マーティン・フリーマンが~(^o^)。2年くらい前だったか、撮影中のマーティンをネットで見て、見たいと思っていたのだった。マーティンを見た瞬間、それを思い出した(笑)。
話が意外な方向へ進んでいって、意外な方向のまま終わった(笑)。イギリス人ほどには笑えないけど、やっぱりところどころ可笑しい。小ネタが豊富だ。それに堂々たる人間賛歌ぶりに、あやうく感動しそうにもなった。
THE WORLD’S END
監督:エドガー・ライト
(2014/07/01 TOHOシネマズ高知2)
マーティン・フリーマンが~(^o^)。2年くらい前だったか、撮影中のマーティンをネットで見て、見たいと思っていたのだった。マーティンを見た瞬間、それを思い出した(笑)。
話が意外な方向へ進んでいって、意外な方向のまま終わった(笑)。イギリス人ほどには笑えないけど、やっぱりところどころ可笑しい。小ネタが豊富だ。それに堂々たる人間賛歌ぶりに、あやうく感動しそうにもなった。
THE WORLD’S END
監督:エドガー・ライト
(2014/07/01 TOHOシネマズ高知2)
うへぇ~(^_^;。
う~ん、覚悟はしてたけど足りなかった。どっかで『96時間』みたいなめでたい作品を期待していたのだろう。血液飛散シーンのみならず、レイプ、内蔵と盛りだくさん。「これ以上はお見せできません」という風に暴力シーンは、マンガ(絵)を挿入してくれているんだけど、ハードな効果音付きなので身に堪えたわ(涙)。刑事(オダギリジョー)との屋上シーンや先生(中谷美紀)との雪原シーンは笑えそうで笑えないし。話は、「娘はいずこに?」「娘、どんなこ?」で一気に見せられる完全娯楽。演出もこんな時空シャッフルは久々で狂った感じがよく出ていた。アニメで水中を落ちていったり、不思議の国のアリス、ヘンリー・ダーカ(?)、ふむふむって感じで。ただし、藤島(役所広司)と娘の加奈子(小松菜奈)が心療内科に掛かっているという設定は、まったく必要なかったと思う。自ら医者に行くような人物に見えないし、狂っているのは病気のせいと言いたいわけでもなかろうに。なにせ登場人物全員が狂っているのだからして。それにしても役者が皆いいなぁ!
監督:中島哲也
(2014/07/01 TOHOシネマズ高知4)
『ファースト・ゼネレーション』が滅法面白かったので、若プロフェッサーX/チャールズ(ジェームズ・マカヴォイ)と若マグニートー/エリック(マイケル・ファスベンダー)見たさに行ってきた。いや~、二人とも良いケンカしてるね(笑)!色々と笑えるところもあって楽しかった!主な舞台は70年代なので、シャツの柄が~~(^o^)。音楽の使い方も上手いような。このシリーズは「妖怪人間ベム」とかティム・バートンが好んで描いてきた「異形もの」にも分類できるんだけど、多数派とは違うということで差別されたり悩みを抱えたりで普遍性があるよねぇ(差別に普遍性はあってほしくないんだけど)。それに『ファースト・ゼネレーション』と『フューチャー&パスト』では、少数派の中でも考え方の違いがあって仲間割れしてしまうってことが描かれていて、これまた嫌なことに普遍性があるようで、私たちは何て愚かなんでしょう。その点、ミスティーク/レイブン(ジェニファー・ローレンス)の選択は賢かったわけだ。仲間を実験台にしてきたトラスク博士を殺したかったけど、ミュータントは人類の敵ではないというところを見せたので、人類とミュータントが共存できる50年後につながったわけで。私は結構オメデタイので「そりゃもう共存でしょ」と頭っからチャールズ側だ。そのくせ自分の都合によろしくない人物は早めに成仏してほしいと思っているので、人類を排除してミュータントの世界を作るというエリック側の考えを理解できないこともない。だけど、ボスニア・ヘルツェゴビナとかイラク(シーア派によるスンニ派の弾圧が凄まじいらしい)とかウクライナとか共存できていたところに亀裂が走るのはなぜなのか(誰が得をするのか)。嫌な世の中になってきたので、娯楽映画を観てもそっちに考えが流れてしまう。でも、大丈夫。マカヴォイ君はタイプではないけれど、隈王子としての魅力を発揮。苦悩の表情に見惚れた~。『ウォンテッド』『つぐない』など苦悩したり病気したり、とても似合う!今後も大いに苦しんでほしいゾ。
その他の隈王子:エドワード・ファーロング、ジェームズ・スペイダー(いずれも若い頃)
監督:ブライアン・シンガー
(2014/05/31 TOHOシネマズ高知9)
『第一部太陽旗』『第二部虹の橋』を続けて観た。とても力のある作品で、長時間にもかかわらず一気に観れた。
『太陽旗』は、セデック族同士の猟場争いから始まり、日新講和条約で台湾の割譲後、日本人による統治で酷使され差別され続けたセデック族が決起するまでが、『虹の橋』は霧社事件の戦闘と結末が描かれていた。第二部はほとんど戦闘シーンだけど、(戦闘中にもドラマがあり)活劇と情動が上手く融合しているため、アドレナリンの分泌だけでなく心も動かされた。吊り橋が落ちたシーンから次のカットがつながっておらず、「れれれ???」なところもあるけれど、力強い演出でグイグイ見せられた。
知らなかったことを知るという点では、台湾の原住民セデックは鯨面文化があるようで、日本やニュージーランドとつながっていると思った。踊りの場面では、アイヌの楽器ムックリとそっくりな音がしていたし。霧社事件も初めて知ったけれど、女性も子どもも殺されていたとは驚いた。「日本人は妊娠している女性は殺さない」というセリフがあったということは(真偽はともかく)、セデックにはそういう考え方はなかったということだろうから、いささかカルチャーショックであった。
セデック族でも集落が異なれば、それぞれの頭目の考え方があるのは当然だろうが、猟場・縄張り争いで敵対している地域となると顔を見れば争う気満々なものだから、日本軍に上手く分裂させられ霧社事件でも敵味方となって殺し合う。この構図は『麦の穂をゆらす風』なんかでもあったし、今も地球のどこかで仲間同士で殺し合っている。民主主義(話し合いで決める)ってお金も時間もかかるから忍耐強さがいるし、正確な情報を収集できないと話にならないし、似非情報に惑わされない賢さもいる。そりゃあ、殺し合いの方が手っ取り早い(それならジャンケンにしたらいいのに・・・)。とまあ、やっぱり世が世だけに、考えがそっちへ流される。
融和策で台湾人も努力次第で日本人のように出世できると言われていたらしいが、セデック族に対する差別は台湾人より酷く、改善のため話し合う機会もないため決起することになったように見えた。これには待遇改善のためという目的はなく、ここまでコケにされて黙っていてはセデックの名が廃るという思いだけがあり、「誇り」を示すのが目的だった。日本軍の力は強大で負け戦は重々承知。コケにされるより死んだ方がマシというのだから、確かにこれ以上の「誇り」はないと思う。
そして、そのとばっちりを受けるのが、女子どもや「誇り」になじめない人たちだ。「誇り」になじめない人たちは描かれてなかったように思うが、いなかったのかなぁ。いたとしたら排除されていたのかも。「誇り」教育、すごいから~。勇気の証、刺青目指せって感じで狩りに行っているから~。態は子どもでも刺青があれば、もう大人。←違うと思うけどー。子どもまで闘っていたものね。
で、とばっちりを受けた女性や子どもたちは集団自決(^_^;。死にやすくするため死後の話も作ってある。勇気を出して思いを遂げたら虹の橋を渡れる。そして、別れた家族と再び相まみえることができる。虹の橋を渡って再会するために、さあ死にましょう。物語は生きるためだけでなく死ぬためにも作られるのだ。
セデック族が主人公であり、判官贔屓もあり、頭目のモーナ・ルダオ(リン・チンタイ)は非常に魅力があって、彼が登場すると目が離せないものだから、セデック族に肩入れして観ていた。だから、最後に作り手が彼らに虹の橋を渡らせ、再会させた気持ちはよくわかる。鎮魂の虹の橋なのだと思う。ただし、気をつけないと英霊再生産のための橋にもなり得る。強大な敵を大いに手こずらせて死んで行った戦士たち。彼らを賞賛してよいのか。英霊を賞賛することの是非を問いたい。
監督:ウェイ・ダーション
(高知県立美術館 2014/05/17 高知県立美術館ホール)