第11回高知国際版画トリエンナーレ展

いや~、素晴らしい!版画って美しく象徴性に富んで隅々まで面白いなあ!
このトリエンナーレ展へ行ったのは、これで3、4回目くらいか。毎回行けばよかった。
写真OKとのことだったので、好きなのと気になったのを撮ったけど、撮り忘れがあって残念。「Friend」(作者:Watanari Magate(タイ) シルクスクリーン 63×100)という作品なんだけど、石の質感が素晴らしい。木陰にある石のようで湿気も感じる。仏教寺院の柱の礎石とたむろする鳥たちを描いたものかと思ったら、涅槃のブッダを背後から描いていて、その台座とブッダの上に鳥が留まっているのだった。鳥の大きさからするとブッダは小さいはず・・・・。

デジタルプリントがいくつもあって、私の年賀状もデジタルプリント(版画)だったのかと思った。そうすると簡単に版画が作れるじゃん。一方で、「Ground-Flock」(優秀賞)は繊細でシャープで透明感があって、いったいどういうプリンター、インク、紙の組合せであんなに美しい作品が出来上がるのか、デジタルプリントも技術の高さは相当なものだ。
(簡単に版画が作れるといえば、プリントごっこ。年賀状は日本人の多くを版画家にしていたのかもしれない。ガリ切りで作る謄写版印刷もなつかしい。その頃の印刷用紙はわら半紙。本当に藁で作った紙だったとは、今回いの町紙の博物館の常設展示で知った。以前にも見ていたはずだけど(^_^;。)

版画展のたびに技法が気になる。作品一覧のパンフレットに版画の技法をまとめてくれているのがありがたかった。それでもイマイチわからないので検索したら、よいページがあった。
動画で見る 版画のつくりかた(町田市立国際版画美術館)


その他(撮影したもの以外で)、感想をメモったものの中から。
「PARENTAL CONTROL」作者:Kacper Bozek(ポーランド) エッチング、メゾチント、ドライポイント 61×100
怖い。監視の目が性器。恐竜のような大きなもの。ペット?仲間にも監視さる。
「Aesthetics of Culture No.2」作者:Teppong Hongsrimuang(タイ)木版 100×99
スケール感。タイ、歴史、プラウド。
「CHANG’AN-XI’AN」作者:Wei Hua Zhou(中国)木口木版 51×100
すごい!中国四千年。「ナニワ金融道」の青木雄二。マイケル・ジャクソン!
「SYMMETRY」作者:Wieslaw Haradaj(ポーランド)リノカット 68×98
アダムとイブ。怖い。
「遠雷 Lotus・地・水・SORA」作者:平木美鶴(日本)木版 92×56
既存、既知。ほっとする。
「ひとり 20.1」作者:鈴木知子(日本)紙版 81.5×55
色がきれい。毛(髪の毛、睫毛)で寂しさ。温かみ。
「ガラスのカーネーション」作者:霧生まどか(日本)リトグラフ 75×60
バラに見える。
「THE ROOT IS PRECEDED」作者:Francisco Robles(メキシコ)エッチング、アクアチント、ドライポイント 83×70
メキシコ~!
「A SINGLE SWALLOW CANNOT MAKE A SUMMER」作者:Alan Altamirano(メキシコ)エッチング、アクアチント 98.5×48.5
フリーダ・カーロ!メキシコ!
「Object-Life in Capitalism」作者:Rattana Sudjarit(タイ)アクアチント 60×80
夜明け前?夜、働いてるの?
「SNOW PRINT:NO.2018.2」作者:阪本幸円(日本)デジタルプリント 60×88 
雪の感じがよく出ている。・・・デジタルプリント?
「饒舌な女主人」作者:吉村順一(日本)エッチング、ビュラン 60×90
インパクト。
(2020/12/15 いの町紙の博物館)

殿様のお成り(ToT)

先日、水遣りをするときに気がついたんだけど、殿様蛙が来ていた。雨蛙はたくさんいたけれど、向かいの田んぼが宅地になって蛙との縁も切れていたのに、よりによって殿様とは。まだ小さくて雨蛙の倍くらいの大きさ。どうしたものかと、そのまま忘れていたところ、本日、また水遣りのときに跳ね出してきた。う~ん、この辺で冬眠はムリないんじゃないの?
雨蛙があまりに増えたとき、ヘビの心配をしていたら20cmくらいの真っ黒いのを見かけたことがあって、そういうのを思い出すと殿様にはもっとよいところへ行ってほしい。意を決して鉢をそーっと持ち上げ、そろりそろりと庭を出て(鉢が動いていることに気づいたのでしょう、鉢の中でちょこちょこと向きを変えるので)、限界!と思って地面に置くと飛び出した。それを長靴の先でつついて向こうの畑まで行こうとしたけれど、眠いのか途中で動いてくれなくなった。う~ん、道路を渡るとき、車に敷かれる心配もあるし、畑はまだまだ遠いし、又もや意を決して掴んだ!つもりが足先しか掴んでなくて、それでもまあ大人しくしてくれているので、急いで畑に向かうも、手袋越しに動きが伝わってきて、畑が遠かったこと(ToT)。子どものとき雨蛙を掴めたことが不思議でならない。それで、畑に放り投げたつもりが、手に引っかかったのか届かず、手前のグレーチングの格子にすっぽり収まった。トントン踏み鳴らしても出てこない。雨蛙が物干し竿の端のキャップが取れたところで冬眠していたのを思い出し、そのままにしてきた。ゆっくり冬ごもりできるだろうか?蛙は蚊などの虫を食べてくれるんだけどね~。

アマチュア園芸関連本+植物図鑑

1 基本

園芸を始めた頃、わからないことだらけだったので、色んな本を手に入れて見ていた。
一番、わかりやすく実用性があったのが、「花づくり&ガーデニング百科」ムック(ブティック社)。苗の選び方から植え替え、水遣り、土、肥料、摘心、剪定、花殻摘み、防虫防除、増やし方と基本を押さえたうえに、寄せ植え、花壇、盆栽など楽しみ方の例もあり、育てやすい人気の植物を210種類も育て方つきであげてくれていて図鑑にもなる。園芸指南書としてこれ一冊あれば充分だと思う。

2 虫

今でも虫が苦手で、この時期でも目の端に何か動くものを捉えてはドキンとするのだが、落ち葉が風で動いているだけだったりする。それでも、見たこともない虫がいると「君の名は」と思ってしまい「虫といっしょに庭づくり」を買った。本屋で手にしたときは虫の写真にゾッとして棚にもどしたが、次に行ったときには、やはり内容がいいので購入した。

ヤスデは「冤罪度ナンバーワンかもしれない」と書かれていて、ムカデの子と思い殺したことを深く反省した。テントウ虫の幼虫の写真を見ては、殺さなくてよかったと思ったり、テントウ虫と知ると気持ち悪さも和らいだ。恐れおののいていた足長蜂も巣に近づかない限り攻撃してこない、おとなしい蜂と知り、飛ぶ姿が優雅に思えてきた。知らないと必要以上に恐れて攻撃的になってしまう自分を改めて自覚した。ずいぶん昔に聞いた話だけど、洗濯機に蜂が巣を作り、攻撃してきたらやっつけてやろうと思っていたが、何もしてこなかったので「蜂といっしょにお洗濯」していたという人がいて、この姿勢を今でも尊敬している。
また、昆虫の「変態」を初めて知った。サナギから成虫になる虫を知っていても、それが最後の変態だとは知らなかった。
「虫といっしょに庭づくり」 「雑草と楽しむ庭づくり」ひきちガーデンサービス 曳地トシ・曳地義治(築地書館)

「雑草」というのがイマイチだったが、野の花も庭では雑草かと思い直し「雑草と楽しむ庭づくり」も購入した。目的はどこからともなく庭にやってくる草花の名前を知るためだ。この本を眺めていて気がついたのは、我が家の庭はオーガニック・ガーデンだということだった。オーガニックにはまるで関心がないので、どうでもいいけど。雑草への対処の仕方や、付き合う方法が書かれているけれど、それも割とどうでもいいことだと思った。ジャングル化しても平気な読者向けに書かれた本ではないからなぁ。

3 アート

おしまいに大好きな本。図鑑であると同時に美しい水彩画集だ。
「野の花さんぽ図鑑」 「野の花さんぽ図鑑 木の実と紅葉」長谷川哲雄(築地書館)
「野の花さんぽ図鑑」は二十四節気に分けて草花や昆虫が描かれている。節気ごとに少しずつ1年かけて読んでいった。同じ植物でも季節によって様子が違うので、花のない時期も描いてくれているのがありがたい。「~木の実と紅葉」の方は、野鳥も描かれている。虫食いの葉っぱもそのまま描かれていて美しい。

長谷川哲雄さんは昆虫学を専攻していたそうだ。昆虫好きは植物好きになるけれど、植物好きは必ずしもそうでないが、昆虫あってこその実であり花であるから「花好きを自認する者はみな、昆虫の前に額ずいて感謝の祈りをささげようではないか・・・・。」とユーモラスに書いている。「・・・・」の部分が味わい深い・・・・(笑)。それで「昆虫図鑑 みぢかな虫たちのくらし」を注文している。

4 その他

「ボタニカル・ライフ」「自己流園芸ベランダ派」いとうせいこう
笑える。
「園芸家12ヶ月」カレル・チャペック
笑える。
「育てておいしい まいにちハーブ」NHK出版
育てたハーブでリースもピクルスも作ったよ(^_^)。

「よくわかる土・肥料・鉢」NHK出版
「花の事典」「樹木の事典」西東社
「園芸『コツ』の科学 植物栽培の『なぜ』がわかる」上田善弘 講談社
「剪定『コツ』の科学 いつどこで切ったらよいかがわかる」上条祐一郎 講談社

アマンダと僕

青年とその姪っ子が、ともに愛する人(青年の姉)を突然失った喪失感を共有し、ともに生きていこうとする再生の物語・・・・のつもりで観ていたので、いつ、姉ちゃんが亡くなるのか(自転車に乗っていたので交通事故に遭いそうで)ハラハラしていたら、いつまで経っても事故は起きず。忘れた頃に事件が起きてビックリ。無差別殺傷事件に遭ったのだ。

ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)とアマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の物語であると同時にフランスで実際に起きたテロで傷ついた人々へのメッセージでもあった。テロで心身ともに傷ついた人、身内や知り合いを亡くした人、後遺症やPTSDに悩む人、犠牲者の知り合いの知り合い。大勢の人が事件前とは全く異なる状況に陥り、先が見えず、不安にかられ、フランスは人生は「もうおしまいだ」と感じたときに「大丈夫。おしまいなんかじゃないよ。」と寄り添うような作品だった。

ダヴィッドは、若いし、子どもを育てる自信が全くない。アマンダを施設に預けることまで考える。夜中に突然泣き出し、涙をこらえきれないアマンダの傍にいてオロオロする。母を亡くした子どもにどう接してよいかわからない。深く傷ついた人にどう接すればいいのか。してあげられることはあまりないかもしれないけれど、寄り添うだけのことでも力になると信じたい。
ダヴィッドだってアマンダにパワーをもらっている。アマンダは存在するだけで、いのちのシャワーをダヴィッドに浴びせている。子どもは特別だな。でも、誰かのために寄り添うとき、自分でも気づかないうちに力を得ているんじゃないだろうか。
二人が歩くとき、離れて歩いたり手をつないだり。同じ方へ。つかず離れず、寄り添うのがイイと思う。
(2020/11/27 DVD)