『第一部太陽旗』『第二部虹の橋』を続けて観た。とても力のある作品で、長時間にもかかわらず一気に観れた。
『太陽旗』は、セデック族同士の猟場争いから始まり、日新講和条約で台湾の割譲後、日本人による統治で酷使され差別され続けたセデック族が決起するまでが、『虹の橋』は霧社事件の戦闘と結末が描かれていた。第二部はほとんど戦闘シーンだけど、(戦闘中にもドラマがあり)活劇と情動が上手く融合しているため、アドレナリンの分泌だけでなく心も動かされた。吊り橋が落ちたシーンから次のカットがつながっておらず、「れれれ???」なところもあるけれど、力強い演出でグイグイ見せられた。
知らなかったことを知るという点では、台湾の原住民セデックは鯨面文化があるようで、日本やニュージーランドとつながっていると思った。踊りの場面では、アイヌの楽器ムックリとそっくりな音がしていたし。霧社事件も初めて知ったけれど、女性も子どもも殺されていたとは驚いた。「日本人は妊娠している女性は殺さない」というセリフがあったということは(真偽はともかく)、セデックにはそういう考え方はなかったということだろうから、いささかカルチャーショックであった。
セデック族でも集落が異なれば、それぞれの頭目の考え方があるのは当然だろうが、猟場・縄張り争いで敵対している地域となると顔を見れば争う気満々なものだから、日本軍に上手く分裂させられ霧社事件でも敵味方となって殺し合う。この構図は『麦の穂をゆらす風』なんかでもあったし、今も地球のどこかで仲間同士で殺し合っている。民主主義(話し合いで決める)ってお金も時間もかかるから忍耐強さがいるし、正確な情報を収集できないと話にならないし、似非情報に惑わされない賢さもいる。そりゃあ、殺し合いの方が手っ取り早い(それならジャンケンにしたらいいのに・・・)。とまあ、やっぱり世が世だけに、考えがそっちへ流される。
融和策で台湾人も努力次第で日本人のように出世できると言われていたらしいが、セデック族に対する差別は台湾人より酷く、改善のため話し合う機会もないため決起することになったように見えた。これには待遇改善のためという目的はなく、ここまでコケにされて黙っていてはセデックの名が廃るという思いだけがあり、「誇り」を示すのが目的だった。日本軍の力は強大で負け戦は重々承知。コケにされるより死んだ方がマシというのだから、確かにこれ以上の「誇り」はないと思う。
そして、そのとばっちりを受けるのが、女子どもや「誇り」になじめない人たちだ。「誇り」になじめない人たちは描かれてなかったように思うが、いなかったのかなぁ。いたとしたら排除されていたのかも。「誇り」教育、すごいから~。勇気の証、刺青目指せって感じで狩りに行っているから~。態は子どもでも刺青があれば、もう大人。←違うと思うけどー。子どもまで闘っていたものね。
で、とばっちりを受けた女性や子どもたちは集団自決(^_^;。死にやすくするため死後の話も作ってある。勇気を出して思いを遂げたら虹の橋を渡れる。そして、別れた家族と再び相まみえることができる。虹の橋を渡って再会するために、さあ死にましょう。物語は生きるためだけでなく死ぬためにも作られるのだ。
セデック族が主人公であり、判官贔屓もあり、頭目のモーナ・ルダオ(リン・チンタイ)は非常に魅力があって、彼が登場すると目が離せないものだから、セデック族に肩入れして観ていた。だから、最後に作り手が彼らに虹の橋を渡らせ、再会させた気持ちはよくわかる。鎮魂の虹の橋なのだと思う。ただし、気をつけないと英霊再生産のための橋にもなり得る。強大な敵を大いに手こずらせて死んで行った戦士たち。彼らを賞賛してよいのか。英霊を賞賛することの是非を問いたい。
監督:ウェイ・ダーション
(高知県立美術館 2014/05/17 高知県立美術館ホール)