バーバラと心の巨人

『怪物はささやく』の男の子は、死期が迫る母に生きていてほしいのに、死んでもらって重苦しい現状から脱したい気持ちもあり、その罪悪感に蓋をして苦しんでいた。怪物は、それって自然な気持ちだよー、罪じゃないよー、吐き出しちゃいなよと教えてくれる存在だった。
『バーバラと心の巨人』はタイトルでネタを割っているため、主人公にしか見えない巨人って「もしかして心の病?何が原因で?」「いやいや、壊れそう~;;。」という興味で観ていくことになり、ファンタジー度は低くなっている。原題は“I KILL GIANTS”。

バーバラ(マディソン・ウルフ)は、言葉のパンチが効いていて期待していたよりも作品を面白くしてくれた。言葉を自在に操れるだけでなく、美術の才能がずば抜けている。更に運動能力も抜群。一人で巨人用の大がかりな罠を仕掛けたりできるし、カウンセリングのモル先生(ゾーイ・サルダナ)が追いかけていたけど、断然、バーバラの方が速い。

結局、バーバラは心の病ではなく、母の病気を受け入れられずに苦しんでいたことがわかる。病気の母に近づくのが怖いため、恐怖心(巨人)と闘っていたのだろうし、イマジナリー・バトルに逃避していたとも言える。こういう恐怖やそれに耐えるためのお守りや呪文は、よくわかる世界だ。(大人になったら呪文は不要かと思ったら、アンガーマネージメントとかで必要になった。)

母が亡くなって、見舞いに来た巨人にバーバラが言う。「大丈夫。本当は強いのよ。」
でしょうねー、あのバーバラだもんねぇと思うと同時に、くじけそうになっている子どもたちへのエールにも思えた。「本当は強い」を呪文に生き抜いてほしいという作り手の声が聞こえたので、なかなかよい作品ではないのと思った。

一番可哀相だと思ったのは、働きながら妹や弟の面倒をみていたカレン(イモージェン・プーツ)。
アメリカの北東海岸が舞台かなと思ったら、ニュージャージー州でビンゴ(^_^)。
(2020/08/03 あたご劇場)

私のちいさなお葬式

母は息子のためを思い、付き合っていた彼女とは別れさせ、飲んだくれと年寄りばかりの田舎から都会の学校へと進学させた。
息子は老いた母のためを思い、老人保護施設に入れようとした。
二人は都会と田舎に別れて暮らし、特に息子は仕事が多忙でなかなか意思疎通ができなかったが、ふるさとの湖の鯉のお陰でゆっくりできて、息子は母といっしょに暮らすことにした。めでたし、めでたし。
成功しても「忙しい」=心を亡くすことの哀しさを、ふるさとで自然に囲まれ人と繋がることの豊かさを、寓話的に描いた心温まる作品だ。

ロシアは社会主義をやめたんだね。資本主義がより進んで規制をとっぱらった新自由主義の国で暮らす私たちと、ほとんど同じ暮らしぶり。成功した息子はドイツ車に乗っているし、若者はインスタ映えする写真を撮りたがるし、メル・ギブソンがおばちゃんのアイドルだし、ホームレスも存在するし、他にもあったかも。

一番おどろいたのは、生前葬と思っていたら本当に死ぬつもりでお葬式の準備をしていたこと。息子が帰ってきたから、もうこれで寂しくない。息子のためと思って本心を言わなかったのだと思う。いっしょに暮らせるなら死ぬこともないでしょう。

ロシアは意外と木造住宅なんだなぁ。シベリヤなんか大きい木があったのだろう、築百年を超える3階建て以上の集合住宅もあるようだ。
帰宅途上では「恋のバカンス」のハミング。
(2020/07/31 あたご劇場)

下女

ははははは!何か変だ、可笑しい(^m^)と思っていたら、そういうわけだったのか。
いろいろ過剰だしねぇ。特にエロ描写が素晴らしく、女性が皆、色気虫(笑)。そこがまたツッコミどころで、女工の中に一人の男性音楽教師とはいえ、妻にばかりか、なぜ、こうもモテて身体を求められるのか(それほどの男性に見えないが、やっぱりピアノが弾けるのがポイントか)と思っていたら、願望八分にに自他戒二分だった。受けた~(^Q^)。男性深層心理を描いた作品として、すっきり気持ちよく見終わった。この種明かしがなかったら、「歴代韓国映画ベストワン????」と思ったままだった。次から次へと色々起こってお化け屋敷みたいなんだけど、21世紀に生きる者としては少し物足りない。「下女、死んでたまるか、もっとやったれい!」という感じだからして。『虫女』(1972)、『火女’82』(1982)と2回もセルフリメイクしているそうだから、どんどんヴァージョンアップしているかもしれない。続けて観たいものだが叶わない(残念)。

男性深層心理と一般化しては、いけない。この主人公は積極的に家を持ちたかったわけじゃないみたい。それが妻の「私が家を望んだばかりに」というセリフに現れていると思う。稼ぐことが若干重荷になっているのかもね。また、長男(アン・ソンギ)には手を焼いているのかも。

それにしても、登場人物がたくましい。へなちょこは主人公だけ。子どもは守られるべき弱い存在ではない。足の不自由な長女も弟への応酬ぶりを見ていたら立派に生きていけるにちがいない。妻は言うに及ばず。下女は寄る辺ない身の上で住む家もないのに未婚の母となりかけてメロドラマができそうなのに、絶対メロにはならない。なぜ、ここまで皆たくましいのか?

その他いろいろ。
子どものあやとり糸から工場の糸へ場面転換も鮮やか~。愛人関係になったら、落雷、木割れ~。階上へ運ぶときのコップのアップは、確かにヒッチコックを彷彿させられる。降ればどしゃ降り。音楽も効果音も笑えるくらい盛り上げる。私にはわからなかったけど、きっとこのエンタメ作品にも象徴性が潜んでいて傑作中の傑作と言われるのだろうな。チラシに“ブルジョワ”とあったけど、資産家という意味ではなかった。でも、英語、仏語を使う家族はブルジョワっぽいかな。

石坂健次氏(日本映画大学映画学部長)の講演(コロナ禍により映像)も拝聴。この映画を見た後は講演で紹介された「下女ハウス」が欲しくなる(笑)。←韓国で発売されている紙製の模型で、簡単に『下女』の舞台となった家を組み立てれる。
主人公が階段で下女の首を絞めるシーンをパラパラ漫画のように見れる「パラパラ下女」もよいアイデア。
キム・ギヨンは、お医者さんでもあったそうな。火事で亡くなったとのこと。
金綺泳筆の座右の銘「好きな事を一生懸命やる」、しごく普通。
(2020/07/26 高知県立美術館キム・ギヨン監督特集 同ホール)

あつめてのこす 高知県立美術館のコレクション

この企画展は、新型コロナ禍で休館となる前も再開した後も好評だったようだ。鑑賞はしなかったが、学芸員の塚本麻莉さんが高知新聞に10回に渡って連載した内容の紹介・解説がとても興味深く、名文だったので珍しく切り抜いて残している。けれど、何年もすると処分することになるだろうから、概要だけでもメモっておこうと思う。

メモる前に、これをお読みの皆さんへ、下記のリンク先をお薦め!

美術館の作品の収集・保存方法及びそれにまつわる課題がわかるし、二名の作家の作品に対する考え方(の違い)がめっちゃ面白い。
会場風景の動画あり(学芸員の解説付き)
展覧会パンフレットのPDFあり(柳幸典と森村泰昌のインタビューは特に推し)

筆者は「間借り人の映画日誌」のヤマちゃん
拝読して思ったこと。
この企画展は、コレクション展だからまた観る機会があるだろうと思ったら間違いだった。’98豪雨で被災した作品の修復前と後が対比される機会はめったにないかも。気になるのは、開館時6名の学芸員のうち今も残っているのは1名のみとのこと。長く在籍してもらった方が県民にとって良さそうに思うんだけど、学芸員はそんなに入れ替わりが激しいもの?待遇がよろしくないのかなぁ?


メモ

高知新聞連載、塚本麻莉学芸員による「あつめてのこす 高知県立美術館のコレクション」を読んで感じたこと。

1 作品は「あなたのもの」(画像:「収集→保存」展会場に展示されているジャン=ミシェル・バスキア「フーイー」とゲルハルト・リヒター「ステイション」)

県美(高知県立美術館)に何をしに行くか。個人的には以前は、レストラン(今はカフェになっている)でランチをしたり、ショップで映画の前売り券を買ったり、ロダン展に併せてだったと思うが塑像(テラコッタ)作りの教室があって通ったこともあった。映画ファンにはホールでの上映会でおなじみの場所だ。でも、まあ、私が今回の企画展を「コレクションだから観る機会があるしなぁ」と思ったように、県美といえば、コレクション展ではなしに企画展や県展に行くとしたものだろう。私の場合、コレクションは企画展のついでに観るが定着している。
そこで、コレクションに関心を持ってよ~、お宝がありまっせということで、バスキアの「フーイー」が例に挙げられたのだろう。新聞の画像を見て、「これバスキアだったのか!」と(^_^;。作家名とか気にしてなかった・・・・。しかも、昨年、貸し出したときの保険評価額が約13億円で、1994年の購入価格は約3千万円!お買い得。この記事を読んだ高知県民は、一気にコレクションに関心を持ったと思う。

 無論、価格だけで作品の本質的価値をはかることはできない。適切な価格設定は重要だが、富裕層の欲求を焚きつけるディーラーの思惑が渦巻くマーケットの数字からは、ある程度距離を取る客観性も必要である。しかし、「あの時」だから買えた「フーイー」が、バスキアの傑作と呼んでよいクオリティを備えているのは確かだ。手製の変形カンヴァスが用いられた本作には、文字列や王冠、簡略的な描線による人物が多層的に描かれ、80年代のストリート文化を凝縮したかのようなエネルギーがある。(4月27日)

2 寄贈と購入の狭間で(画像:「収集→保存」展の「第1章 新たなコレクション」の展示風景)

バスキアは、「新表現主義(ニュー・ペインティング)」なのだそうな。それで県美の収集方針の一つ「表現主義的傾向のある国内外の作品」に当てはまり購入していたとのこと。
1993年11月の開館から毎年のように購入作品のお披露目展があり、欠かさず(と思うんだけど)観に行っていた。ついこの間、部屋の整理をしたとき、パンフレット(出品表)が何枚も出てきて処分したけど、スキャンしておけばよかったかな。それが、「ベーコンを買ったの!?うげっ」と思ったのが最後くらいかなあ、コレクション展(お披露目展)が開かれなくなった。お金がないのだろうと思っていたが、連載2回目の記事によると購入は2005年以降はゼロで、「その後、13年と16年に高知ゆかりの作家作品を若干数購入したが、これらの購入費は高知県から美術館運営を指定管理制度によって委託されている公益財団法人高知県文化財団の事業運営費内で賄ったものだ。」とのこと。同財団の職員さん、本当にありがとう(申し訳ない+なさけない気持ち)。

先立つものがなく購入ができなくても、寄贈により収蔵作品数は増えている。収集方針のもう一つ、高知県ゆかりの作家の作品だ。石元泰博の作品が著作権も含めて寄贈されたときは大ニュースになった。他にも寄贈は、地元ゆかりの作家の作品・資料がほとんどだそうだ。ありがたいことだ。しかし、学芸員にとっては大変なことのようである。収蔵スペースやコレクション全体のバランスを見て、受け入れるかどうかの線引きをしなければならず、そのために「申し出を受けた作品の来歴や状態、その作家の収蔵状況を調べ」検討するとのことだ。

寄贈されるのは、作家が故人となったものや時代の古いものが多いのだろう。最近(昭和以降?)の地元ゆかりの作家の作品が少ないのだと思う。唯一の県立美術館である使命から、せめて地元ゆかりの作家の作品を購入できる予算がほしいのは当然だろう。「特に存命作家の作品を公立美術館が購入することは、作家にとって最も効果的な支援となり、広義での作家育成にもつながるからだ。」とある。こういう視点が私にはなかった。美術館は過去ばかりでなく現在も未来も見ていると具体的にわかった。(そういえば、ミュージアム・ショップで県内作家作品を販売していたような気がする。かなり前には、村岡マサヒロのグロホラーっぽい漫画を見かけたこともある。そのときは高知新聞夕刊の4コマ漫画を連載するとは夢にも思わなかった。)

 コレクションは恒久的な保存を念頭に置いて収蔵するからこそ、寄贈であれ購入であれ、その受け入れには慎重にならざるを得ない。しかし、寄贈だけに頼る現状でよしとするのは、コレクションの内容の偏りを助長し、地元美術の活性化すら妨げてしまう。理想と現実の狭間で、美術館も日々揺れている。(4月28日)

そうそう、収集方針の三つ目はマルク・シャガールの作品だ。実は方針の一番目に掲げられているのだが、開館前にそれを聴いてガッカリしたものだから、私にとっては三つ目だ。

3 修復された絵金派 後世へ(画像:絵金派「源平布引滝 竹生島遊覧」)

県民にはおなじみの絵金。絵金祭りや絵金蔵で見ることができる。その絵金派の芝居絵屏風4点が県美に収蔵されている。担い手不足などでお祭りができなくなった南国市十市の札場地区から修復を条件として2016年に寄贈されたとのこと。

 修復前の屏風の状態を思い出す。画面には破れを抑えるために至るところに画鋲が押され、裏面には木の骨組みを覆うように新聞紙が貼られていた。もちろん屏風を傷つけようとして行われたものではない。それらは札場の人々が、古びた屏風を捨てようとは思わず、手元にある材料で行った「修復」の痕跡であり、どうにか屏風を次代へ残そうとした証しでもあった。
修復を終え、次の百年を迎える準備を整えた芝居絵屏風。かつてのように夜風が吹く提灯の灯のもとで供されることがないとしても、屏風を伝えてきた地元の人々の思いに寄り添うことはできるはずだ。消耗品として容赦なく打ち捨てられていくものも多いなかで、形をとどめ残された作品の背景にある物語に思いを馳せながら、画面に向き合ってみてほしい。(4月29日)

うえの引用文から、保存に修復はつきものだが、元どおりにすることが最善とは限らないことがわかる。そうだろうなぁ、そう思っていたよ。それとは別に、絵金及び絵金派の芝居絵屏風は歴民館(高知県立歴史民俗資料館)にあってもおかしくないと思った。

4 歴史を更新する現場(画像:岡崎精郎「大瀧付近」)

岸田劉生の作品「画家の妻」が、なぜ県美にあるのか解説されていたのかもしれないが、たいてい読まないし、そういう疑問もチラッと頭に浮かぶだけで忘れていた。劉生が高知市春野町出身の岡崎精郎の師匠だったからだそうだ。弟子として岸田家に1年くらい同居していたとのことで、精郎が蓁(しげる=劉生の妻)の絵を描いた時期で劉生の死後も交流があったことがわかるらしい。
「大瀧付近」は観た記憶がないけれど(もしかして「画家の妻」を観たとき、いっしょに展示されていたりして(^_^;)、新聞に載った画像から劉生のあの切通の絵を彷彿させられた。まさに「そのめくれあがるような地面の描写に、『地はがつちりと地軸からの力におされている感じが出なくて』はならないと言った師の教えが生かされている。」だ。それに、劉生は、そんなこと言ってたのか!彼の自画像からうかがえるキャラクターにピッタリのセリフだ。

 美術館が購入した「画家の妻」があるからこそ、精郎が憧れた劉生の画風がどのようなものであったかを具体的に知ることができるし、精郎の作品資料があるからこそ、「画家の妻」も単に「あの劉生の名品だから」というだけでない、新たな側面が見えてくる。特定の1点の作品をコレクションに加えることは、関連する作品の見え方や立ち位置の更新にもつながる。そうした意味で、美術館は記憶の保管庫というだけでなく、歴史を更新する現場ともなりうるのだ。(4月30日)

5 志賀と信徳の友情の証し(画像:山脇信徳「雨の夕」)

「雨の夕」は、じわじわくる絵だ。「神田駿河台のニコライ堂を背景に、傘をさしてまばらに歩く人々の姿が印象派風の色彩で表され、湿り気を帯びた雑踏の空気が感じられる。」←簡潔で的確な絵画のスケッチ(拍手)。タイトルや傘がなくても、湿り気を感じるし、周りが見えにくい暗さがよく表現されている。この絵が志賀直哉から高知市に寄贈され、高知市から県美に寄託されているものとは知らなかった。
また、二人の日記などから仲良しだったことがわかるらしい。ネットで検索すると信徳の絵日記(県美と県立坂本龍馬記念館の学芸員による絵日記に何が書かれているかの報告書)があって、何か見たことがあるような感じの絵だ。志賀直哉のことが書かれてないかと期待したが、出会う前の絵日記のようだ。

 晩年の志賀は、画家は作品が焼けて失くなってしまうことがあるから気の毒だともらしたというが、念頭に置いていたのは山脇の作品のことだろう。無論、作品が現存しているか否かは、作家の後世の評価を左右する。「停車場の朝」をはじめ、山脇の重要な初期作品の多くが空襲で焼失したなか、志賀所有の作品は戦災を免れた。だからこそ、志賀は旧友の仕事が郷土で評価され、その作品が永く残されることを願い、手元にあった作品を山脇の故郷に寄贈するという選択をした。(5月1日)

連載第5回の記事を読んで、日本のモネと呼ばれた男の「停車場の朝」を俄然、観たくなった。ネットで検索すると白黒で見ることはできた。
「雨の夕」は県美でも再々展示されているような気がするが、こんな物語があるとは知らなかった。二人の友情物語は、山脇が志賀を振り回したり、志賀から借金したり(笑)、非戦のエッセンスが利いたよい映画になりそうだ。

6 忘却に抗う場所として(画像:豪雨で浸水した県立美術館(1998年9月25日))

近年、豪雨災害があるたびに98豪雨を思い出す。高知市、南国市、香美市で時間降水量110ミリ前後、須崎市で120ミリ超え、二日間で千ミリ近く降った。大雨慣れした県民もビックリ。何人も亡くなった。「湿舌」という言葉もこのとき覚えた。
これだけ降るとどうなるかのシミュレーションはあったろうけど、こんなに降るとは思ってなかったんだろう。高知市高須(もしかして元の地名は高州だったのでは???)にある県美も被災した。連載第6回の記事によると床上1.3メートル浸水、一時保管庫に置かれていたコレクション108点、開催中だった県展の展示作品と選外作品が冠水とのこと。ホールの客席も水没したと聞いている。美術の方舟が形無しとなった。
その後、防水扉を設置したり、できる対策は取っているようだが、南海トラフ大地震による「津波の到来も予想されており、依然として油断はできない。」と書かれている。しかし、自然災害による被災は日本全国どこの美術・博物館でも同じだ。痛い目を見て将来に備える県美は、未だ痛い目に遭わず想像力で将来に備える美術館の次には良いのではないだろうか。

本展の「忘れえぬこと」の章で出品した作品は4点。うち3点は98年に冠水した作品だが、いずれも修復されているため、現在ではオリジナルに近い外観を取り戻している。ただし、展示では作品隣に被災当時の姿を写した写真をあえて張り、作品がかつてどのような状態であったかがわかるようになっている。残る1点-石川寅治の「金魚」は、95年の阪神・淡路大震災の折、神戸の倒壊した建物から当時の所有者の手で救出されたものだ。この作品は、避難所での生活を余儀なくされた所有者より連絡を受け、当館が購入してコレクションに加わった。つまり、現在の展示室には、美術館立地に起因する水害に遭った作品と、災害の現場から奇跡的に救い出された作品とが並んでいる。同じく被災したとはいえ、過去を知ったうえで作品を眺めると、受け取る印象は異なるだろう。被災の事実は、作品の外観を変えるだけでなく、経てきた歴史にも影を落とす。(5月2日)

7 「モノ」としての美術作品(画像:フランク・ステラ作品の組み立て風景)

県美の入場口にあるフランク・ステラの「ピークォド号、薔薇蕾号に遭う」が男性数人がかりでないと持ち上がらないほど重いものとは考えてもみなかった。軽そうに見えるのに。埃を払ったり、分解、組み立て、大変だ~。
アンゼルム・キーファーの「アタノール」は、何年か前に作品と1対1で対峙できる鑑賞環境を作ってくれた展示があったとき、経年とともに絵の具が剥落していくことも作品のうちと作家が言っていることを知った。落ちた絵の具はどうするのかと思っていたら、やっぱり保管して成分の分析とかしていたのね。しかし、剥落にまかせっきりでよいものか、どちらにしてもその状況を記録していく必要があるのではないか、いろいろ、大変だ~。

一方、保存を考えるにあたり、学芸員が頭を抱える作品も存在する。たとえば、ブラウン管テレビといった短命な機器を使った韓国人作家、ナム・ジュン・パイクの作品は、美術館が前提にする「恒久的な」保存の限界をいや応なく考えさせる。用いられているテレビは既にメーカーにも在庫がない。しかも、テレビ自体の造形が外観の一部をなしていることから、故障時に安易に交換してしまうと、作品の致命的な改変につながりかねない。(5月4日)

いや~、ホンマに大変や~。現代美術は、他にも凸凹した収蔵品があるから。「カンバス、油性」とか素材は気をつけて見ているつもりだったけど、修復や保存についてまで考えたこともなかった。

8 「コンセプト」を保存(画像:柳幸典「ヒノマル・イルミネーション」)

柳幸典「ヒノマル・イルミネーション」連載第7回の記事で作品の素材だけでなく作家の考え方が、修復・保存に影響することがわかった。というわけで、第8回、第9回では、作家に直接、話を聴きに行ったこと(拍手)が記事になっている。
「ヒノマル・イルミネーション」の作家柳幸典氏は、詳しいインタビュー記事によると、新聞の記事のタイトルのとおりコンセプト(具体的にはイルミネーションを制御しているプログラム)を保存してほしいとのことだった。ネオン管は他の素材に変えないでほしいが、電気が切れて何本か点灯しなくなってもコンセプトに影響しないくらいならOKだそうだ。ネオン管への愛も語られていて面白かった。
ちなみに、本画像は2012年の館蔵品展の広報ハガキをスキャンしたもので、同じ作品だけど新聞に載っていたのとは異なる。

 興味深かったのは、柳氏が、「作品のコンセプトが重要」であるため、「コンセプトが再現されるのであれば、いくら壊れても再現可能」と言及したことだ。この回答ひとつをみても、いかに古美術の保存とは勝手が違うかが理解できるだろう。
芸術表現の拡張に伴い、美術館が残し伝える対象は、いまや作品のモノ本体にとどまらない。そのコンセプトを尊重し、残し伝えるべき本質がどこにあるかを見定めることも、作品の保存へとつながるのだ。(5月8日)

9 文脈で変わる作品の価値(画像:手前より「モリクラ・プリント」、「モリクラ・マシーン」の展示風景)

モリクラ・プリント本画像は、県美が1999年に重要物品として購入し、2000年代半ば頃までミュージアム・ショップに置いていたモリクラ・マシーンでプリントしたもの。剥がしたシールは手紙の封緘にしたと思う。その頃、いいかげん大人だった私は、流行っていたプリクラ(プリント倶楽部)を試してみる気はなかったが、モリクラ・マシーンにはそそられるものがあった。絵画の登場人物になれるって面白そうだ。試してみての反省点は、パイプが口からずれている(痛恨)、カメラ目線でゴッホになりきれていない。やはり、緊張していたみたい。
県美が購入する前年の森村泰昌の個展では5台のモリクラ・マシーンに行列ができていたそうだが、県美ではそうでもなかった。そのせいか(?)インクも機械に残っていて、印刷しようと思えば今もできるそうだ。
森村氏の詳しいインタビュー記事も面白く、モリクラ・マシーンを制作した当初は、メインの個展よりマシーンに行列ができて複雑な思いがしたが、何十年か後に当時のお客さんからモリクラ・プリントを今も持っているという話を聞いて、マシーンに対する思いが変化したとのこと。要するに個展のおまけのつもりだったものが、時を経て今も大切にされている思い出のマシーンになっていることに感動し、おまけではなくなったらしい。そういう気持ちの変化があってのことだと思う。次のことばにつながる。

 しかし、返答は意外なものだった。「『モリクラ・マシーン』が今後どうなるかは、本当にわからない」-森村氏は、資料と作品の違いはないと断ったうえで、このように答えたのである。一連のやり取りの中で森村氏から受けた「モリクラ」の扱いについてのリクエストは、資料か作品かを「決めつけないで」保管しておいてほしい、というものだった。
「文脈のあり方次第なんです。捉える人によって、どのようにでも顔や姿は変わるので。でも、無いと語れない」。一方向からの視点だけで、モノの、作品の価値を決めつけられないということを、改めて考えさせられる言葉であった。(5月9日)

今後、「コレクション絵画と関連映画」展でフランチェスコ・クレメンテに『大いなる遺産』(1998)、バスキアに『バスキア』(1996)、ベーコンに『愛の悪魔』(1998)なんて展示と上映をやってくれたらと思うと、「うげっ」となったフランシス・ベーコンの絵も「いいかな~」と思えてくる。←こういうのも視点を変えるうちに入るのだろうか?

10 私たちの一生を超えて(画像:「収集→保存」展に展示されている森村泰昌「肖像(双子)」)

連載を読んで、作品を好き嫌いだけで観るのは、もったいない、これまでの私はここでも猫に小判だったと思った。学芸員目線で観ると、なんぼか面白いだろうなぁ。これからは、好きな作品だけでも、どんな物語があるのか思いを馳せてみたい。そうすると、人が変わったように「解説はどこじゃー!?」と求めるようになると思う。

 美術館が困難な状況に置かれ、多くの課題を抱えているにせよ、所蔵する作品の背景には唯一無二の物語があり、ひとつひとつがかけがえのない価値を有している。連載の初回でも触れたが、県立美術館である当館のコレクションは等しく県有品、すなわち公共財産である。コレクションは「あなたのもの」であり、されにそれらが私たちの一生を超えた年月を受け継がれると考えると、「未来の子どもたちのもの」ということもできる。本展が、美術館にある「わたしたちの作品」に心を寄せる機会となることを願っている。(5月11日)

コレクション写生コーナーを作ってくれたら通う!(テートギャラリーではジャコメッティをスケッチしている人がいた。)