メモっている以外にも石川九楊の本を読んだ。中国書史、日本書史の概要がわかったような気がする。いつかは超面白いと言われている「中国書史」を読めたらなぁ。でも、今ダントツに面白かったのは「表現の永続革命 河東碧梧桐」だ。忘れられた俳人(書家でもある)碧梧桐への愛が炸裂。やはり著者の熱量と本の面白さは比例する。
「文系のためのめっちゃやさしい量子論」もめっちゃ面白かった。さっぱりわからないけれど。文系からすると量子論は魔法だ。だいたい、そんな方法でその理論を証明できるの?というような検証方法ばかりに思えた。だけど、「量子もつれ」が実際に起きることを証明した科学者にノーベル賞が贈られたり、もうとっくに応用段階というのに驚くばかりだ。
●春にして君を離れ:アガサ・クリスティ(早川書房)
・・・・主人公の心の変化を丹念に追う中で、彼女の家族や状況が鮮やかにわかってきて読みごたえたあった。桃井かおりも砂漠で人生観が変わったって昔言っていたけど、砂漠って人を変える何かがあるのだろうか。空だけの世界に置かれると色々考えてしまうモノなのね。暇だし。でも、主人公の場合、帰国したら元の自分に戻っていて何も変わらなかった。確かに家族に何を言っても無駄と思われているのは悲しいかぎり。でも、そう思われていることにも気づかないのだから、これも一つの幸せよ。子どもたちは巣立っているので夫との人生が続くわけだけど、そりゃ夫は心の恋人が必要にもなるだろう。幸せな独善妻と、諦めと惰性の夫。それが楽ちんでいいんだろう。
2022/12/30
●火の山にすむゴリラ:前川貴行(新日本出版)
・・・・写真絵本。ヒト科ではオランウータンが一番好きだったけれど、この本を読むとゴリラもかなり好きになった。落ち着いた表情がいい。緑の匂いがむせかえるようなジャングルでゴリラの目の高さから至近距離で撮っている。始めは望遠レンズかなとも思ったが、ジャングルで植物の間から撮られた様子はなく、何より文の中に子どもゴリラがズボンの裾を引っ張って去って行くという記述があり、また、子連れの母ゴリラが目の前に出てきたので思わずシャッターを切ったら手首をつかまれたという、読んでいる方にも緊張が走る場面があった。生息域の環境や保護の話も出てきて、今やそこは外せないところなんだろうな。
2022/10/14
石川九楊
●表現の永続革命 河東碧梧桐:石川九楊(文藝春秋)
・・・・映画の感想でも何でもそれを好きな人、評価している人が書くととんでもなく面白い。石川九楊の本は私にはたいへん読みにくく理解するのに苦労があるが、それでも本書は面白すぎるくらい面白かった。碧梧桐を愛するあまり高浜虚子を貶すことおびただしいが、虚子は貶されても仕方なしと納得がいく。現代俳句が「第二芸術」と批判されるようになったのは、虚子が俳句は季語を含む十七音の定型詩と規定したためだと言い張る。それで大衆も詩人になれるんだから良いではないかと私は思うが、俳句の発展は早晩に頭打ちだろうと思われていた明治後期から、いかに芸術として高められるか昭和初期まで苦闘してきた碧梧桐の成果を読むと、虚子が堕落したように感じられるのだ。要するに二人とも正岡子規の高弟でありながら、俳句を芸術として高めようとした碧梧桐が忘れられて、俳句を芸術としては見放した虚子の方がなぜ崇められるのん(怒)、という内容の本だ。また、十五年戦争の時代、政府の国威発揚に追随するために俳句を利用したと言わんばかりの虚子への批判は、あり得るかもと思わされた。すっかり洗脳されたようだ(笑)。山頭火の俳句は自由律ではないという証左には唸ったし(だから碧梧桐こそ元祖自由律俳句ということだと思う)、碧梧桐がルビ付き俳句の元祖でもあると知って流石にもっと顕彰すべき人だと思った。/碧梧桐は書家でもあり、自作の句を書に著している。九楊氏は書家であり、書は文の身体であるから俳句の読み(活字又は音)だけではその内容の理解は不十分で、肉筆の作品を観てこそ本当の理解ができると言っていて、碧梧桐の俳句の書を解説しているところも大変興味深かった。また、俳句の表現をより高めたり深めたりの苦闘ぶりが書にも現れていることを図版によって例示しているのも面白かった。
●「二重言語国家・日本」の歴史:石川九楊(青灯社)
・・・・九楊さんの著作は私にとっては難解。本書は講演載録だが、やっぱり同じ。なるほどと思うこともあれば、それは違うんじゃと思うこと(例えば、九楊さんは仮名の行頭を一段低くするような散らし書きは漢字(大陸国)に対しての謙譲だというが、私はふにゃふにゃした文字を漢字のように四角四面に書くより、あちらこちらに余白を大きくとる方が美的感覚にかなっていたのだと思う。)もあった。しかし、理解できた範囲だけでも面白かった。/二重言語とは、真名と仮名のこと。山田五郎さんがyoutubeで現代美術は、美術史の積み重ね(美の常識とされていたモノが革新的な美に更新され続けた末のモノ)と言っていたが、九楊さんも歴史はスタイルであってスタイルを更新し続けているというようなことを言っている。/無文字の縄文から有文字の弥生。万葉仮名の飛鳥・奈良(国家として大陸国から独立=疑似中国時代)から女手の平安(倭から和への完全な移行)。/宋から亡命してきた僧が、新しいスタイル(書と政治のスタイル)を持ってきた。/ちなみに、武官(武士)と神祇(天皇・公家)の他に文官(「禅」の僧侶)も政治を行っていたと九楊さんは言う。江戸時代に政治に関する儒教(+道教)を僧侶から取り上げ、禅院に残されたのは仏教のみ、僧侶は文官ではなくなったそうだ。/一休宗純の文字(和漢一体。こなれている)。寛永の三筆(装飾化)。良寛の文字(明治以降の近代人と同様。近代の走り。)/感じたこと。大陸と半島と(九楊さんによると孤島ではなく)弧島。やがて、辺境の地である弧島に大陸国の文字が渡り、大陸国の一部となったのだと思う。現代の中国は書き文字なら各地で通じるが、話し言葉だと地域によって外国語のようでまるで通じないそうだが、古代の日本もそんな感じだったのかも。時代によって文字のスタイルが異なるというのは肯ける。私たちは無意識のうちに時代の文字を書いているのだと。/丸文字、変体少女文字などへの言及はなかったが、歴史(というより女性史?)的に観てあれは何だったのだろう。
●書 筆蝕の宇宙を読み解く:石川九楊(中央公論新社)
・・・・わかりやすかったので驚いた。展覧会で書はさっぱりという鑑賞者にとって良い鑑賞の手引きとなっている。深度、速度、角度を意識しながらなぞっていくと書いた人の意識と同化できるとのこと(ほんまに?)。また、新しい表現を目指す書の芸術家にとっては必読書かもしれない。用筆法を書史に沿って解説してくれているので、本書を読んでおくと一応これまでの表現がわかり、本書に載ってない表現をは新しいと言えるのだろう。/甲羅や獣骨に字を刻する。→鋳金→竹や木に毛筆。→のみで石に。→紙に毛筆。/九楊さん曰く、北魏の石碑は行書(二折法)を刻したのであろうが、のみで刻する技術が未発達で楷書(三折法)のような表現になっている、その影響を受けて楷書が完成したとのこと。北魏(4~6世紀)の拓本は、てっきりまだ洗練されてない楷書と思っていて、初唐(7世紀)に綺麗な楷書になったと思い込んでいたのでビックリ。白川静が最初が完成度が高いと言っていたこととも符合する。/大学生(2、30人だったかな?)への実験で、横書きより縦書きの方が考えがまとまりやすい学生が大多数だったことに九楊さん自身が驚いていたのが可笑しかった。/著者の他の本に書いてあることも本書から読めば、もっとわかりやすかったかもしれない。
●日本の文字 「無声の思考」の封印を解く:石川九楊(ちくま新書)
・・・・2013年の初版。日本の文字は漢字、ひらがな、かたかなの3種類。ということは文のスタイルも三種類。例:「春眠不覚暁」「シュンミンアカツキヲオボエズ」「はるのねむりはここちよくて、よるがあけたのにもきづかない」という内容から始まり、著者の別の本でも書かれていた内容と重複していたが、この本では日本人が字を書かなくなったことによる文化の荒廃への危機感を訴えていたことが印象に残った。最終章の「堕ちゆく日本語の再生」へ向けて、前章までに日本語とは書き文字で成り立っていることを例を挙げながら述べていたのだ。ワープロのお陰で漢字が書けなくなると、漢字の守備範囲である思想、哲学、政治、宗教などの思考も出来なくなるというのだ。確かに自分自身を顧みても文章をよく書いていた十代の頃は話していても書くように話せたが、手で書くことから遠ざかってからは映画の感想を頭でまとめようと思っても言葉が切れ切れに浮かぶのみとなってしまった。/著者が言いたいのは、手書きで指先を動かした方が頭の回転もよくなるということではない。例示の中で面白かったのは、韻律がないと詩とは言えないが、西洋の韻律は書かなくてもOK。なぜなら音声による言葉だから。日本の詩は書いてこそ。古今和歌集の掛詞(掛筆)などを例示されるとなるほどなぁと思った。/万葉仮名の説明で暴走族の「夜露死苦」も挙げてくれたら面白いのに。
2022/05/23-2022/10/22
ことば関係
○ことばと文化/私の言語学:鈴木孝夫著作集1(岩波書店)
・・・・「ことばと文化」だけ読んで返却してしまった。しかも、面白かったのに内容を忘れてしまった。「私の言語学」も面白そうだったので、改めて借りよう。
2022/09/25
●桂東雑記1:白川静(平凡社)
・・・・石川九楊は白川静の影響を受けているのだな。中国での歴史的な社会の変化とともに書体も変化していると。/漫画家の岡野玲子の対談は、ちょうど「陰陽師」の連載中だったみたいで興味深かった。/甲骨文、金文、篆書、隷書など各書体の出始めが最も美しい、後になると崩れてくるというようなことを言っていることが面白かった。必要があって生まれたものは最初が一番完成度が高いとのことだ。/「口」は祝詞の入れ物であるなど、漢字の元となった古代の様子はどのようにしてわかったのだろうか。本書は著者が卒寿となった記念に今後生きている間は年に1冊、当年のインタビューや連載記事や講演などを記録していくのが趣旨なので、巻末に参考文献などの記載がない。他の著書を当たるしかないのかな。
2022/08/21
●相席で黙っていられるか 日中言語行動比較論:井上優(岩波書店)
・・・・日中の行動の違いのエピソードが綴られた第1章と第5章が面白かった。第2章から第4章は文法的なことが大半だった。第6章は前章までの比較から日本語について書かれていて、このまとめも面白かった。/中国人の対人関係は曰くシーソー型。家族や友人となれば、当人たちの領域でお互いが接しており、日本人からすると果てしなく頼んだりは当たり前でお礼を言うのは他人行儀にさえ思われるそうな。日本人は曰く天秤型。当人たちは家族や友人であっても個人個人が離れており、贈り物には返礼のように釣り合いをとることで関係を保っており、親しき仲にも礼儀あり。読んでいて外務省の職員は相手国の文化を理解しなくては始まらないと思った。著者も一見奇異に思う外国の文化も自国の似たような事例に当てはめ考えると、奇異なことが自然なことに感じられるようになると言っている。
2022/08/20
○音が見える!中国語発音がしっかり身につく本:劉雅新(コスモピア)
・・・・ダウンロードの音声付きだったけれど、ダウンロードしなかったので発音は身につかなかった。それでも発音記号の見方がわかったし、英語より中国語の文法の方がやさしそうだと思えた。ラジオで勉強しようかな。でも、あんまり時間がないしなぁ。
2022/08/13
●日本語ぽこりぽこり:アーサー・ビナード(小学館)
・・・・2000年から2004年の間にウェブや雑誌などに掲載されたエッセイ集。気楽に読めて面白かった。ベイ独楽の語源は米(アメリカ)ではなくてバイ貝の「バイ」が訛ったものだとか、アメリカでバーベキュー用に使われていて辞書にもそうと載っている「ヒバチ(火鉢)」が、本家の日本では「シチリン(七輪)」だったとか、語源にまつわる話は面白い。また、ハロウィーンで毒盛りお菓子やカミソリ入りリンゴが心配で、70年代以降は手作りお菓子や果物ではなくて既製(工場製)のお菓子ばかりになったが、そんなことで子どもが犠牲になった事実はなくて、恐怖をあおったメディアや菓子メーカーがホクホクしたってことだとか、ベトナム戦争に反対する声が高まる中でより自由な社会環境と形式にとらわれない家庭の有り様を牽制する誰かのねらいもあったのではとか(後者は著者が読んだ本の分析らしいけど)。私は、恐怖と不安をあおる昨今の日本のメディアなども頭に浮かんで桑原くわばらと念じた。
●一汁一菜でよいという提案:土井善晴(グラフィック社)
・・・・数年前、少し立ち読みをして「だよねー!」と思って以来、気になっていたので読んでみた。石川九楊の「二重言語国家・日本」が引用されていて驚いた。料理も和心、漢魂に洋才なんだそうな。
弧島的なものと大陸的なものの混合物である日本の言葉(言語、漢字とひらがな)を「二重言語」として認識し、その和心・漢魂に加えて、世界共通の観念である哲学を身につけ、新しい日本人の言葉(言語)を持たなければならないと、氏は示してくれているのです。(144ページ)
え、そうだったの!?「二重言語」の認識を促す本だと思っていた~。一歩進んでいたのね。片仮名があるお陰で外国の概念も日本式に取り込み易いと書かれているとは思ったけど。
ユネスコの世界文化遺産に和食が登録されて、メディアが有名な料理人ばかりを取り上げるのを批判して、これまで和食文化を支えてきたおばあちゃん、お母さんを顕彰すべきというところには、はっとさせられた。また、困ったときの味噌頼みを実践している私としては何にでも合う調味料という認識だったものを、ご飯に味噌を載っけていただくというのを読んで、そう言えば味噌は味噌だけで食べられる食品だと認識を改めさせられた。そして、既にこの提案のようなことを実践している者としてはお墨付きをいただいたようだわい。
2022/08/17
チェーホフ
●ワーニャ伯父さん/三人姉妹:浦雅春訳(光文社古典新訳文庫)
・・・・二作品とも主要人物が意に染まぬ人生に遣り切れない思いを抱えながら、それでも生きていく話で、なかなか感動的だ。
●桜の園/プロポーズ/熊:浦雅春訳(光文社古典新訳文庫)
・・・・三作品とも可笑しい。「桜の園」は登場人物がヘンテコな人ばかり。「プロポーズ」「熊」は、話自体が笑える。/チェーホフ、いいね。44歳、宿痾の結核で亡くなったとのこと。生きていたのは明治時代とほぼ重なる。1890年4月、30歳の年にサハリン目指して出発。7月11日から10月13日までサハリンに滞在し、流刑地の実態調査。解説によると、その後の四大戯曲は一幕物の笑劇化を企図したものであり、かつ、死者の目(この世とは縁が切れているが、まだこの世に参加しているものの目)から書かれたものだと。流刑地と当人の病の影響は大きいようだ。/「かもめ」を読んだときは喜劇とは思えなかったが、今回、残る三大戯曲を読んでみて、ロバート・アルトマン監督作品的なもの(登場人物がヘンテコでそれを少し引いたところから眺めている)を感じた。「かもめ」の登場人物も引いたところから眺めると少し喜劇的になるかもしれない。
2022/08/06-2022/08/12
●文系のためのめっちゃやさしい量子論:監修・松尾泰(ニュートンプレス)
・・・・昨年「三体」を読んで量子論に関心があった。「めっちゃやさしい」を信じて手に取ったが私には理解できなかった。しかし、量子とは今のところ「そうゆうもの」と認識されていることは部分的にわかって大変面白かった。そして、理論を証明できる実験を思いつけることや、理論を応用し新しい技術を開発していく人たちに尊敬の念がわいた。文系人間としては、相対性理論があるから『猿の惑星』があり得そうに思えたりしていたのだが、『透明人間』や『ザ・フライ』も平行世界の話っぽい『ドニー・ダーコ』などもあり得そうに思える。量子論の世界は、状態の共存とかコペンハーゲン解釈とか摩訶不思議。世界の基礎になる科学だから、どの学問をやる人も知っておいた方がよいような気がする。
2022/07/28
●楷書がうまくなる本:筒井茂徳(二玄社)
・・・・古典の臨書(古典を手本とした習字)に有益。初心者は形臨を極めるべし。用筆法(点画の形)、結構法(字の形)、章法(字と字の関係の形)に分けて具体的に古典の見方が記されている。現代人は活字の影響を受けているが肉筆は活字と異なるバランスでできている。整本(完全拓本)と剪装本(整本を一行ずつ切り離し、適宜の字詰めにして製本したもの)。重畳法:二階建てや三階建ての漢字は下部が右にずれている。軽筆:字の骨格に影響しない部分を省略したり小さく書いたり。減捺(一字一波):捺は右払いのこと。窓の概形。軌道の想定:跡に書く点画を想定しながら書かないと行き当たりばったりの字になる。補空:空間の穴埋めに点を打ったりする。縦の行は字の横幅の中心を揃える。横の列は背の低い字を若干上寄りに書く。筆順。欠けている字の習い方。目習いは重要(鑑賞眼を養うことは上手く書ける近道)。諳書のすすめ:背臨したものを自己添削した後、古典と照らし合わせ再度習う。
2022/05/30
●もう一度!近現代史 明治のニッポン:関口宏+保阪正康(講談社)
・・・・学校で習ったはずなのに大方忘れていた。TBSのテレビ番組の書籍化なので対談形式で図版も多く読みやすかった。この本で明治の日本の概略をつかんで、後は事象ごとに書かれた本を読むと少しは頭に定着するのではないか。読まずに返却した姉妹本の「もう一度!近現代史 戦争の時代へ」ももっと後に読んでみようと思う。
○校注良寛全詩集:谷川敏朗(春秋社)
・・・・貸し出しの延長をしても読み切れない(^_^;。漢詩の原文、釈文、校異、現代語訳、語釈・解説文、良寛の漢詩の世界、年表、索引。凄い研究書だ。「校注良寛全句集」「校注良寛全歌集」もある。買おうかしら。でも積ん読になるだろうし。子どもと遊ぶ良寛さんのイメージしかなかったが、随分変わった。魅力的な人だ。生成りの木綿の暖かさ優しさと、さらし木綿か麻のきっぱりスッキリ感を合わせ持つ人のよう。一旦返却してページ数の少なそうな俳句集から読んでいこうかな。
2022/02/16
まど・みちお
●まど・みちお人生処方詩集:詩と絵まど・みちお、選詩市川紀子(コロナ・ブックス)
・・・・人生の様々なときに応じて選ばれた詩が楽しい。笑いたいときの詩など本当に笑える。眠れないときの詩はやさしい。まどさんの略歴も書かれているし、描かれた絵がいくつも載っている。詩も絵もいいなぁ。戦地でも和歌をノートに書き付けていたそうだ。詩がまど・みちおを守ったのかもしれない。
●けしゴム:詩まど・みちお、選・訳美智子(文藝春秋)
●にじ:詩まど・みちお、選・訳美智子(文藝春秋)
・・・・名字が略されていると思ったら美智子皇后(当時)の英訳だった。「リンゴ」などは英訳の方が意味がわかりやすい。リンゴを置くとリンゴ自体とリンゴ以外のスペースに分かれるが、
ああ ここで/あることと/ないことが/まぶしいように/ぴったりだ
の最後の2行は、
Exactly,dazzlingly,fit together
と訳されていてtogetherの一語のお陰で内容が鮮明になった。
2022/01/11-2022/01/23
●石垣りん詩集「表札」:石垣りん(童話屋)
・・・・病気の父、継母、障害のある弟。十代の頃から家計を一人で背負うことの大変さが、その頃の詩には現れている。これを書かなければ、この人が生きていけなかった。気持ちのはけ口となった詩が痛い。詩として昇華されているのかいないのか。でも、それが一番力を持っている。
2022/01/11