビュー(revue)の制作をドキュメントしたもの。ゴルチエが寸分の空きなくしゃべりまくり、ゴルチエがしゃべらないときはスタッフがしゃべりまくる。音楽もなりっぱなしで、カット割が激しく、たいへん騒々しい作品だった。10人中楽しめる人は3人くらいか???私は、映画としてはあまり面白くないかもと予防線を張っていたので、ゴルチエの発想を大いに楽しんだ。でも、数が多いは、じっくり見せてもらえないはで、あまり頭に残ってない。ただ、マドンナの尖ったブラジャー(?コルセット?)の衣装はゴルチエだったとわかった。それと、ボーダー柄のTシャツを着た彼は、垂れ目のピカソみたいだった。

キネマMは音よし、映像のキレよし、椅子の座面やや固し、バリアフリーでないのが意外だった。飲み物とポプコーンを売っているみたい。新しい臭いがしたので頭が痛くなったら嫌だなと思っていたが痛くならなくてよかった。
(2023/12/18 キネマM)