お正月をのんびり満喫中~。
『オデッセイ』『スポットライト』見たいな~。今年もマイケル・キートンに会えるのか。うれしいぞ(^_^)。あ、でも、『スポットライト』は上映されるのだろうか???配給会社ロングライドのHPを見たら、自主上映、あたご劇場、TOHOシネマズ高知で上映された作品があるある~。アカデミー賞にノミネートされそうだし、大丈夫だよね。
それから大変評判のよい『恋人たち』も見たいなぁ。
そして、今年こそ、映画の感想を全部書くぞーーーー。
ロングライド
大好きな絵本
大好きな絵本をチネチッタ高知の方にアップしました。
「セロ弾きのゴーシュ」の中に「インドのとらがり」という架空の曲が出てきますが、youtubeを検索したらありました。
篠山紀信展 写真力
大きいことはイイコトだ(^_^)。
部屋の中央で一回転すると全部の作品を見渡せるのはいいなぁ。しかも、写っているのは著名人。車いすの母も堪能できた。
都庁をバックに天気占いをする座頭市(勝新太郎)とか、建設中のスカイツリーを背景にした中村勘九郎とか合わせ技の面白さもあるし、黒柳徹子のヌードっていうのもある種の衝撃だし。時代と人を切り取る写真の面白さを感じた。また、拡大することにより揚巻(坂東玉三郎)の衣装の豪華さだけでなく重さが伝わってくるし、ディズニーランドや東日本大震災後の東北の空気感も伝わってきて、お祭り気分になったり厳粛な感じになったり。時代と人を切り取ることにどれだけ普遍性があるかしらと思いながら見て行った。
母に一番印象に残ったのはどれかたずねると、「筋肉(裸で踊るマラーホフ)」とのこと。二番目は「花魁(揚巻姿の玉三郎)」だった。
宮沢りえを見ては、「乳首がない。」←ある!
外国人が見たらどれが印象に残るだろうかとたずねたら、「人ぞれぞれやろうねぇ。」←いかにも。
めでたし、めでたし。
(2015/11/15 高知県立美術館)
タカダワタル的
タカダワタル・・・・、歌う落語家(笑)?
歌う詩人、歌う飲んべえ?飄々と生きているように見える。深いシワと諦めたような目の表情が、どうしてこんな顔になったのか不思議でしょうがなかった。人は声が細くなり、目に力がなくなって死んで行くが、この映画は高田渡さんの晩年だろうか。そう思いwikiを見たら、2005年に56才で亡くなっている。がーん。ショックだ。70過ぎのおじいさんと思って見ていたから、自分とたいして違わない年だったとは。
ふわふわと街を漂う姿も興味深かったけれど、ライブ中心のドキュメンタリーにしたところがよかった。リラックスできて前向きになれるライブだったことがわかる。寄席みたいな空気感だ。せっかくの寄席なのに(笑)、何を話しているのか聴き取りにくかったのは残念だ。でも、歌詞がわかったので本当によかった。
歌詞は詩になっている。平易な言葉が短く身近い。怒りと毒を完全に沈殿化し、美しく澄んだ言葉になっている。それがのんきなリズムとなだらかなメロディーで歌われる。バンドのアンサンブルもご機嫌だ。
「ブラザー軒」はハイライトシーンだと思った。どうやら亡くなった父と妹のことを歌っているようだ。カメラは歌う高田渡の顔にゆっくりズームインしていく。夢のように美しく、哀しさが沁みてくる。
「タカダワタル的」とはどんなことなのか、やっぱり考えてしまう。なかなか良いタイトルだと思う。
映画の中で柄本明は高田渡の生き方にあこがれても、ああいう生き方はなかなか出来ないと言う。それは自由を選択することの厳しさを言っているのだろうか?例えば、お金にこだわらない、お金から自由になるというのは、お金があってもイイがなくてもイイということであって、なくてもイイ生き方は厳しいから、なかなか出来ないという論理。
だけど、私たちは既に「タカダワタル的」なのではないかと思う。高田渡は詩人、歌手という表現者だから一般ピープルには確かに真似できないけれど、その歌のどれもが生活する人の視点から生まれており、大いに共感できる。今日の糧を探して地を這うアリンコ派でも、宵越しの金は持たないキリギリス派でも高田渡の歌がわかる人は「タカダワタル的」なのではないだろうか。
監督:タナダユキ
(2015/11/07 あたご劇場)