地獄の黙示録

圧倒的な音と映像、めちゃめちゃピッタリのドアーズ「The End」、ゆったりとしたテンポ、まさしく「映画」を堪能するという感じで、やっぱり面白かった。10年ほど前に見た特別完全版は、フランス人プランテーションと不時着したプレイメイツとラストの殲滅シーンが追加されていたため3時間を超えていたが、今回はおよそ2時間半。よくしゃべるカーツ(マーロン・ブランド)の言っていることは、ほとんど理解できず、またしても難解な・・・・と思って映画館を後にしたが、そう難しく考えなくていいのなら「狂気の素は恐怖」ということが描かれていたように思う。なにせ、1番最初に登場したウイラード(マーティン・シーン)を狂っていると思ったのも束の間、次々と狂った人が現れるものだから、ウイラードなんかまともに思えてくる。人を狂気に陥れるもの、それが「ホラーだ、ホラーだ」ということなのだろう。そういう風に単純化すると、「カーツさん、そこまでせんと、それがわからんかったの?」とカーツのありがたみが薄れるけれど、なにせオペラだから、大層に描くほど面白い。

それにしても、恐怖を感じる神経が切れているとしか思えないキルゴア(ロバート・デュバル)の、戦場での適応力(^Q^)。カーツは神経過敏の詩人で、頭脳明晰な哲学者で、現地の人を集めて壮大な実験を行う科学者。職業選択を誤っている。

時間があれば、「地獄の黙示録」すごろくを作りたい。手前がふりだし(サイゴンのホテルでゴロゴロ)で、河を遡って行き、一番奥(用紙の上の方、黙示録を小脇に抱えて)があがりだ。河口でキルゴアとサーフィンをしたり、虎と出会ってあわてて逃げたり(六つ進む)、楽しい双六になりそうだ。
(2016/08/31 あたご劇場)

シクラメンの植え替え


シクラメンは、日光が大好き。でも、暑いのは苦手。
シクラメンは、お水も大好き。でも、蒸せるのは苦手。
原産地が地中海とか中東なのだそうで、蒸し暑い日本の夏は向いてない。

2014年に買った鉢は、翌年の夏をなんとか越して、7枚の葉っぱ(七人の侍と呼んでいた。)が残り、十くらい花が咲き、花が終わる頃には、四銃士、三銃士、子連れ狼(若葉の芽が出てたりしていた。)と葉っぱの数は減っていき、ついには丸坊主となり、今年の夏は水を切って休眠状態で越した。
球根が硬ければ大丈夫という園芸家の言葉を信じ、一応硬かったので今朝、植え替えをしようと鉢から取り出したら、やけに軽く、思い切って押したら陥没した。中が空洞になっていて、完全にお陀仏だった。

昨年12月に買った鉢は、8月に花が咲いた。葉っぱの芽も蕾も茎の元に小さくいくつも出てきていた。しかし、咲いた花は、スズランのように下向きのまま。あっという間に葉っぱが枯れて、8月下旬には丸坊主となった。
こちらの球根は硬く、根は毛むくじゃらに張っていた。土を落として根を半分くらい切って、もとの鉢に新しい土で植え替え完了。来月から肥料をやって、上手くいけば年が明ける頃には花が咲くはず。

わかったこと。
夏は毎朝、水を遣ってもいいくらい。蒸せるのは苦手と聴いていたので、2、3日に1回水遣りをしていて枯れた。
植え替えは、葉っぱがあってもなくても毎年9月に行うべし。←ネット情報でも実感としても。

X-MEN:アポカリプス

楽しかった~(^o^)!
「ファースト・ゼネレーション」「フューチャー&パスト」と次第に面白さがパワーダウンしていっているのは、ミュータントの葛藤を描くパーセンテージが減少しているからでしょう。世界征服を企むミュータント(完全に悪役)に魅力がないしねぇ。まあ、「いらんもんばっかり増やしやがって」という言い分はわかる、昔の人だから(笑)。いらないものの筆頭にとある兵器を廃棄するのは、作り手が平和愛好家だからかな?
登場するミュータントがなんか既視感があるなぁと思っていたら、そうか、若返りシリーズは年寄りシリーズにつながるからか!と気づいたりして(笑)。若教授(ジェームズ・マカヴォイ)の頭髪問題の謎も解けたし(笑)。若マグニート(マイケル・ファスベンダー)、もっとテキパキ(全部)ぶっつぶせよーと思うけれど、その音楽好っきーだし(笑)。
各人が能力を発揮するごとに、最強のミュータントが私の中で更新されていったけれど、結局、仲間で力を合わせることが最強なんだと大満足の結論で、めでたしめでたし。
そうそう、ナイトクローラーがめっちゃ可愛かったので、素顔を確かめたくなって検索したらコディ・スミット=マクフィー君という『モールス』の男の子だった!ヴィゴ・モーテンセンの『ザ・ロード』にも出演しているそうで、これは年寄りシリーズといっしょにレンタル候補に入れねば。
(2016/08/13 TOHOシネマズ高知2)

さざなみ

ケイト(シャーロット・ランプリング)が可哀想でならなかった。45年目の結婚記念日にジェフ(トム・コートネイ)がスピーチしたことは本心だと思う。本当にケイトと結婚してよかったと思っているだろうし、これから改めて(というのは互いに高齢の域に達しているので若い時のようにはいかないため)二人仲良く暮らして行きたいと思っているだろう。だけど、その思いはケイトには伝わらなかった。

劣等感は物事の見方感じ方を悪い方へねじ曲げてしまうので、優越感よりタチがわるいと思う。例えば、相手は本心から「睫毛が長くて素敵」と誉めたとしても、誉められた人が常々「私は天然パーマで、睫毛までカールして、本当にイヤ。ストレートヘアの人がうらやましい。」と思っていたとしたら、睫毛への賛辞は素直には受けとめられない。
ケイトがジェフのスピーチを「嘘」としか思えないのは、子どもを授からなかったことが負い目として深く心に刻まれているからだと思う。もし、二人の間に子どもがいたとしたら、「カチャと結婚するつもりだったのかぁ。そりゃそうだよね、出来ちゃったんだから。」ともっと鷹揚に構えられたのではないだろうか。

ジェフはカチャが身ごもったまま遭難したことをケイトには伝えなかった。それはジェフのケイトに対する思い遣りだと思う。「それ、愛情だから!」とケイトに言ってやりたかった。でも、ケイトの負い目は「カチャが運命の人で、夫は今もその人を想っているのだ」とバイヤスを掛けてしまう。

夫の感じ方、妻の感じ方という男女の感じ方の差異が描かれていたけれど、それよりもあの曲だ。1週間前ケイトがるんるん気分でハミングしていた曲は、45年前の結婚式のダンス曲だった。結婚記念日の祝宴で踊る二人。夫の腕を振り払った硬い表情のケイト。彼女独りの心の問題にただ涙するのみだった。

やわらかい緑色の綺麗な作品。
(2016/08/06 あたご劇場)