没後70年山脇信徳展

副題は「極端から極端へ-印象派を超えて郷土へ」。「絵画も常に極端より極端に推移する」という信徳の言葉から取ったようだ。なかなか面白かった。
構成は、「序/1東京・滋賀 印象派の画家/2満州・欧州 見聞を広める旅/3帰郷 郷土と向き合う画家」となっていた。同時代の郷土画家や信徳と関わりのあった画家の作品も展示されていた。

序で楠永直枝が1枚あったのを見て高校の美術の授業で「楠永直枝と教え子展」を観たことを思い出した。そのときに山脇信徳の作品もあったかもしれない。
裸婦の木炭デッサンは、「信徳と思って手に入れたが、その弟の作品かも(^_^;」という趣旨の解説がついていて面白かった。

日本のモネと言われた頃の「上野ルンペン」「裸婦」などは、タッチや色彩がルノアールの裸体画みたいだと思った。「夕日」などはゴッホっぽい?
「極端から極端へ」とは思わなかったけれど、画風がころころ変わるのは面白い。それでも一貫してザッと描いた感じというか、自由な感じがする。例えば、同時期に欧州留学していた西岡瑞穂の作品がしっかりキチッとしているのとはえらい違いだ。瑞穂が背広にネクタイ姿をビシッと決めているのに、信徳は浴衣の襟元も裾もはだけて平気の平左みたいな感じだ。それがサインにも現れていて、イニシャルだけやローマ字や漢字やハンコ(?)や色々あった。試行錯誤なのかもしれないが、こだわりがなくていいと思う。また、作品から受ける感じが、旅先で志賀直哉を振り回したという楽しいエピソードに違和感がないのも嬉しい。

作品リストは裏面や余白が解説書や略年譜にもなっていてありがたい。
特に山脇をめぐる人々と題された相関図は、一目で「なぜ」を解決してくれた。梅原龍三郎は信徳を春陽会、国画会に誘ったということで、藤田嗣治は東京美術学校西洋科同期ということで、油絵やリトグラフが展示されていたわけだ。

特に好みの作品。
「叡山の雪」(油彩、高知市蔵)、藤田嗣治のリトグラフ「中毒に就いて」、「パリ 夜のまち」(水彩・パステル)、「夜のヴェネツィア」(油彩、個人蔵)、「高知絵-高知城下」(油彩)。「雨の夕」はやっぱりいい。中国の風景画もよかった。

*「絵画の約束論争」
*高知県美術展覧会(県展)発足の功労者

コレクション展 シャガール「我が生涯」


3月に「ポエム」を観たときに意外なことに好みだった。木版画で土くさいからだろうか。紙などでコラージュしているのも面白かった。自分でも不思議でたまらなかった。もういっぺん「ポエム」を観れるかと思ったら既に展示が変わっていた。そして、「我が生涯」を観て安心した。やっぱりシャガールは好みじゃないわ~。と言いつつパリのオペラ座の天井画は好きかもしれない(オペラ座込みで)。

コレクション展 現代版画の楽しみ(前期)


アンリ・マティスの「ジャズ」、いいな~。血行がよくなりそう。常設展にしてほしい。

「ヨーゼフ・ボイスのために」のヨーゼフ・ボイスは、『ある画家の数奇な運命』にも登場したデュッセルドルフ芸術アカデミーでリヒターたちに教えていた教授だろうか?この先生が亡くなったとき世界中の芸術家が追悼の作品集に参加したらしい。うへ、ちょっと気持ち悪いと思ったら、フランチェスコ・クレメンテの作品だったりして面白かった。一番印象に残っているのは、全体が白っぽい画面で左下に一瞬ガードレールに見えた点線の端に人がいて右上に長四角のものがある作品。誰の作品だっただろう。

山本容子の「光の大地」。新聞小説の挿絵とのことでほぼ真四角だ。四角の中に神話などからのモチーフが散りばめられていて、これを新聞で見るとなるとかなり小さくて老眼に堪えそうだ。

アンディ・ウォーホルの「アフリカン・エレファント」。大きい。色鮮やか。これが常設展でもいい。

フランシス・ベーコンの「応誦(レポン)」をうん十年ぶりで見た。リトグラフだったのか。脳内でこってりした油絵に変換されていた。
(2022/04/26 高知県立美術館)

由宇子の天秤

タイトルからすると、作り手は由宇子(瀧内公美)の天秤(ジャッジメント:判断)が正しかったかどうか、あなたならどうしたかと観客に投げかけているように思う。私は自他共に認める単純な人間であり、小心者でもあるからお天道様に顔向けできない真似はしたくない。良心が痛むようなことをすると自分が苦しい。しかし、神は死んだといわれて久しいし、大人になると綺麗事だけではすまないことも多いし、嘘をついたり本当のことをしばらく隠したりする由宇子の判断をやむを得ないと思って観る人も多いと思う。何よりドラマには葛藤が不可欠だから、由宇子の一つ一つの判断がサスペンスを生むのが面白い。私自身は、由宇子が自作のドキュメンタリーの放送日までメイ(河合優実)の子宮外妊娠を伏せたことはアウトだ。子宮外妊娠をよく知らないからかもしれないけれど、2週間経ったら赤ちゃんはけっこう大きくなるんじゃないの?大出血ってことになったらと思うと恐くて仕事を優先なんてできない。それができる由宇子はなかなかの博打打ちだ、さすが主人公と感心して見ていた。

由宇子はメイの父哲也(梅田誠弘)に彼女を妊娠させたのは由宇子の父(光石研)であることを告げた。なぜ告げたのか。それは、哲也が娘が売春していたという噂を信じていたのを正すためだと思う。由宇子はメイを疑い傷つけてしまった。そのせいで絶望したメイは死のうとしたのかもしれない。それはドキュメンタリー制作で取材していた女子高校生とも重なる。メイを傷つけたことに対しては良心の呵責もあったろうと思う。メイのために自分が事実と判断したことを告げたのだと思う。もしかしたらタイトルは、この判断のことを指しているのかもしれない。

報道の暴力、性暴力、いじめという言葉の暴力、加害者の家族というだけで責める世間の暴力。様々な暴力が織り込まれていて見事な脚本だ。力のある作品だが好きかどうかは別の問題。私にはあまり気持ちのよい作品ではなかった。

(2022/04/13 あたご劇場 監督・脚本:春本雄二郎)

ベルファスト

ケネス・ブラナー監督とは同世代で、今まで観た監督作品から勝手に親しみを感じているけれど、ベルファスト出身とは知らなかった。フィクションも織り交ぜているとは思うが、どうしても1969年当時の自伝と思ってしまう。作品から感じられるのはやはりベルファスト愛だ。両親が好き、祖父母も好き、幼友達やご近所さんも遊んだ場所も好き(おじいちゃん、サイコー(^o^)!)。そんな大好きな人を残して故郷を去った理由と、その体験から望むこと、言いたいことをノリノリ音楽にのせて描いている。子どもの生命力と大人の包容力と舞台演出家の茶目っ気がが詰まった愛しくなるような私好みの作品なのに体調悪しで前半ウトウトが痛恨の極み。
その頃の日本は大学生がデモなんかをしていたかもしれないが、私はニャロメを描いていたか。仮面の忍者赤影の真似やシェーは卒業していた気がする。三億円事件の話をしたり、カラスノエンドウの笛を鳴らしながら下校していた頃、ケンちゃんは大好きな人たちとお別れして言葉も違う街へお引っ越しだったんだ。

北アイルランド関係作品メモ
『ライアンの娘』『麦の穂をゆらす風』『マイケル・コリンズ』『クライング・ゲーム』
(2022/04/04 TOHOシネマズ高知5)