2025
2、3年前に消えてしまった大好きなオーストラーレに再び挑戦。オーストラーレは、育てるのは簡単な植物なので、白絹病が蔓延してしまった年に処分したのだったと思う。シドイデスは健在。(2025/04/06)
2、3年前に消えてしまった大好きなオーストラーレに再び挑戦。オーストラーレは、育てるのは簡単な植物なので、白絹病が蔓延してしまった年に処分したのだったと思う。シドイデスは健在。(2025/04/06)
下に詳しく書いたように、今年は1月から草を引きました。また、先月からは土作りを始めました。そんなわけで、園芸熱が再燃しています。
ネットで苗も注文しました。ふふふふふ。ペンステモン・ハスカーレッド、ペンステモン・ダークタワー、藪蘭(庭にあるけど株分けしにくい場所と、しやすい場所のはヤスデがうじゃうじゃで断念。買って別のところで増やすことにしました)、ペラルゴニウム・オーストラーレ(お気に入りを枯らしてしまった)。
ホームセンターでは1年草を買う予定です(^_^)。
1月に3回、3月に2回、そして、昨日も草を引きました。昨年は放置していたので屁糞葛が凄かったです。花は可愛いけれど、あの中途半端な匂いとツルが私の性に合わないのです。根絶を目指して根を掘りまくりました。
また蛍袋は、地下茎でクロッカスやクリスマスローズの領地まで侵入してきたので撃退しました。姫檜扇も種が庭のあちこちに飛んで(蟻が運んだ?)球根に成長したようで、雑草のごとく生えてきました。ところかまわず鉢植えにまで生えてくるのは目に余ります。小さいのに球根が深いところにガッシリと根付いていて、けっこう往生しました。今後は種になる前にカットしよう。
石蕗も増えて庭全体が石蕗になっていたので、かなり根塊(芋?)を2、3年掘りつづけました。アマドコロの地下茎もポキポキと。
これからはドクダミです。薬草として使い「宝の山」という人もいますし、私も匂いは嫌いじゃないし、可憐な花は好きなくらいですが、一カ所にじっとしていてくれないのが困ります。他の草花の生長を阻害するほどの勢いなのです。種が飛ぶ前に刈るのがよいのですが、その頃、庭に入るのは虫が怖い(^_^;。まあ、手前から入ると逃げていってくれるので、接近遭遇はまれだと思いたいですが。
趣味のガーデナーとなるまでは、草引きが嫌いで「冬には枯れる」と言っていましたが、草引きもけっこう楽しいです。
【追記】
2、3年前にススキの種が飛んできて、気をつけて刈ったりしていましたが、これ以上放置しておくとまずいくらい大きくなってしまいました。そして、1月に小型鶴橋やスコップなどで三つに分けて掘り起こし、根を取り除くことが出来ました。よかった~。イネ科は根が深いから出来るかどうか心配していたので。
園芸品種で縞ススキという斑入りのものがあって、グラスとして庭に植えている人もいるようです。縞ススキはどんなかわかりませんが、我が家にやってきたススキは葉っぱはカミソリみたいだし、蟻がたかって種が出来る前に刈るのも大変だし、今後は見つけたら即刻、対処したいと思います。
もうアクションものはいいかなと思っていたところ、予告編を見て「うんにゃ、これはコメディや!」と思い笑うつもりで行った。
笑った!これはバブル期に若者だった高齢者向け、義理と人情の女も泣ける男気カンフーだった。
どこまでがセットでどこからがCGかさっぱりわからない。とにかく素晴らしいセットで、引きの絵もスケール感があった。
若い人はどう思うのだろう?まだ義理と人情が通じる世の中であろうか?
アジアは一つ。軍備より映画制作。おー!
(2025/03/05 キネマM)
『ゴッドファーザーPart2』『かぞくのくに』を始めとして家族の映画にはハズレがないと思っていて、タイトルにもかなり惹かれて観に行った。
お姉さんに合う薬があってよかった~。
どうすればよかったか?監督自身に関しては、家を出て正解!と思った。両親については、合う薬があったという結果からは、早くお医者さんに診てもらった方がよかったかもしれないとは思うものの、当時(といっても何十年もの間)は迷いはあったかもしれないが最善と思ってのことだったろうし、そうするしかなかったんだろうなぁと思った。両親が娘(監督の姉)をなぜ、医者に診せようとしなかったのかの理由についてはよくわからないが、監督が父に直接たずねていたようなことなのかなと思う。
医者に診せようとしないことについて、監督が別々に両親にたずねたところ、母は「お父さんがねぇ」と言い、父は「お母さんがねぇ」と言い、互いに相手の意思を尊重したみたいに言っているところは、実のところ二人とも診せたくないと思っているのだと思った。(実際には、パパ、ママと呼んでいたと思う。)
それにしても親というものは、ありがたいものだと思う。毒親は存在するけれど、この両親は違う。弟が逃げたしたくなるような姉の病状にもかかわらず逃げない。(精神科の医師でつくる協会(?)の会長が脱・入院隔離を主旨とするインタビューに答えて、入院させないと困るのは家族と地域でしょみたいなことを言っていて腹が立ったことを思い出す。)出入り口を鎖と錠前で塞いでいるのは(いいこととは思えないが)、認知症の家族が行方不明になるのを心配するのと似た気持ちだろうか?
弟も距離を取りながらも姉のことを気に掛けているし、母が認知症になり、父も老いていき、姉が亡くなりという過程を部分的にとはいえ長期的に見せてもらって、この結びつきは家族だなぁとしんみりと感動した。
くすり(^m^)と可笑しかったのは、母の認知症が進んで一番早起きの姉が朝ご飯を準備することになったと食卓の朝ご飯が映されて、次に時計が映ると丑三つ時だったことだ。監督、ユーモアあるじゃんと嬉しくなった。
「赤毛のアン」を始めとするシリーズに「アンの結婚」があって、結婚すると聴いたマリラがとても喜んで言ったことがいつまでも印象残っている。美しい環境に包まれた緑の切妻の家は、アンが養女に迎えられる前に行きがかりでマリラが赤ん坊を取り上げたことがあり、「赤毛のアン」の最後の方でマリラの兄マシュウは急死する。あと結婚する人さえあれば、緑の切妻は家として一人前になれるのだ。マリラの中ではアンの結婚の喜びと、緑の切妻が一人前になる喜びがあった。緑の切妻が悲喜こもごもの人の営みを見ている感じ。「おじいさんの古時計」の感じ。
どんな人も家族もドラマにしようと思えばできるし、コメディにしようと思えばできる。冠婚葬祭・生老病死、平々凡々のようでいてドラマにもコメディにもなる。ドキュメンタリーだったせいか、そういう思いを強くさせられた映画だった。
(2025/03/02 キネマM)