二泊三日の一人旅

2014年に岡山県に行ってから幾年ぞ。旅に出たいと思いつつ仕事はあるは介護はあるは新型コロナはあるは。弟が残業の比較的少ない職場に異動したので家族のお世話を任せて旅に出た。

1日目の目玉は、うん十年ぶりの中土佐町立美術館。ちいさな美術館にちいさな作品。ほとんど貸し切り状態で、ゆっくりしても1時間くらいで観られるし、ずっとまた行きたいと思っていた。中土佐町立美術館大賞の作品募集や、受賞作の展覧会を開催しているのも魅力だ。只今、開催されているのは「食と暮らしと絵と~ちっくと味見したいちや~」展。好きな作品がいっぱいで写真を撮りまくった。道の駅なかとさも再度行ってみたいし(カフェ「風工房」もこちらに移っているし海賊焼きのお店もある)、時間をみつけて是非また行こうと思う。

中土佐町立美術館(公式ページ)
道の駅なかとさ

二日目は、三原村で硯づくりと落款印づくりの体験をした。1966年に原石が再発見され、数名が硯づくりを始めたところ評判がよく、1982年には三原硯石加工生産組合が設立されたとのこと。原石の採掘から加工販売まで行い、硯づくりで生計をたてられるくらいだったので組合員も多かったそうだが、現在はワープロ、パソコンの普及で書道人口が減り、組合員は6名(だったかな(^_^;正確な人数を忘れてしまった)で各人は別に収入を得ながら在庫の原石を活用しているとのことだ。
硯づくり体験は工程のどのくらいの割合になるかと尋ねると、原石選びから完成までを10としたら、2割から3割くらいとのことだった。硯はほぼ完成形にしてくれていて、彫ったのは海の部分だけだが充分楽しく、固い部分があったりして石の個性を感じることができた。砥石や紙やすり(三種類)での磨きの工程はほぼ体験出来たと思う。体験をサポートしてくださった壹岐さんが、再々、硯を洗い布で拭いて乾かして磨けてないところを色鉛筆でなぞって教えてくれた。私が落款印を彫るのに悪戦苦闘している間に、硯の仕上げ(海と陸以外のつや出しのためのコーティング)もしてくださった。もう一人の体験者をサポートしていた組合員さんが話していたが、昔は本漆でコーティングしていたそうだ。土佐硯加工製作所に滞在したのは10時から15時半までで、お昼の休憩が30分くらい。だから5時間弱は硯と落款印づくりの体験をしていたわけだが、当然硯の方が時間がかかった。両方の体験はとても楽しく、成果品にも愛着がわく。

土佐硯一岐工房←体験プログラムの予約をしたサイト。

三日目の目玉は、足摺海洋館「SATOUMI」。初代海洋館も見応えがあったが、二代目はそれを上回る見応えで、これなら年間パスポート(2回行ったら元がとれる)もアリだと思った。水族館だから展示室に入ったら当然水槽があるという思い込みは見事に裏切られた。森から始まり、ヤモリやアオダイショウ(サンショウウオは水のないところにいたのに濡れているように見えたのはなぜ?ときどき水が出てくるの?)、でっかい黄色のテントウ虫までいて、これは飼育がたいへんだーーーと思った。こんな見たこともないテントウ虫をどうやって増やすの???森の次は渓流だ。ヤマメ(だったか、メモらないと忘れる(^_^;)が飛び跳ねて石を越え一段上の上流へ達する瞬間を目撃できる。カワウソもいた。桂浜のコツメカワウソしか見たことなかったので、その大きさに驚いた。いつまで見ていても飽きない。渓流の次は汽水域。砂浜に上がって産卵するウミガメは汽水域の終わりのコーナー。ここでは仁ノから長浜の現在と過去の写真を並べ、いかに砂浜が減っているか、産卵不可能になっているかの解説があった。コンクリート製の護岸が砂浜がなくなる原因だとなんとなく思っているが、それがウミガメに影響しているのだな。ウミガメコーナーと階段コーナーでは大きな窓から竜串の海が見えるようになっており、開放感のある水族館だ。お次はいよいよSATOUMI。今、山と人里の緩衝地帯である里山が人口減のため荒れ果て、熊が人里まで下りてくることが問題になっているが、里山に倣った「里海」なんだろう。子どもの頃、里山に遊山に行ったりしたが、里海でもそんな風に親しんでほしいということなのかもしれない。竜串の湾で見られる岩(フェイク)に囲まれた大きな水槽にいろんな生き物がいる。ときおり波(フェイク)もある。ヒトデの鮮やかな色に驚き、鼓岩というものがあることもわかった。(水族館を見た後は浜まで出て本物の鼓岩を見ればよかった。)漁具にひそむ生き物も。別の水槽ではタコがおり、水槽のガラスに吸盤をくっつけながらよじ登っている。40歳を超えてからページをめくるのに指先に吸盤がほしくなったが、あのみごとな吸盤がガラスから易々と離れ、器用に登っていくのに見とれた。くっついたら離れそうにないものが、あんなにも軽々と、いったいどうやってるの?帰ってきてSATOUMIのサイトを見ると毎週金曜日に定員5名で館長がツアーガイド(予約制で13時半から50分ほど)してくれるそうで、次は予約して質問してみたいものだ。里海の次は、遠くの少し深い海の生き物。鰯も鯖も生きていると、百倍きれいだな~。魚介類食べ物コーナー、ウミウシとクラゲコーナー、小さい生き物コーナー、そして、おしまいが深海魚コーナーだ。展示室を出るとそこは売店。お土産を買って家路についた。

足摺海洋館「SATOUMI」

およそ20年ぶりの幡多地方だったわけだが、道がずいぶんよくなっていた。行きは一般道路のみ、帰りは自動車専用道路のあるところはすべて利用した。これなら竜串まで日帰りも可能だ(しないけど)。お天気がよく海が本当にきれいだった。
(2023/11/03-11/05)

ライオン少年

『ライオン少年』の感想を毛筆で書いた画像

中国の今をかいま見る

オープニングの獅子舞のアニメーションに気分上々(^o^)。このまま平面アニメで行ってくれてもよかったけれど、後はCGアニメになっていた。いずれも、キレッキレの獅子舞がカッコよく「やんややんや」だった。
お話はやせっぽちでいじめられっ子風の主人公が都会で働く両親に会いたいと一念発起、仲間とともにその都会で開催される獅子舞競技に出場するべく師匠について鍛錬するも、両親が帰郷したと思ったら父が意識不明の大怪我ゆえだった。家族を支えるため今度は彼が出稼ぎに行く。そして、ついに競技の日が来てという、逆境に負けそうな人への応援歌、あるいは不屈と挑戦の心を励ます作品になっていた。

そういう本来の作品の面白さの他に、今の中国を垣間見られるのも魅力だ。
南の方は春節の頃、半袖でいいのかと驚いたし、植生も南方風で納得。挿入される歌に英語の歌詞が一部付いていたりで、日本と同じだと思ったり。他にもいろいろ気がついたことがあったのに、早忘れてしまった。

獅子舞競技で決勝の対戦相手は、最後の棒に乗ろうともしなかった。低い棒から高い棒へと舞いながら飛び移っていくのだが、最後の棒は世の中には乗り越えられないモノがあるという、いわば戒めの棒のため本来、挑戦不可なのだ。ところが、主人公は挑戦しようとする。これは困ったことになった。挑戦が成功すれば、戒めを破ることになるし、不成功に終われば映画がどっちらけで終わってしまう。どうするかと思っていたら、鮮やかなラストシーンに唸った(拍手)。
(2023/10/26 あたご劇場)

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の感想を毛筆で書いた画像

果てしない欲
底なしの弱さ

アカデミー賞総なめ!・・・・しそうな傑作。情報量が膨大で付いていくのがやっとの身には体感時間が短く感じられ、3時間半はあれよあれよという間に過ぎ、たいへん面白かった。
アメリカ先住民のオセージ族は、強制移住させられた場所に原油が噴き出し、自動車が普及しだした1920年代は大金持ちとなり、でも、管理能力がないとされ白人の後見人にちょっとした買い物でも一々許可をもらわねばならず、金目当てで結婚した相手に殺されたり、殺されたり殺されたり(実際、いったいどれだけ殺されたんだろう)しても警察も白人だから病死や自殺ということにされたという本当の話がもとになった作品。映画のおしまいには監督本人が登場して「告発」の弁をのたまうのが、今更の感がなきにしもあらず(というのは『ソルジャー・ブルー』とかもあったし)だけれど、やはり、私はオセージ族もこの事件も知らなかったので「告発」の意義はあると思った。

先住民に対する差別意識から全く罪悪感を持たず数々の殺人を犯す人々も恐ろしいが、主要な登場人物アーネスト(レオナルド・ディカプリオ)、その叔父ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)、アーネストと結婚したオセージ族のモリー(リリー・グラッドストーン)の三人の怖さもなかなかのものだった。
ヘイルおじさんは、畜産の事業が成功して地元の名士で既にお金持ちだが、アーネストをけしかけモリーと結婚させ(というかアーネストはモリーに本気だったのだが)、モリーの姉妹三人を次々と殺させる。家族の財産(石油の受益権)を相続したモリーも殺してアーネストが相続できるようにということだから、言いなりになるアーネストが相続したモノは自分のものというわけだ。恐ろしいまでの欲の深さだ。裁判で検察側の証人になったアーネストを殺そうと画策していたのも呆れるほどの自分本位。けれど、人ってヘイルほど極端ではないにしても、足るを知らず自己中心的である。

アーネストは、ヘイルおじさんに命じられるままにモリーの姉妹の殺害に関わっていく。自ら手を下さずとも殺しを下請けに出すのだ。果ては、妻の薬に少しずつ毒を盛る。愛する妻を失いたくないと思いながら、おじさんに逆らえない呆れるほどの弱さ。重なるのはユダヤ人虐殺に関わったアイヒマンだ。上司の命令に逆らえず、殺す側に回ってしまう。他人を傷つけても自分が痛い目にあわない方を選んでしまう弱さは、誰でも持ち合わせているのではないだろうか。

モリーは結婚する前からわかっていた。童顔で可愛らしいアーネストが、コヨーテのように油断ならない小者であること、また、御しやすいということを。オセージの言葉を教え、子どもをもうけ幸せと言ってよかったと思う。母が亡くなり妹や姉が死に殺人だとわかると夫に助けてねと乞い、病を押して遙々遊説中の大統領(?)に会いに行き、地元では捜査すらしてくれないと訴えもしたのだから、毒を盛られていることにも気づいていた。仮に、毒を盛るのをやめてほしいと言ったとしても、そんなことはしていないと否定されるだろう。否定せず、悪かったと言って毒を盛るのをやめるなら、始めから毒を盛るようなことはしないだろう。「やはりコヨーテだった。おじさんに逆らえないのもわかっていた。アーネストの弟バロンがおじさんに逆らえないように。」(バロンはおじさんに虐待されているかとアーネストに尋ねたのはモリーではなかったか?)とモリーが考えたのかどうかわからないが、夫が姉妹殺しに関わっていそうだと薄々察しながら、それでも愛している。果たして、映画や小説の中だけの話だろうか。

三人三様の恐ろしさだ。「にんげんだから」

ここまで人という生き物に突っ込んでいった脚本は大したものだ。人を正面から描くほど滑稽に見えて可笑しいものだが、そこはそれ、力のある俳優陣におまかせだ。効果音を含めて音楽も力強い。噴き出した原油で真っ黒になったオセージの民が踊る場面など、スコセッシ監督健在なりといった感じ。牧場を焼くシーンでは『天国の日々』を彷彿させられ、もしかしたら過去の西部劇などの引用が散りばめられているかも。なんせ、映画オタクの監督だから。しめくくりのラジオの公開放送みたいなシーンは、風格のある作品に対して「なんちゃって」風の軽妙さをプラスして「告発」の重さを客体化しているように思った。
そして、何よりエンドロールの「音劇場」が素晴らしいのだ。嵐の音には、劇中で結婚前のモリーとアーネストが静かにその音を聴くシーンを思い出し、自然とともに生きてきたオセージなどの先住民へのリスペクトを感じるし、嵐の後の虫の声にはアメリカ先住民と我々日本人は似ているのかなとか、スコセッシ監督念願の制作だった『沈黙 サイレンス』のエンドロールと同様だなとか思えて一入感慨深かった。

『沈黙 サイレンス』の感想
(2023/10/23 TOHOシネマズ高知2)

第12回高知国際版画トリエンナーレ展

やっぱり面白かったですよぉ!いっしょに行った妹も大満足。先日の三連休の最終日だったので人混みを覚悟してたんだけど、意外にお客さんが少なくて驚きでした。始まったばかりは少ないのかしらん?12月3日まで開催していますので、ピピッと来たらぜひ、お越しください。

●なんとなくわかってきたのは、独自性があって細かいところまでよく作られていて美しい作品が賞候補になるのかな。
●タイからの出品(入選)が多い気がしました。版画が盛んなんでしょうか。
●受賞作はスポンサー所有となるそうですが、それ以外は販売も可とのこと。部屋に飾ってもいいくらいの大きさで好みの作品のお値段を試しに尋ねてみたら25,000円とお手頃。係の人がページを繰っている一覧表を覗いていると、非売品もあれば、うん十万円と手の届きそうにない作品もありました。
●デジタルプリントってよくわからないけど(パンフに説明はありましたが)、版画なのね???
●「バロンキャット」に心を鷲づかみにされました。

私が会場で撮った写真は映り込みが激しいので、公式webの第12回高知国際版画トリエンナーレ展入賞作品をご覧ください。

(2023/10/09 いの町紙の博物館)